7年目の破局

不倫の彼と別れて2年・・・
誰にも打ち明けられられない気持ちを心の整理を付けるために書き綴っています。

報い

2012-08-31 | 日記
息子は救急センターから救急車で市内の総合病院へと搬送された。
解熱と吐き気止めの点滴をしたがいっこうに回復せず、内科医しかいない救急センターでは手の施しようがなかった。

総合病院へ着くと当直医が診察したが、即入院、明日専門医へと引き継ぎ検査することとなった。
息子はひどい頭痛と吐き気でうなりながら眠っていた・・・。
泊まりを希望したが完全看護のため、いったん帰るように指示され、明朝一番に来ることは許された。

その晩は一睡もできず、朝が来るのを待ち午前6時には病院へ向かった。

内科と脳神経外科の医師が来て病状を診た後、説明をうけた。

病名は多分髄膜炎でしょうと。

やはり・・・。私の嫌な予感はあたった。
知人に昔髄膜炎を患った人がいたので病状を診てそうなのでは・・・と思っていたからだ。
知人は死の境をさまよったが幸い助かった。が、何年か後に後遺症が出て今も遠方へと治療を受け病気に苦しんでいる。

その日のうちに検査結果が出た。
病名はやはり髄膜炎。
点滴治療が始まったが相変わらず息子は口もきけないほどぐったりしていた。
ひどい頭痛と発熱、嘔吐を繰り返し唸り声をあげて苦しんでいる。
そばにいても何もしてやれず、ただ見守るしかなかった。
医師にはこのまま点滴の効果がなければ最悪死に至るかもしくは後遺症が出るかもしれないと告げられていた。
一日中付き添って帰宅してからも眠れず、朝を迎えるとまた一番に病院へ行く日々が続いた・・・。

数日経ち、ようやく少し熱は下がったが頭痛と吐き気は治まらず、息子はもう何日も食事をとっていなかった。
少しの水や果物ジュースを飲んでもすぐに嘔吐してしまい、喋る元気もなく死んだように眠っていた。

私のせいだ。私が自分の欲を通そうとしたから、きっと報いがきたんだと・・。
祈った・・・。
彼(Yさん)とは別れます。だから息子を助けて下さい・・・。
私の欲も大切なものも全部捨てます。お願いです。息子を助けて、早く苦しみから解放させて下さい・・・。

不安

2012-08-31 | 日記
毎週土曜日はお昼過ぎから会うのが私たちの決まりだった。

あの電話の後、次の土曜日を迎えた。・・・が彼の体調もおもわしくなく、あの電話の事も気になり土曜日の約束も
結局キャンセルになってしまった。

毎日数回のメールと電話のやり取りはするのだが、金曜日に飲みに出かけた彼は二日酔いで一日気分が悪かった
らしく、夕方には家へ帰って休むとメールがきた。

今までよほどの事がない限り、土曜は私と会うか、仕事場に泊まり家へはこんなに早く帰ったことがないのに・・・。
何か奥さんとの話があるのか、土曜日帰ってくるように言われたのか?
普段だったら考えないような事が頭をよぎった・・・。

彼からのメールのには「ゆっくり家で休んで下さい。おやすみなさい」としか返信できなかった。
そのあとにまた返信がきたが、それには返信できなかった。

きっと彼は私が何かに腹を立てていると思っているだろうな・・・。と思いながらも、私の気持ちが落ち着いたら、会った
時にゆっくり話そう。そう考えていた。

次の日、彼からメールも電話もこなくなった。
こんな事は過去にもあった。
私が怒っているときにはメールや電話がきても返事しないので私の気持ちが落ち着いて私から連絡するまで彼は
そっとしてくれていた。私も会う約束をする時まではしばらく連絡は控えようと思っていたのはやはり土曜日に彼が
何かあったのではないかという思いからだった・・・。

