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イタンデイコウ!

ひっそりたたずむ、設備たち

参議院の設備たち 5

2017年06月13日 | その他
国産で賄えなかったもののひとつの「錠」。

  

錠部にはメーカー名と思われる「SARGENT」の表記があり、扉を開けた横の部分には



SARGENT77 LISTED F 804H と刻まれている。
また丸にULのマークもあり、



確かな製品というお墨付きである。


衆議院 おまけ

2017年06月08日 | その他
国会議事堂の特別参観では、構内でグッズの販売などがあり楽しめる。
中でも速記コーナーは盛況で、自分の名前を速記文字で書いてくれるのである。


  

自分の名前じゃないだろ、というツッコミはさておき、10年前も今もやることが変わりません。

衆議院の設備たち 4

2017年06月03日 | その他
国会議事堂の全体はこんなにも大きい。



これでは掃除も大変だ!ということで、館内には真空掃除機(バキュームクリーナー)が
設備されている。その吸引口(インレットバルブ)がこれ。(糸くずが挟まってるよ・・・)




これがそこここにあるのだが、その数は173個。
以前に見学した時はえらいことになったが、今回の見学ではスタッフが「今日は休日なので
止めています」と言ったので、フタを開けてみた。




コメントでlcx7672さんに「差込式」と教えていただき、かつ「負圧である」ことも教えて
もらったが、なるほどねじ込みではなかった。
資料によると「蛇管を抜き取りたる時自動的に閉塞する構造のものにして、弁の蓋には
凸起を有し、これにて蛇管を差し込みたる時其の脱出を防ぐものとす」とあり、ちょっと
意味がわからない(汗)。

文献でインレットバルブは同時に使用できる数が限られているとあったが、議事堂の場合
その数は両院とも6ヶ所、つまり12ヶ所である。主要な執務室が1階から3階と考えると、
衆参でそれぞれが各階で使えるのは2人までということになる。

施工は第1回真空除塵装置工事が三機工業株式会社、第2回が株式会社須賀商会。
掃除機のアタッチメントはカーテン用吸口を始め15種類あり、8個の格納箱に収納
されているらしい。

今年は70周年です 2

2017年05月25日 | その他
今年は品川区が区制70周年を迎えると書いたが、70周年を迎えるのは品川区だけではなかった。
正確に言うなら、今年は「特別区制70周年」なのだ。
東京に区は23あるが、特別区はこのうちの選ばれた区ではなく、23区すべてが特別区である。

公益財団法人特別区協議会のサイトによると、
戦後、昭和22(1947)年日本国憲法とともに地方自治法が制定され、「都の区は、これを特別区と
いう。」と定められたことにより特別区は誕生し、現在に至ります、とある。つまり23区はすべて
70周年を迎えたということになる。ここにも書いてあるが、日本国憲法も今年で施行70周年である。

これを記念して、衆議院の特別参観が5月3日(水)・4日(木)に行われ、参議院の特別参観が
5月20日(土)・21日(日)に行われた。衆議院と参議院は民間に例えるなら業務内容も社屋も
よく似ているが、違う会社である。そして社屋はつながっていることから、衆参の交流はたやすく
できるのである。通常の議事堂見学では館内写真撮影禁止であるが(外観のみ可)、特別参観は
撮影もできてツアー形式での行動ではないので、見たいものを心ゆくまま見れるのである。

ちなみに2007年に参議院60周年で参議院が、日本国憲法施行60周年で衆議院が特別参観を行って
おり、議事堂の撮影は10年ぶりであった。しかし、興味をもっているものが10年前と変わらないと
いうのもアレだな。

ははは

2017年03月17日 | その他


いや、まさか三越がこれをやるとは思わなかった(笑)

とはいえ、実は三越が苦手。この近辺に通勤していた時は、常に道路の反対側を歩いていた。
何かわからないけど、怖いんだよココ。だから前を歩けない・・・・

友人にその話をしたら「へっ?」て感じで、「ひょっとして天女?」と言われたが、
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。というか、あれに顔が向けられないので
実は何があるかよくわからない。顔のついたものが苦手なので、直視できない。
だから日本橋で買い物する時は、もっぱら髙島屋である。髙島屋は落ち着くんだよね。



弟の名は弐号じゃない

2017年02月02日 | その他
奈良ホテルと取り壊された大阪の精華小学校にあった窓枠のスナップ。
奈良ホテルでは階段の窓についている。








これが奈良ホテルに手紙で質問したらシカトされた設備?である。
戦時中の「灯火管制」用の布を留めるものだったのではないかと想像するが、
そういう文献を見たことがないので、未解決である。

