普段は妻と二人きりの生活だが、十二日から六日間、広島の次女一家が数年ぶりで来宅し、それに長女達も合流したので、九人の大家族になった。いやはや、トイレもシャワーも食事も洗面所も、順番待ちのテンヤワンヤの生活だった。冷房は四六時中つけっ放し、照明や二台のテレビも深夜まで休みなし‥それが今は嵐の後の静けさで、家内もグツタリ私も気抜けして放心状態だ。
中華料理店・焼肉店・ファミレス・回転寿司そして近隣の観光地めぐり等々、財布の中身もお寒くなったが、私達が健康で、子供がいて孫がいてこその出費と疲労であり、楽しいひと時を過ごした満足感をしみじみと味わっている。
※ 東北大学四年生の男の孫が、昨日発表された「航空管制官」の二次試験に合格しました。ヒャリングが苦手で自信がないと云っていたので心配でしたが、無事合格しました。あとは最終の面接試験ですが、ほぼ内定だと思います。(*´▽`*)
『家族』 ジャンルのランキング
東京で生まれ、終戦の年に両親の郷里に疎開したので、現住所の東北の片田舎が第二の故郷です。
1945年(昭和20年)3月10日の深夜0時08分、約300機のB29爆撃機が東京上空に飛来し、約2時間で
33万発以上の焼夷弾が投下されました。
俗にいう「東京大空襲」です。
現在の江東区・墨田区・台東区を中心に、千代田区や江戸川区を含む広範囲が焼け野原となりました。
一夜で10万人が死亡し、罹災家屋は27万戸にのぼったと報道されました。 雨、霰のように不気味な
「ヒュルル~」という金属音を発して降り注ぐ焼夷弾。姉と二人、命からがら逃げまどい父が署長をし
ていた警察署の防空豪に避難して命を全うした恐ろしい思い出を今も忘れる事ができません。
そんな空襲だけでなく、広島そして長崎への原爆投下という非人道的な行為を戦勝国は平気で犯しまし
た。
戦争は反対、平和は何よりも大切ですが、そのためにも最低限の戦争の抑止力と専守防衛は独立国家と
して必要不可欠な要素です。
今年も八月十五日の終戦記念日がやってきます。
今の平和の礎のため、尊い命を犠牲にされた多くの御霊に謹んで哀悼の意を表したいと思います。合掌