私だって人です。
人の思考に考えさせられる事もあるようです。 (管理者にしては、珍しく 感情的な口調ですね、、、。)
『(他の人と)同じようにして欲しい!』
ある子供からの親への言葉(思い)です。
これは、指導者 生徒間。 親 子間。 夫 妻間。
でも起こりえることなのかもしれませんね。
しかしながら、そこにLOVE(ハート)があるからこそ 同じように 接すること 同じものを与えることは 容易ではないのかも知れません。
人を選んでいるの?
人に合わせているの?
いいえ、人に添わせていると私は思います。
その背景には、ハート(LOVE)があるので、
フェルデンクライスを何かを達成するための術や方法と捉えると、たちまち捕らわれます。
なぜなら フェルデンクライスは、プロセスそのものでありたいと思うから。
育ちや 言語 環境も違う中で育ってきた人達に対して 同じ1つの術を伝授することは その人を広げるために本当に役立つのかしら。
みずから学び 体得するといった背景はあっても ゴールや目的は、ありません。
どうありたいか どうあったら 自分が心地よいか。
心地よいって『地の心』って書く。『大地の心。』 天地の心。ってことは 宇宙の原理に沿った心のことなのかな?と
そうすると 心地よいは、 無理なく あるべきところにあって 起こるべきことが 行なわれるべきときに 起こる。ことかもしれないです。
私自身 フェルデンクライスで 感受性や 学びの効率性 柔軟な姿勢(こころとからだの)を得て、
その確認法として心身統一合気道を稽古し、自然の道理に身をまかせる嬉しさを即興表現に見ています。
選ぶわけでもなく 合わせるわけでもなく 大地の心に沿って 寄り添って 接すること。
そんな風な大地の心(のフェルデンクライス)になれたら いいな~
私は、日々感情的になってしまいがち。
みゆさんのスタンスはとても勉強になります。
京都文教大学での記事をリンクで張らせていただきますね。
多くの方が、フェルデンクライスに触れられることを、切に願って