古書店でそれが掲載されているかも、と一縷の望みをかけて買った
「防空遮光設備用暗幕と其の運用」。しかーし載っていなかった・・・・(しくしく)
この小冊子は日本遮光工業株式会社が発行しているが、著者は「田島壱号」。
この人は戦前のシャッターとサッシ業界で著名な人。田島は建築金物商会で
工場長をしていたが突如、機械を持ち出し、人を持ち出して独立するという
ドラマチックなことをしでかすのである。


田島壱号について

まさかこんなところで壱号に会えるとは!であるが、知らなかったがこの日本
遮光工業の社長であった。田島壱号には弟がいた。名前は忘れたが、弐号では
なかった。なんだよーと、ちょっと不服である。


書き取りと送り仮名

2016年02月29日 | その他
いま大正時代の「特許明細書」の解読に悪戦苦闘しているが、
内容がわからない!の前に立ちはだかるのが「漢字表記」。

以前に詠んだ本に書かれていたのは「六ケ敷コトナリ」。
しばらく考えていたが、これが「難しきことなり」とわかった時は、
かなり脱力。これはもう判じ物の世界である。
今回の明細書には「例令バ」の表記があり、これもしばらく考えたが
「例えれば」ということらしい。小学校から国語で漢字の書き取りや
送り仮名を鍛えられるが、昔の資料を読むと絶対的に必要なんだと
大人になってからわかるナリ。

表記はさておき、特許明細書が難しすぎる。当時の特許申請の関係者は
あの文章で理解できたのかと思うと、頭が下がる。

今年のニュース

2015年12月31日 | その他
毎日同じような生活をして、毎年同じような日々を重ねているので
特に書くようなことはないのだが、今年はニュースがある年だった。

まず引っ越ししたこと。そりゃいつものことだろうと思っちゃ、いけないよ。
引っ越しが「面倒くさく」なったんだよ、ようやく。それまでは宝くじが
当たったら毎年引っ越そうなどと考え、人生を80年としたらもう住める
家の数は限られるな、と悲しく思っていたのにだ。

そんな引っ越しの手続きのさなか、盲腸になった。
盲腸が破れて死ぬ目にあった人の話を聞いていたので盲腸恐怖症
だったが、とうとうそれと別れる時が来た!とはいえ今まで点滴すら
打ったことのない人間が、朝いちばんに診察して夕方には手術される
というのは結構キツかった。最近の盲腸は薬で散らす、と聞いていた
のでちょっとの養生で済むのかなと外科に回されたら、外科の先生が

「切りましょう!」
「いやいや先生待って、最近は薬で散らすんでしょう?」
「ええそうですね。でも切りましょう!」
外科の先生は切りたがるというか、手術ができるから外科を選んだと
いう話があるが、ホントなのか・・・と思っていたら切る人は別なんだと。
で、全身麻酔で腹腔鏡手術をやって、現在に至る。


引っ越しもやったら終わり、盲腸も切ったら終わり。その逆で今年の4月
から始まったのが、某雑誌への連載。毎月1ページという量だが、絶対的に
知識がない中で、見切り発車状態で書いているので不安はぬぐえない。
そういうものを読んでいただいた皆様、取材させていただき、快く掲載の
許可を与えてくださった関係者のみなさま、本当にありがとうございました。

来年もよいお年をお迎えください。

中を通るのはゴミ

2015年12月16日 | その他
超久しぶりに明治生命館を訪ねてみた。
設備に対する説明が少しだけ増えていて、嬉しい。
その説明で気がついたんだが、真空掃除機の管があった。


   

これまでは「インレットバルブ」にのみ目がいってしまったのと、
管は壁の中に収めてあると思い込んでいたせいかもしれない。
しかしここは何のために、わざわざこの作りにしたのかな?
壁にインレットバルブ、つけられるよね。
ちなみにフタをねじ止めしていない、つまり「クチ」が見られる
バルブはまだそのままだった。

一般公開されてから何度も足を運んでいるので、当初のような
感動は薄くなっているが、それでも学ぶことはいまだ多い。

憑き物が落ちました

2015年11月05日 | その他
頭の隅から片時も離れずに、ずっと考え続けていた
「なぜあの人は、私にだけありがとうが言えないのか?」という命題。
「憑き物が落ちる」という表現があるが、ああこういうことなのか!と
知りました。なんかもうね


「どーでも、ええわ!」

という気分になり、心に涼風が吹いたような清々しさを感じています。

自分のやりたいこと、やるべきことは、建物にひっそり残る使われなく
なった設備たちを悼むために調べて調べて、彼らに「弔辞」を読んで
やることだ。

あの設備もこの設備も放置してしまったが、しどろもどろながら
これからも、「君たちは素晴らしかった。技術の進歩につれてその
時代は終わったが、私は忘れない。お疲れさまでした」と、
悼んでいきたい。