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イタンデイコウ!

ひっそりたたずむ、設備たち

ブログを閉鎖することにしました

2023年10月21日 | 暖房
昨年の11月にとあるボイラーメーカーの担当者が、
こちらの意見を訊くことも事情を考慮することもなく、
一方的に大学の先生の著書校正の協力を決めてきた
ことは何度も書いたが、その後交流を謝絶するまでに
もらった数通のメールでいろいろ考えた。

「・・・この分野におけるご自身の知見を役立てたいとの
お気持ちもあってのことでしょう」と、あたかも私に
承認欲求があるかのような文もモヤモヤしたが、担当者は
「依頼されたから」調べたという経緯はお忘れのようだ。
また、3年にわたり続けた文献調査の成果を
「これまでの偏執的知見総動員して」と表現されたことで
心が沈み、立ち直ることがどうしてもできない。
ちなみにこのメーカーのヘリテージゾーンに展示されている
1/3は、こちらが提供したネタである。

8月の記事ではブログを続けるとしたが、そもそも
このボイラーメーカーとの接点を生み出したのがこの
ブログである。
このブログを書いていなければ・・・とさえ今は思う。
とはいえ電気関係の雑誌に連載するチャンスもいただいたので、
悪いことばかりではなかったのも事実。
過去記事を公開し続けることによって、再びド厚かましい
人に出会う可能性がある。所詮は趣味のモノ書きレベルで
そこまで苛まれる必要もないだろう。だから過去記事は
今年の分だけを残して「非公開」とした。

私は戦前のエレベーターの追っかけであるが、ここに至るまで
主要なメーカー、地方の保守会社、建物の所有者などさまざまな
人々にお世話なった。私の知識は彼らのパッチワークと言っても
過言ではない。人に親切にされた際のお礼は、次の困っている人に
返せばよいという恩返しならぬ、「恩送り」という言い方がある。
私もその親切のバトンを、次の困っている人に渡したつもりだが、
うまくいかなかった。今はただただ虚しい、それだけである。

これまでにこの拙いブログをご訪問いただいた皆さま、
コメント、助言を投稿いただいた皆さま、
本当にありがとうございました。

違和感の正体

2023年10月09日 | 暖房
もう数か月たちましたが、引っ越ししました。
以前の部屋は「角部屋」じゃないことが残念なだけで、これまでにない
5年という長い期間住んでいました。そんないい部屋から転居する
きっかけとなったのが、とある設備メーカーの担当者のメールでした。
これ「とある設備メーカー」とぼかした結果、違う業種を想像した
人もいたので、「とあるボイラーメーカー」とさせていただきます。

自社が戦前に製造していたボイラーでわからないことがある、という
質問がきっかけで3年にわたりメールで交流していたが、私が去年
病気で入院・手術した時にもメールは届いた。
私が病気に罹患したことでこの先の文献調査がどうなるか心配になる
のは当然だ。そこで不安を払拭するためにネタを送る問屋として
「今後も変わらずご愛顧ください(笑)」と返信したが、まさかこれが
Faciさん出番です!
これまでの偏執的知見総動員して、(メーカー名)の専属アドバイザー
の面目躍如の時です。完全ボランティアですが。笑」
と、
「変わらず」の中に東京の大学の先生の著書校正が含まれるとは
夢にも思っていなかった。私が
 ・このメーカーに教えてやる義理はない一般人
 ・毎日会社に勤める勤労者(ヒマな隠居ではない)
 ・病気で入院手術をした
という状況に対する配慮はせずに、私に関係ない著書校正を勝手に
決めてきた。そこで今後のメールのやりとりはしないと伝えれば
「私の言い分をちゃんときいてください。心からのお願いです」と
絶叫メールをよこすんだわ。配慮ない人間のそんなん聞くわけないじゃん。
で、・・・私はあくまで関係修復するつもりです、と書かれてもう
わたしゃパニック状態。そしてさらに以下のメールが届いたわけだ。

成果物ができたら送りますのでこそっとは見てください。
お礼に関しては別の形になるかもしれませんが
私としてのけじめは勝手に付けさせていただきます。
返信等は不要ですからそこはご理解を。


