どうして胸が 締め付けられるんだろう
僕の生活は何も変わってないのに
体の中 脈打つ血潮は
その答えを もう、知っている
同じ空の下で生まれて
小さな島国で育って
そうさ僕らに距離は関係ないさ
想いをつなげて さぁ歌おう
『頑張れ!』って僕の声が
もしかしたら僕の声が
誰かを勇気づけるかもしれない
暗闇に塞がれても
小さな光集めて照らそう
僕らの小さな島国を
出来る事は限られているけど
小さな事でも何でもいいのさ
やる理由はいくらでもあるけど
やらない理由なんて何もない
同じ空の下で笑って
小さな島国で泣いて
そうさ僕らはみんな家族だ
手と手を取り合い さぁ歌おう
『頑張れ!』って君の声が
もしかしたら君の声が
誰かを救えるかもしれない
哀しみに覆われても
小さな希望集めて照らそう
僕らの愛する家族を
『頑張れ!』って僕の声が
もしかしたら僕の声が
誰かを勇気づけるかもしれない
『頑張れ!』って君の声が
もしかしたら君の声が
誰かを救えるかもしれない
暗闇に塞がれても
哀しみに覆われても
負けないで 未来の子供達のために
愛を歌おう 勇気を繋げよう 子供達のために
RED HEL ARMY『勇気のうた』より
体の中 脈打つ血潮は
その答えを もう、知っている
同じ空の下で生まれて
小さな島国で育って
そうさ僕らに距離は関係ないさ
想いをつなげて さぁ歌おう
『頑張れ!』って僕の声が
もしかしたら僕の声が
誰かを勇気づけるかもしれない
暗闇に塞がれても
小さな光集めて照らそう
僕らの小さな島国を
出来る事は限られているけど
小さな事でも何でもいいのさ
やる理由はいくらでもあるけど
やらない理由なんて何もない
同じ空の下で笑って
小さな島国で泣いて
そうさ僕らはみんな家族だ
手と手を取り合い さぁ歌おう
『頑張れ!』って君の声が
もしかしたら君の声が
誰かを救えるかもしれない
哀しみに覆われても
小さな希望集めて照らそう
僕らの愛する家族を
『頑張れ!』って僕の声が
もしかしたら僕の声が
誰かを勇気づけるかもしれない
『頑張れ!』って君の声が
もしかしたら君の声が
誰かを救えるかもしれない
暗闇に塞がれても
哀しみに覆われても
負けないで 未来の子供達のために
愛を歌おう 勇気を繋げよう 子供達のために
RED HEL ARMY『勇気のうた』より
11年経ちました。
まだまだです。
まだ復興途中なんです。
11年前のこの大震災を受け、日本各地で防災への気持は高まってきています。
加えて、いつ来るやもわからない南海トラフ地震に備える、と言う防災意識は確実に増してます。
ここから先で書くことは『お前ごときが偉そうに』と思う方もいらっしゃると思いますし、それも十分承知の上です。
想定の範囲『外』を大袈裟なくらい過大に考えてみたらどう?
東日本大地震がマグニチュード9.0だから、マグニチュード9.3でも耐えられるものを・・・
同じく同震災の津波の高さが最大40mだったとして、45mの防波堤を作れば・・・
もちろん、予算との兼ね合いもあるのは重々承知してますけど
マグニチュード10.0でも耐えられる建物や、50mの津波をも防ぐ防波堤を、と言う考えは無いのかな?と。
そんなに予算ファーストですか?
人命より予算ですか?
と、オイラは言いたい。
大袈裟なくらいのものを作って、最初は『そこまでのものは・・・』『予算の無駄遣い』とか言われたとしても
イザという時『これのおかげで助かった』となる方がいいじゃないですか。
言い方が悪いけど、ケチって想定の範囲内のもの、想定外の最小値のものしか作らず、それを大きく上回る事態になったら・・・
それは東日本大地震の二の舞・・・になっちゃうよ。
本気で人命優先と考えるのなら、予算云々よりも、まずは『想定外すら想定内』にするくらいの対策取ろうよ。
人間は、どうやつたって天災には勝てない。
ならば、想定の範囲を大きく広くすることで『予防』はできるはずだから。
少しずつでいいから、予算ファーストの考えを人命ファーストにシフトしていってほしい。
11年前の震災で不本意にも亡くなられた方々だって、それを望んでいるはず。
『想定外の三文字で命を落として欲しく無い』
と。
最後になりますけど
あの日亡くなられた方々に対し、心から追悼の意を表するとともに
未だ避難先で暮らす方々が、少しでも早く元の生活に戻れますように・・・
1日でも早く『本当の意味の復興』と言えるように・・・
今年ももちろん、14時46分に黙祷させていただきます。