7年目の破局

不倫の彼と別れて2年・・・
誰にも打ち明けられられない気持ちを心の整理を付けるために書き綴っています。

写真の中のY

2013-03-16 | 日記
息子が遠方の大学へ行く事になり、荷物の整理やかたずけに追われる毎日が続いた。
色んな物を引っ張りだしてきているうちに昔の携帯が姿を現した。
以前Yとお揃いでYに買ってもらったものだ。その当時は一番新しい機種で私はその携帯を大事に使い、Yと別れる直前まで使っていた。あの電話がかかってきた事により携帯を替えざるを得なかったのだが、バッテリーが弱りボロボロになってもその携帯を大事に使っていたのだ。
当時の私は頭が混乱していたためか、捨てる事もできず、自分の目の届かない所へとしまっていた為にどこに置いたのかも思い出せずじまいだった。

それがひょんなことから出てきたのだ。
Yとの写真は何百枚とメモリーカードへ保存してあった。携帯の中へ入れたままだったが、もう当然電源も入らないだろうと思いながらも充電器に差し込み電源を入れると携帯はまだ動いた。
もうあれから3年近くYの顔を見ていない。
写真ですら見る事が出来ずにいたが、恐る恐るメモリーカードへ保存してあるYとの写真を写しだした。

懐かしいYの顔・・・。
どれを見ても写真の中のYは優しい目をしていた。
そして私とほとんど一緒に写っているがYは幸せそうな顔で笑っている。

私も幸せと自信に満ち溢れた笑顔ばかりだった。

写真を見ればYがどんなに私の事を愛し大切にしていてくれたかがよくわかる。
私もYに愛されて幸せでいっぱいだったはずなのに、どうしてYを失うような事をしてしまったんだろう。

Yの事を本当に大事だとわかった時に、Yにだったら騙されても構わない、Yだけは何があっても失いたくない。
そう思って覚悟を決めていたはずなのに・・・。
Yの事を愛すれば愛するほど、幸せを感じれば感じるほど、どんどん贅沢になり、Yを独り占めにしたくなっていた。
Yに裏切られたとばかり考えていたが、はたして自分はどうだったのか?Yに対して精いっぱいの事をしてあげてたのか?
そんな思いにかられ、しばらく泣く事を忘れていたのに、涙がこぼれた。

いつもだったら見なければよかったと後悔ばかりするのに、何度も何度も繰り返しYの写真を見ては自分がYへ言った事を後悔した。あの時Yにちゃんと話をしていれば、たとえYにはっきり何かを告げられても今もなお苦しむ事はなかったはずだ。

私は携帯からメモリーカードを抜き取り捨ててしまおうとゴミ箱のふたを開けたが、まだ捨てきれずドレッサーの引き出しの隅へとしまった。

男友達

2013-03-14 | 日記
私は田舎に住んでいたせいもあり子供の頃から男の子と遊ぶ事が多かった。
近所の幼馴じみ、親戚、同級生、都会ではあまりない事だが田舎だと誰々の家の子供だとすぐわかる為男女にかかわらず年上年下が一緒に遊ぶのは普通だった。
私も近所の男の子と遊ぶ事が多く、小学校時代も同級生の男子ともよく遊んだ。
そういう経験からか、中学高校になってもその感覚は変わらず、男の友達はたくさんいた。
大学へ進学後も運よく恋人以外の信頼できる友達もいて、就職、結婚までもそういう男友達は常にいた。

もともと女同士の付き合いはあまり好きではなかったので親友と呼べる女友達以外は、男友達と遊ぶ方が気楽だし思った事が言いやすいと感じていた。
連れだってトイレへ行くのも面倒だし、登下校も合わせていくのはおっくうだった。
いつも一緒に行ってと頼まれて行きはしたが、自分が用を足したい時は一人で行く方が気が楽だし、登下校も友達が欠席や時間合わない時には男子と一緒に登下校した。

Yと一度、男女で友情が成り立つかどうかで口論になった事があった。
私は男女の関係抜きで本当に信頼していた友達は今までに何人かいたので当然それはあり得ると主張したが、Yはそんな事はないと主張した。絶対に男いは下心があると。そうでなかったら優しくする意味がないと言い張った。少なくとも自分には女友達はいらない、好きな女性にだけを気にかけたいからと。
その時は私自身もあまり意識はしていなかったが、ずっとそんな事はない、やはり男の友達も必要だと思っていた。