この2つの太字メールに共通するのが、こちらの意思を無視していること。
無視というより意思を聞く姿勢すらない。これは自分がこうだから
相手もそうだという独善、独りよがりの気持ち悪さしかない。

この「お礼に関しては別の形になる」メールで違和感を覚えていたのだが、
ようやくその正体がわかった。
このとあるボイラーメーカーの担当者は会社のアドレスを使い、会社の署名で
メールを送信している。だからこの関係は「会社」と私「個人」である。
相手を信頼できると判断し、自宅住所で発送して参考図書を貸したが、
のちに謝礼(手取り10万円)を捨ててまでこのメーカー担当者との関係を謝絶した。
問題なのは「会社」と「個人」の関係で知りえた自宅住所という個人情報を、
メーカー担当者「個人」が使用してこようとしている点だ。

これまでを見て、この担当者がこちらの状況に配慮しない独善的な特性が
ある以上、自宅に直接訪問もありうるのだ。

怖い怖い怖い
逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ


というわけで、引っ越しました。転居したくないのに、上に書いたような
心理状態で家を選んでいるので今の自宅に満足するわけもなく、実は旧宅に
戻ろうかと仮押さえまでしていましたが、それでは本質的な問題が解決しない
ので(笑)このまま我慢するしかない。もう金も体力も気力もないのが本音。
いや~義理なき他人に親切にしたらこのザマで、ぶっちゃけ死にたいですよ。

それまでまともだと思っていた「とあるボイラーメーカー」の担当者が
東京の大学の先生の出現でおかしくなっていったが、同僚に話をしたら
「それは嬉ションじゃね?」と。大学の先生じゃなくても、これまでに
接点のないマスコミとか偉い人が相手をしてくれたら、嬉しくて嬉しくて
ジョロジョロジョロなのかもなぁ。
まあ、この担当者は重役の覚えもめでたいようなので、会社から評価
されることでしょう。なぜならこのボイラーメーカーは創業140周年記念
事業のヘリテージゾーンでの展示資料を、0円で手に入れられたのだから。


馬車道駅のラジエーター

2023年09月13日 | 暖房
暖房用ラジエーターの下部が見える、といえば横浜の馬車道駅だ。
昭和4年に竣工した旧横浜銀行本店別館(元第一銀行横浜支店)の
設備部材が壁を彩る。




ラジエーターは2つあり、高いところのはほんとに高くて見えねぇ。



低いほうは五細柱の一段タイプ。両端に脚がないので
壁掛けとして設置されたものだろう。


 

デジカメは接写のために選んだ機種なので、望遠はちとキツイ。
だが、プラグの撮影に挑戦する。


 

「ニップルエス」マークにも見え、昭和鉄工の製品のようだ。
JISもないので戦前の品と思われる。高いほうのラジエーターは
五細柱の二段タイプ。これが見ることのできる下部である。




二段のほうもニップルエスのように見えなくもないので、
昭和鉄工製と思われる。







ラジエーターの見えない一面

2023年09月09日 | 暖房
暖房用ラジエーターは正面・側面・上部は眺められるが、
見ることができないのが下部である。例外的に見られるのが、
横浜・みなとみらい線の馬車道駅。この駅には周りの建物に
あった設備をオブジェとして壁面に飾り、展示している。
ここにラジエーターもあるのだが、
高い位置にあるのでよく見えないのが難点である。
展示品に前田鉄工所のボイラーがあるので、ラジエーターも
前田の製品と思っていたが、設置していた建物が違うので
メーカーは不明である。

