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三国志とそのあとの時代

2019-05-06 00:43:01 | 歴史2

三国志の結末(最後)ってどうなるの?というサイトで

内乱や異民族が原因らしいですが、そんなことはどうでもいいです。
三国志を勝ち残った国があっさり潰れることが許せないのです。
日本の戦国時代はその点、納得できますね。
天下を統一した徳川家康の江戸幕府はその後200年以上天下を治めます。
多くの人間の犠牲はあったものの天下泰平が訪れるのです。
そのための競争であり、戦争だったはずです。

と書いているが、そもそも日本の戦国時代と中国の三国時代は同じ戦乱の時代でもその時代背景が全く異なる
まず、中国の三国時代は人口の減少率が半端ない
漢の時代の人口は最盛期で2千万だったが、三国時代のころには人口が5百万と約1/4に減少している
一方、日本の戦国時代は同じ戦乱の時代でも中国の三国時代のような極端な人口の減少は起こらなかった
これが、天下統一した後に平和が訪れるか再び戦乱の世の中になるかの分かれ目だったのではないだろうか?
中国の三国時代は減少した人口を補うため、本来なら宿敵であるはずの異民族の移住を積極的に行った。
これは弱体化した軍事力を補うという意味であれば効果があった
しかし、ひとたび漢民族の統制が弱くなれば漢民族の領内に移住してきた異民族は自立を模索するようになる
それが漢民族と対立するきっかけとなり再び戦乱の世となる要因となる
ようするに中国の三国時代とそのあとに続く時代は異民族の侵入による混乱と秩序の再編の時代である。
それはローマ帝国がゲルマン民族の移動で滅び、その後キリスト教を掲げることで秩序を回復したヨーロッパと同じ文脈で語られるべきものだ

つまり、上記の引用文で例えるなら日本の戦国時代に相当するのは三国志の時代ではなく、世界史でいう魏晋南北朝の時代だ
日本の戦国時代の3英傑に相当するのは隋を建国し中華を統一した煬帝と隋の後を受け継ぐ唐を建国した李世民だろう
唐は江戸時代の徳川幕府と同様に約300年にわたって統一王朝を維持し、まさに世界帝国にふさわしい王朝となった
律令制という飛鳥、奈良時代の日本でも採用された制度も生み出している。

最後に

多くの人間の犠牲はあったものの天下泰平が訪れるのです。
そのための競争であり、戦争だったはずです。

を再掲します
結局、三国志時代とその後継王朝である晋の時代では激減した人口を補うためその場しのぎで招いた異民族との折り合いのつけ方を見せなかった
問題の解決は後の時代に託され、約300年の隋・唐の時代を待たなければならなかった
そして、その時代の漢民族が劣っていたということを意味しない
同じ異民族の侵入で混乱したヨーロッパも秩序を回復させるのにやっぱり約300年近くかかっている
三国志時代とそのあとに続く戦乱は
「侵入してきた異民族の価値観と中華思想の価値観をめぐる相克」
が、異民族との対決の歴史を持たない日本人には想像ができないくらい困難であることの証左なのではないだろうか?

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