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一碧万頃

隅田川に架かる橋④ 中央大橋

中央大橋

河口から4番目の橋梁は、中央大橋である。この橋梁もデザイン的にはとても目立つもので、ああ、隅田川の橋梁だなと意識させるものである。*個人の感想です。

2017年4月撮影

創架:1994(平成4)年1月 橋梁の完成は前年だと思われる<調査中>

形式:連続鋼斜張橋 2径間

製造:IHI

橋長:210.7m

幅員:24.0m

2020年2月撮影

 

中央大橋は、「3月のライオン」という漫画でスポットとなった橋。

隅田川に架かる橋としては、3番目に新しい。フランスにデザインを依頼。製造はIHI(横浜)。

流石に石川島重工業の本拠地たる工場があった石川島へ渡る橋梁をIHIが造らなくてどうする!その意味では、よくやったと思う。あっぱれ。

それにしても、中央にそびえ立つ柱は、兜をイメージしたデザインだそうだが、欧米人の日本に対するイメージでデザインしていると一見して分かる意匠である

 

2017年4月撮影 昔のNikkorレンズと銀塩カメラで撮影。

FUJI NEOPAN ACROSS 100 撮影の詳細は、忘れてしまった。

 

おまけ

「霊岸島水位観測所」

2017年4月撮影

A.P.0mを測るための観測所がこの水位観測所である。

 現在、霊岸島水位観測所は、水準原点を検証するための観測所としてはその機能を果たしておらず、三浦半島の湯壺検潮場がその役目を担っているらしい。ただ、補助的な役目を果たしているのか、定期的に点検をしているようである。

 この水位観測所は、もとは、1873(明治6)年に、オランダ人技師のリンドーが「荒川河口霊岸島量水標」を設置したことに始まるとされる。東京で高さを表す場合には、APを用いる。このAPは、ARAKAWA PEIL の略だそうだ。AP0は、ここで観測された最低水位を基に定められていたが、現在その役目は、上の湯壺検潮場にとって代わっているらしい。

 明治時代は、まだ永代橋から先は海であったし、佃島にも渡しで渡っていた。もとより、ここが海に出るための東京湾の河口であった。

 

 

「3月のライオン」の主人公である桐山零くんは、この0m観測所の0(零)とダブっているのかなあなんて思ったりしている。

2017年4月撮影 2点ともデジタルカメラ撮影

以上

増補検討中

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