この夏に郡山へ行ってきた。
特に収穫もなく歩いていたが、近代建築と思われる役所があった。






中を見ることができなかったので、外周を進むと
一部にドライエリアがあった。




んっ?あれは?と近づくと



ラジエーターが捨てられており、よく見ると天地逆さま状態。
これは見に行かねば !!!!!(笑)幸いにも立入禁止措置がなかったので
ドライエリアに降りていく。








五細柱のJIS品ということは、戦後の製品である。
メーカーはマークから前田鉄工所






見ることのない下部は、こうなっていた。



郡山は、まさかの大収穫でした。





15年間ありがとう

2023年08月27日 | 暖房
「とある設備メーカー」にいいように使われるきっかけとなった
このブログを、削除するかしないか考えていたら、ちょうど
15年目を迎えたことに気がつきました。
最初の投稿は2008年8月30日の「私の電話」。
設備の仕事に役立つわけでもなく、知識が豊富でもないブログを
ご訪問いただいた皆様、本当にありがとうございました。
15年たった現在でも近代建築愛好家のカテゴリーからは「異端」と
みなされる設備ですが、これからもひっそり残る設備たちに
「君たちは素晴らしかった!」と弔辞を読み、悼んでいきたいと
思います。イタンデイコウ!のタイトルは、ここからきています。

「とある設備メーカー」の文献調査を行ったことに対して担当者が
放った、最後っ屁みたいな一文。
「・・・この分野におけるご自身の知見を役立てたいとのお気持ちも
あってのことでしょう」
まるで私がメーカーに対して承認欲求があるかのような内容で
モヤモヤしていたが、先日読んだマンガでストンと落ちた。
そのマンガは、プロから誘いが来るほどの腕前を持つ楽器奏者が、
イヤなことを我慢してまでプロでやっていくつもりはない。だから
プロになれるとは思わない。アマチュアでも自分に嘘をつかず
気持ちよく演奏をしていきたい。目の前の観客を楽しくさせること
ができるなら満足だ、ざっくり言うとこんな内容だった。
この中では、奏者が観客に向かって
「オレにはこんなにすごい演奏テクがあるんだぜ!」
と見せつけることはない。というか、そんな考えすらない。

そう、私もこのメーカーが創業140周年を迎えるにあたり、質問が
来るから答えましょう、欲しい資料があるなら差し上げましょう
という気持ちしかなかった。そのための文献調査も楽しくて面白い
からやっただけ。もちろんその結果をメーカーが喜んでくれれば、
そりゃ嬉しいよね。
だからこの楽器奏者と同じで承認欲求なんてない。必要ないんだよ。
すべては私が楽しんだのだから。
・・と、やっと言語化できました(笑)

「もはや、謝る、許すとかの問題じゃなくてお互いの持つ心情の
幅なりベクトルなりの違いがちょっと合わなくなっている感じが
します」
最後にメーカー担当者から、こんな恥ずかしいほどの問題の
すり替えをされるとは思わなかったよ。ほぼ3年間は
「創業140周年記念事業のヘリテージルームを完成させる」で
ベクトルは合っていたはず。それをこの事業とは全く関係ない
大学の先生の著書校正をぶっこんできて、ベクトルを捻じ曲げた
のはあなたですよね。
・・と、このモヤモヤもやっと言語化できました(笑)
自分の中の感情を言語化するのに時間がかかるので、どうなるかと
思ったが、意外に早く昇華できてよかった。(長いと10年くらいかかる)

今まで積極的に追うことのなかったボイラーは、これからも追うことは
ないし、カテゴリー名から「ボイラー」を外しました。
この「とある設備メーカー」については、もう言及することはないが、
ただただ残念としか言いようがない。まさか担当者が「東京」の「大学」の
「先生」で、はっちゃけるとは予想していなかったしねぇ。

16年目に突入します。
更新はマメにできませんが、まずは過去記事の訂正をやります。
そういうわけで他人を「啓蒙」できないブログですが、今後もよろしく
お願いいたします。

堀とあげる祝杯

2023年07月29日 | 暖房
某メーカーが創業140周年記念事業でヘリテージルームを開設するので、
最後まで協力するつもりでいたが、メーカー担当者のこんなことや、
あんなことの仕打ちに、3年で逃げた。
先日までヘリテージルームがデモで公開されていたが、今月21日に
名前をルームから ヘリテージ「ゾーン」に変更して正式にオープンした
ようだ。
文中に「御料車に採用されたラジエーターの同一機と京都の小学校から
移設した昭和初頭のセクショナルボイラー2種は、いずれも同型の製品が
「建築設備技術遺産※」に認定される」とあるが、ちょっと誤解を招くかも。
移設したセクショナルボイラーの2種とは「アサヒ」と「トキワ」。このうち
技術遺産に認定されたのは、御料車のラジエーターとアサヒボイラーのみ。
この文だとラジエーターとボイラー2種の計3件が技術遺産とも読み取れる。
私が見つけたトキワはアサヒと同年同月発売の兄弟機なので、いつか
お兄ちゃんも認定されたらいいな、という希望をもっています。
どこからでも楽しめるヘリテージゾーンはこちらから