そしてそのあとすぐにまた携帯が鳴った。今度は公衆電話から。もう電話を取ることができなかった。
何回かにわけて昼間公衆電話からの着信と非通知からの電話は続いた。

息子に何かあったら自分の携帯から必ずかけてと念を押したその日、また携帯への電話・・・。
息子の学校からだった。
凄く具合が悪いらしいのですぐに迎えに来てくれとの事・・・。
急いで迎えに行き、家へ連れて帰った。
高熱と頭痛、吐き気を訴えているためとりあえず、解熱鎮痛剤を飲ませ寝かし夕方からの診察へ連れていくつもりでいた。
が、いっこうに頭痛が治まらない。吐き気も止まらず何回も嘔吐を繰り返し、トイレまでも行くことができず、部屋のゴミ箱にまで嘔吐していた。
病院へ連れて行こうとしても起き上がれない。
この症状は風邪なんかじゃない。
私の中で大きな不安が頭をよぎった・・・・。

電話

2012-08-30 | 日記
彼と最後に会ったのは2010年5月22日。

その日いつものように楽しく過ごせたのだが何か違和感を感じていた。そう、この日だけではない彼が仕事が忙しいとか

体調が良くない事も重なっていたせいかもしれない。その時はその程度にしか思っていなかった。

次の週もいつもだったら週末に会うはずだったのだが、彼が体調が悪くそれでも無理してでも私に気を遣い会いに来てく
れる人だから私もしんどいからと言って私から会うのはやめようと切り出した。本当はその日彼に直接会って話がしたかったのだが、また会った時にと、電話ではなく会ってゆっくりと話そうと考えていたことがあった。

携帯に誰かは名乗らなかったが、女性から電話がかかってきたのは最後に会った日から数日過ぎてからだった。
知らない番号や公衆電話からはいつもは出ないのだが、その頃息子の体調が悪く、いつ学校から連絡がくるかわからなかったし
息子の携帯の電池切れでよく公衆電話や友達に携帯を借りて迎えの電話をしてきていたことがあったので、何のためらいもなく電
話に出てしまった。女性ははっきりと「○○さんですか?」と私の苗字を聞いてきた。てっきり学校の先生だと思い、[はい」と答えると同時位に「貴女、自分のしていることがわかってますか?どれだけ○○さんの家庭に迷惑をかけているか。今すぐ○○さんと別れなさい。どうせ遊びなんだから貴女も家庭を壊されたくないでしょ。どういうつもりかわからないけどこれ以上続くようだったらお宅のご主人に言うから」

○○さんというのは彼の苗字だった。強い口調で女性はそれだけ言うとぷつりと電話を一方的に切ってしまった。

心臓がバクバクして手が震えた。番号は非通知ではなく携帯からの電話だったようだ。

それから電話が鳴るたびに怖くなりその番号を着信拒否にして、何度も電話の内容を考えてみた。

彼の奥さんからなのか?でもなぜ私の携帯を知っていたのか?でもこれは彼に直接話してみようと。

ひょっとしてこの前会った時の違和感とこの電話と何か関係があったのか?彼が体調不良を訴えていたのは私に会えない事情がで
きたのではないか?色んな考えが次々に浮かんだ。

私はもう彼の事は主人に話してあった。息子が落ち着いたら離婚して欲しいということも。

親権の事でもめるだろうが、私はいっさい何も持たず、全てをおいて家を出るつもりでいた。
だから主人に二人の関係を言われようがそれは構わなかった。

彼も奥さんにはだいたいの事を言ってあると聞いていたのだが・・・。

話したい事はたくさんあった。この電話をきっかけに彼と一緒になれる気がしていた。

でも、その日からもう彼と会うことはなかった・・・。

2年後・・・

2012-08-29 | 日記
彼とは今から9年前に出会い、それから7年目を迎える夏に別れた・・・。

会わなくなってもう2年が過ぎようとしている。

別れてから色んな事があったが何も考えられずにただ無駄に一日が過ぎていく毎日を過ごした。

息子の病気に始まり、たて続きに私の手術入院、最愛の父の死。一番傷つきそばにいて欲しい、話を聞いて欲しい、

でももう彼はいないのだ。

2年前のあの日からどうやって生きてきたのか全く覚えていない。毎日むなしく過ぎていくだけの日々。

きっと不倫なんかした罰なんだといつも自分に言い聞かせながらも、今生きているのは母と息子のためだけなのかもしれない。

あの日、あの時から私はもう死んだのと同じだから・・・。