だが、Yと付き合いどんどん親密になっていくにつれそんな考えは一転した。Yは私にとって恋人でもあるが男友達、女友達でもあり、親兄弟よりももっと近い存在になっていったからだ。Yだけがいてくれたら友達さえも必要ないとさえ思った。実際Yと付き合いだしてからは友達と遊びにでかけたりあまり連絡を取る事も減っていき疎遠になった友達さえいた。まして同窓会の誘いや帰省した時に会う事も無くなって行った。
Y以外の人間とはどこへも出かけない、メールや電話も必要最低限、そんな日々を過ごした。
それでも私はYとだけ喋れば充分に幸せだった。
その時は世界中の全ての人とかかわり合いをもたなくともYさえいたら生きていけると信じて疑わなかった。

Yと別れてから同窓会や帰省した時に同級生とも会うようになり、学生時代の先輩など男友達と会う機会もふえた。私からすると昔から知っている異性は気を使わなくていいので気が楽だ。たまに会う事により相手も優しく親切に接してくれる。
だが、やはりYの言っていた事は当たっていた。
よく接する男友達がただの同級生としてみていたのではなく、私を異性の対象としてみていた。
昔から好きだったと告白され、もうその友達とは連絡をとるのがおっくうになり、他の男友達もなんとなく連絡をとりたくなくなっていった。
やはり私には男友達は必要ないと思えた頃が一番幸せだったのだと思い知らされたのだった。


ほかならぬひとへ

2013-03-01 | 日記
最近直木賞受賞の「ほかならぬ人へ」という小説を読んだ。
ずっと気になっていたがなかなか読む機会がなくようやく本屋で見つけ読む事ができた。
本の帯に書いてある”愛するべき真の相手はどこに居るのだろう?”というサブタイトルのとおり二編の小説「ほかならぬひとへ」と「かけがえのないひとへ」ではベストの相手は一体どのようなひとなのか?を突きつきつけた小説だった。
読みやすい文章とわかりやすい内容だったため一気に読むことができた。小説の中で「ベストの相手が見つかった時にはこの人に間違いないという明らかな証拠がある。みな探してないだけで見つけた人は全員そういう証拠を手に入れてるんだ。死ぬ最期の一日でもいいからベストをみつけられたら成功なんだ。」と語られていた。
二編の小説の主人公が見つけた証拠は本の中には記されていなかった。
だが、主人公が感じる「匂い」と「初めて」が私の中での証拠だと思った。
それは私自身もYと付き合っていた時に感じた二つだったからだ。
Yの匂いはとても心地よかった。私と会う時には香水や髪のワックスの香りがしていたが、風呂へ入り何時間も経って汗だくになっている時にはもう香水に香りは消えてしまっている。Yそのものの匂いだけが残るがその匂いは私のにとってとても心地いい匂いだった。
私はどちらかというと潔癖症で汗の匂いやちょっとした体臭はどんなに好きな人でも嫌悪感を抱いていた。
それがYには全くなかった。前日遅くまで飲んでいてお風呂に入れなかった時でもYの匂いは全然気にならず、嫌悪感を抱いた事など一度もないのが自分でも不思議でならなかった。
同様に「初めて」に関してもそうだ。自分以外の他人で「初めて」信用できた人、「初めて」心を許せた人。
大嫌いな雨も一緒に居れば「初めて」好きになれた。私にとってYと付き合う事で初めの経験を多々してきた。

「匂い」や「初めて」はただの例えであって、きっと誰よりも自分らしく過ごせて、誰といるよりときめいて、誰よりも心安らぎ本当の自分になれる相手が探していたベストの相手なのだろうと思う。
きっとYは私にとってベストの相手だったという目に見えない「証拠」を確信していた。

でも妻の元へもどっていったYにとって私はベストの相手ではなかったのだろう。

これから死を迎えるまでにもうベストの相手が現れる事はないだろうが、一生のうちのたった7年間でもベストの相手と出会えたことは私にとって幸せだった。
だからもう後ろを振り返らずに強く生きていかなければ・・・。そう思う気持ちと裏腹にまだYの事を引きずりながら生きている情けない自分がいた。