なぜこのメーカーに3年も無償で文献調査、資料の提供をしたのか。
それはメーカーが1973年に発行した90年史にある。

90年史には以下のように書かれている。
「斎藤製作所は、はじめいなかの小工場ではあったが、その製品は
世間で大いに賞賛され、当時の福岡県立病院長大森治豊氏や、
京都大学の大塚要、金子登、堀覚太郎諸氏の懇切な後援と指導を得て、
有力な高田商会を向うに廻して暖房器の商売をすることになった」

また創業者齋藤一の甥である斎藤省三は、1955年に藍綬褒章を受章
したが、受章時の自叙伝には
「明治38年、京大第四試問に入学、機械工場のマネーヂメントを
専攻することにした。従って、工学部の講義を傍聴、さらに、工科
大学の大塚教授、金子教授、堀助教授より特別のご指導を受けた
ことは終生忘れられない」とある。

そこには私が長年追い続けている、ウィキペディアすらない堀覚太郎
(京都帝国大学教授・工学博士)の名前が書かれている。ちなみに
この文だけでは堀覚太郎が「いつ」「何を」していたのかはわからない。
言えるのは(堀が1929年に死去しているので)少なくとも90年史では
44年前のことを、斎藤省三は26年前の感謝を記していることである。
義理堅いメーカー及び人物という印象とともに、堀の名を後世に伝えて
くれたことに、今度は私が感謝の意を表すべきだろう。
今回の文献調査の新たな発見は、1908年に堀覚太郎がこのメーカーの
顧問技師として在職していたことである。メーカーは65年の長い
歳月が過ぎても、堀に対する感謝を社史で表していたのだ。




だから、メーカー担当者が「この分野におけるご自身の知見を役立てたい
とのお気持ちもあってのことでしょう」と書いてくることが、
ピントはずれ。担当者には、私がこのメーカーのファンで、
喜んで自らその身を捧げるストーリーしかないんだろうな(失笑)
このすべてが終了したらと、祝杯用に買っていた酒。
2年前から楽しみにしていたが、堀を偲びつつ飲むことにしよう。




そもそも、このブログがきっかけでこんなことになったのだ。
ということでこのブログの削除も考えていたが、ボイラーの
ブログじゃねえしな!ということで自身と折り合いがつき、
細々と続けることにしました。
取るに足らないブログですが、今後ともよろしくお願いいたします。



問屋の矜持 2

2023年07月08日 | 暖房
物事にはタイミングというものがある。
これまで3年にわたり「とある設備メーカー」の担当者とメールのやりとりで交流を
進めてきたが、終焉を迎えたのは「とある大学」の先生のおかげである。といっても
先生は何もしていないが、その登場のタイミングが私を救ったのである。
なので先生には感謝しかない。見知らぬ先生だけど、ありがとう!

先生はご自身の著書の関係でこのメーカーとやりとりしていたようだが、メーカー
担当者が先生に
「当社も(略:いろいろな設備)の歴史に詳しい外部アドバイザーにいろいろと相談
しながらヘリテージルームを整備中です」

と送ったところ、これだけで私の存在が先生にばれたようだ。そこであの文章が登場する。
「Faciさん出番です!
これまでの偏執的知見総動員して、(メーカー名)の専属アドバイザーの面目躍如の時です。
完全ボランティアですが。笑」
この件でメーカー担当者に「激おこ」のタイトルでメールを送ったが、このタイトルは
正確ではなかった。怒るという感情は相手に「何か」を「どうにかしてほしい」という
希望要望もろもろを含んだものだから。偏執的知見の語で身体から力が抜け、モニタの
前で涙するしかなかった私に、怒る力はなかった。メーカー担当者が一方的に、私が
先生の著書校正をするかのような話をつけてきたが、この文は「Faciさんの凄さを先生に
見せたかったとの気持ちです。先生がFaciさんに指摘を請うたことの喜びでした」だそうだ。
ええと(困惑)そこに私の気持ちは全くないよね?それは
「うちにはこ~んな凄い人がバックにいるんだぞ」と、
先生にひけらかしたいとしか解釈できないんだが。
注:異端で無能なだけで、どう考えても凄い人ではないです。

私の立ち位置が問屋で、メーカーは客先の認識でつきあってきたが、だんだん問屋の範疇を
超えることまで要望してきた。例えばメーカーで使用する文章の「推敲」。文の流れや言語の
選択等を全体的にみる作業である。校正なら内容のチェックも兼ねて実行しないと危険なので
受けるが、推敲となると社内でやるべきものなのでは。このメーカー担当者もそれをわかって
振ってくる。まあ私としては「面白い」からやるけど、そこまでさせておいて偏執的知見と
書かれるとはね(ため息)

ちょうど去年の7月の今頃は手術・入院をしていた。あれから1年たち、6か月点検も無事に
終わりました。罹患した疾病は人によっては余命宣告を受けるものだったが、幸いにも受ける
ことなく済みました。メーカー担当者にいらぬ心配をかけないように、病理検査の結果と
ともに「余命宣告は受けなかった」と報告した。するとこのメーカー担当者は何を思ったか
9月になって

「Faciさんの持っているエレベーター関連の資料って就活で処分する時(失礼)、どの企業が
一番欲しいんですかね」

とメールしてきた。就活はおそらく終活の誤記と思われるが、驚いたよ。余命宣告を受けた
なら考えなくちゃいけないことだろうが、まさか「死ぬとき資料どうする?」という質問が
くるとは思わなかった。これは話を振るタイミングが悪いのと、「終活」の語を使わずに
要件を伝えられたのではないかと思ったが、あまりの配慮のなさに2か月後「激おこ」
メールを送ったのである。
だから「私はあくまで関係修復するつもりです」と書かれても、イヤですがな。

もし資料が欲しいならもらう予定だった謝礼が浮いたので、それで購入できるはず。
10万円あれば相当な資料が購入できる。資料を集めている人は、時間も金もかけて
手に入れているんですよ。私が持っている資料であれクレ、これ送れとお願いされて
要望に応えていたけど、そういう背景に対する敬意はないんかね。

なぜこの件を赤裸々に書くのかというと、「とある設備」メーカーに
「ヘリテージルームの開設まで協力すると言っていたのに、Faciは途中でぶん投げた」と
思われても心外だから。善意の第三者としての協力で、これ以上不快な思いをさせられる
いわれはない。さらに言えば最初に、この分野はわからんし詳しくないとクギを刺している
のに、メーカーのほうからグイグイきて、しかも交流終盤の11月に届いたメールでは
「この分野におけるご自身の知見を役立てたいとのお気持ちもあってのことでしょう」と。
質問が来るから回答していたのに、まるで私がメーカーに対して承認欲求があるかのような
感覚で捉えられていたとは驚きだ。私が長年追い続けて調べている京都帝大の教授が、この
メーカーとかかわりがあるようなので協力していると、何度も伝えているんだけどね。

何はともあれ、創業140周年おめでとうございます。
発見その3で見つけた製品が、いつか建築設備技術遺産に認定されることを
心から願っています。実はこれも視野に入れて本を貸しました(笑)
こんな結果になりましたが、3年間エキサイティングで本当に楽しかった!
文献調査を進めていくうちに、目に見えぬ何者かに操られて誘導されていくような
感覚がつきまとう、不思議な3年間でした。ありがとうございました。

問屋の矜持

2023年07月01日 | 暖房
しばらく精神的にブログが書けない状態になっていました。
3年にわたり「とある設備メーカー」の担当者とメールのやりとりで交流を進めてきたが、
メールの内容は一貫して「戦前の自社製品についてわからないことがある」という問いに
対し、回答を送るというもの。このメーカーは今年創業140周年を迎えるので、新しく
社史を発行する計画もあってのことらしい。ちなみに創業130年でも記念誌を出している
ので、スパン10年での社史発行となると社内から「本当に必要なのか」という意見が出て
くるのではないかと危惧していた。また内容が130年記念誌の焼き直しとなると「それは
本当に必要だったのか」という意見は出てくるかと。心の中で「新ネタがないとスパン
10年の壁は越えられんな」と思っていたが、この3年で新ネタを3つ発見した。

発見その1 一度だけこのメーカーの社史に「名前だけ」登場する京都帝国大学教授が、
   明治40年前後にこのメーカーの技術顧問をしていたことが複数の資料から判明
発見その2 このメーカーに残された明治時代に撮影された写真。男子4名のうち3名は
   創業家一族とわかっているが、残りの1名が100年以上にわたり誰だかわからな
   かった。これが前記の京都帝大の教授とほぼ判明
発見その3 このメーカーが昭和5年6月に新製品を2種類同時に発売したが、売れな
   かった機種で幻とも言える実機を発見した

ところが、ここに「とある大学」の先生が登場して場面が暗転していく。
このメーカー担当者はこちらの事情を何ひとつ考えることなく、先生の著書校正を手伝う
ような話にもっていった。紹介も打診もないので、私はメーカーから「人身御供」に差し
出された感覚である。で、勝手に話をつけてきた挙句のメールの文がこれ。


これからしばらくオープンにしていろいろな関係者に校正に近いことを
お願いするみたい。
Faciさん出番です!
これまでの偏執的知見総動員して、(メーカー名)の専属アドバイザーの
面目躍如の時です。
完全ボランティアですが。笑


まずこのメーカーの専属になった覚えもアドバイザーになった覚えもない。
以前に自分の立ち位置をはっきりさせるために、ネタを提供をする「問屋」のようなもの
と伝えてある。こちらがネタとして「卵」「鶏肉」「玉ねぎ」を納品して、メーカーが
「親子丼」を作るか「チキンライス」を作るかは関知しない、ということ。
ここでメーカーが私を「駒」だと思っていることがわかった。だから紹介も打診もなく、
勝手にボランティアとして売ることができたのだと。
この先生はコメントでメーカー担当者を「建築設備の歴史を愛好する者同士の繋がりに
貢献したいという善意」と書いてくれたが、私にそれを信じる力はもうない。
というか「先生とメーカー」のラインと「私とメーカー」のラインは互いに見えないはず。
なのに善意・悪意にしろ私の存在を他者にバラしているのはクソだと思ったよ。

次に「偏執的知見」である。この言葉そのものは無味無臭である。使う人、その状況で色を
帯びていく、言葉とはそういうものである。これがひとつのことを探求していく諸氏が
放った言葉なら、おまえもなかなかやるなの「賞賛」であり、友人からなら「エール」と
捉えることもできる。
この場合はどうだろう。このメーカー担当者はおそらく文献調査の経験がない。
それなのに3年という長い期間、専門家ではない部外者に文献調査を丸投げた上にその成果を
「偏執的」と表現するのである。この担当者は途中から私のことを「友人」と書いてきたが、
私は相手を友人だと思ったことは一度もない。私の友人なら文献調査の面白さ大変さを知って
いるからこんなことは書かない。揶揄しているとも考えられるが、途中から私のことを
「リスペクトしている」とも書いてきた。どちらにしても敬意を表している相手に対して書く
言葉ではない。このメールをもらった時には衝撃で、モニタの前で静かに涙を流すしかなかった。
同時にこの担当者をつかんでいた手がすっ、と離れたのを感じた。このメーカーでは創業140周年
事業で、これまでの社業を回顧したヘリテージルームを1億5千万円かけて開設する予定である。
(検索するといま3Dウォークのデモが見れるようです)
この開設まで拙いながらも伴走していくつもりであったが、もうそれもない。自社のための成果を
正当に評価できないメーカーからもらう謝礼(手取り10万円)もいらぬ。専門家に依頼したら
こんな金額ではすまないんだけどね(笑)

偏執的知見のメールが11月に届き、すぐに「もう交流はしない」と返信したが、
ようやく「さようなら」の文字を引き出せたのが翌年の1月。
メーカー担当者は「私はあくまで関係修復するつもりです」と書いてきたが、
それはそうだろう。
問屋に逃げられたら自ら文献調査をしなければならないし、もしくは次の獲物を探して
こなければならないから必死になるわけだ。発見その3で幻とも言える実機を発見した
と書いたが、このメーカーにカタログはあるが図面が残っていないんだそうだ。この
実機は回収されてヘリテージルームに展示されたが、回収するかしないかどういう
結論になるにしても社内的に説明できないのは困るでしょうと本を貸したんだが、
レターパックの青い色を見た時には「クラッ」ときた。レターパックの青色タイプは
「追跡」できるが、違うポストに入れられたらアウト。私は紛失を恐れて手渡しの
赤色タイプで発送したので、まさか社を代表する広報担当にこれをやられるとは
思わなかった。後々このメーカー担当者が自分が利すれば他は考慮しないという性格
だとわかって、この件も納得した。

発見その1は実は12月にわかった。もう何の義理もないので教える必要もなかったが、
「知っていたのに」・・・「教えなかった」という図式が頭に残っても不快なので、問屋の最後の
矜持として教えてさしあげた。
この3年が私にとって黒歴史とならなかったのは、このメーカーのために動いたわけじゃなかった
からだ。ゴール設定が長年追いかけている京都帝大の教授とこのメーカーのつながりを知る、
だったのでゴールテープを切ることができてよかった。

とにかく謝礼よりもほしかったのが、このメーカー担当者との謝絶だった。
もう接触してくんな!と伝えているのに「個人的にお礼を送る」といった気持ち悪い
ことを書いてきたので、本のやりとりで自宅住所を知られていることもあり引っ越した。
すごくいい部屋で、奇跡的に5年も同じ部屋にいたのに。
友人の皆さま 携帯番号も変えました。連絡手段を全部捨ててごめん。

・・・私はあくまで関係修復するつもりです
他人に間合いを詰められる「強迫」に弱いので、この言葉がトリガーになって、
軽くパニック状態だったんですわ。だから逃げるしかないし、今でも怖い。
関係ないメーカーのためにここまで尽力したのに、何が不満だったんすかね。


私の時間は、私だけのもの

2023年01月01日 | 暖房
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

趣味の一環でさまざまな設備を扱うこのブログを書いているが、本来の趣味は
紙媒体でエレベーターの話を書くこと。2001年1月の発行開始から未だ目標の
100号に到達していないし、最新号は2019年5月の92号という有様である。
この遅れの理由のひとつが、3年にわたる「とある設備メーカー」とのメールを
通じての交流。この「とある設備」には詳しくないし、わからないと伝えたが
質問がくるので知っている範囲で回答していた。メールの頻度は4.8日に1通。
この繰り返しが3年続いたわけだ。
詳しくないのに回答できるのは、この設備に関しての国内外の資料を10年にわたり
集めていたから。だから目の前の小川を飛び越えられずに足踏みしている人がいれば、
持っている木板で対岸に渡す程度はできる。飛び越えれば次の新しい景色が見られる
のなら、足踏みしている時間はもったいないではないか。
自分の趣味じゃない分野にそこまで関わる必要もないが、このメーカーの社史に
私が長年追っている戦前の大学教授の名が1度だけ登場する。依頼されたわけでも
ないのに文献調査を「無償で」行ってきたのはこれが理由であり、これこそが私を
動かす原動力であった。「善意の第三者」なる言葉は法律用語らしいが、この3年を
表すならこの語であろう。
私はこのメーカー関連の社員ではないし、取引先でもないからだ。

メーカーが出す「あの図版が欲しい」「この詳細が知りたい」といった要望に応える姿は、
例えると「問屋」である。自社の倉庫(本棚)に回答がなければ他店(図書館・公文書館等)に
出向いて調達してくるわけだ。なぜ無償でそこまでするのか。それは文献調査を通じて
これまでとは違う大学教授の姿を知ることができ、それが面白いからだ。また担当者が
アレコレと要望を出すのは、メーカーが小規模ながら企業博物館を開設するという事情も
あった。この時点ではムチャブリはあるものの互いにバランスがとれており、良好な関係
だったと思う。担当者は謙虚だったので、ムチャブリも「そう来たか・・・」と思うだけで、
どう解決していくかを考えるのは楽しかった。

話は変わり、とある大学の先生が本を書くに当たり、資料を使いたいとメーカー担当者に
連絡してきたそうだ。メーカー担当者が先生とやりとりをするうちに、先生がこのブログを
ご存じだと判明した。

ここから急に話がおかしくなる。

ある日メーカー担当者から送られてきたメールは、私がこの先生の著書の校正をやると
決定しているかのような内容だった。しかも報酬はないボランティアだと。
それは「こういう話が出ましたが、どうですか?」という打診でも紹介でもない。
先生には私をこのメーカーの外部アドバイザーと紹介したそうだ。私の立ち位置は
アドバイザーではないし、専属になった覚えもない。あくまでも私は納得したうえ、
好きで活動している「善意の第三者」である。つまりメーカー担当者は言い換えれば、
私が趣味の時間を犠牲にして成り立たせているメーカーへの協力の他に、さらに名も
知らぬ先生のためにタダ働きしろと言っているのだ。
私の職業が会社員で、毎日勤労する身であるのも知っていながら。

ちなみにこの話を振ってきた理由は、私が「新たな展開に喜ぶ」と思っていたからだ
そうだ。いやいやいや、その数ヶ月前に私は「エレベーターの話が書きたい」と、
絶叫に近い要望をちゃんと伝えている。それに大学の先生の著書に対して疑義を
いれるなら論拠・物証の提出は不可欠である。働きながらメーカーの文献調査をやり、
さらに義理なき先生の著書校正って・・・

去年の大ニュースは一週間入院して手術を受けたこと。盲腸以来の手術となったが、
盲腸と違うのはその疾病が再発の可能性があるということ。だから今月は術後初めての
6ヶ月点検に行く予定である。メーカー担当者には病名を伝えてあるが、その背景も
ありながらのこの状況には言葉も出ない。

俯瞰すればこのメーカーは企業博物館を開設するにあたり、自ら文献調査をすることなく
労せず無償で一方的に成果という「利」を享受していることになる。一方私は好きでやって
いるとはいえ、知の満足以外に何のメリットもない。2年半経ったあたりから謝礼の提案が
あり頂戴する意向だったが、受領していない無償の時点でこの状況である。
メーカー担当者は「自分の利のために私を利用した感覚はない」そうだ。
会社の業務を会社のメールアドレスで行っていながら、それを言う?
こ、これはもうだめだ(笑)

メールに大学の先生が登場してから数日で、3年にわたる友好的交流を終わらせることに
なるとは思わなかった。
請求書を送るだけになっていた謝礼も辞退し、以降のメールもご容赦くださいと伝えた。

私の時間は、私だけのもの。それだけである。

目方でドン?

2022年12月28日 | 暖房
子供の頃に「目方でドン」なるテレビ番組があり、
おぼろげな記憶だと天秤はかりを模した装置の片側に
奥さんを乗せ、反対側に家電製品などを乗せていく
ゲームで、釣り合えばその商品が全部もらえたはず。
で、奥さんの体重はわからないようになっていたかと。

この重さがわからない、というのは放熱器も同じ。
規格で一節の高さ・幅・厚みは決まっているが、
重量の規定はない。製造方法が鋳物ということから
そこまで求めるのは酷であり、必要がないからだ。
だからどのカタログにも重量の掲載はない。
でも設計時に荷重計算をしなければならない場合は
困るよね、ということで日本放熱器工業組合が発行した
「鋳鉄製放熱器」には放熱器内容量やレーティングと
ともに重量表が記載されている。

具体的な例を挙げると、実際に採寸した成城学園にある
旧山田家住宅のラジエーター。



表によれぱ、高さ600の五細柱の一節の重さは8.30kg。
これが13節あるので、この放熱器は107.9kgということになる。
だから入場禁止の女中室(畳敷きの和室)の放熱器には、
敷板が必要なのである。




旧山田家住宅のスタッフの皆さま、採寸させてくれて
ありがとうございました。
この重量計算、やってみたかったんだよね(笑)