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一碧万頃

江埼灯台

江埼灯台

2022年9月、江埼灯台を訪れました。

 昨年、瀬戸内海の灯台の一つ、鍋島灯台を訪れることが出来まして、とても感激したのですが、今年はなんと同じ明治期の灯台でさらに古い歴史を持ち、しかも鍋島灯台の初代三等フレネルレンズを格納、実利用しているとされる江埼灯台を見に行くことができました。うれしー。

2022年9月撮影 レンズ MINOLTA MC ROKKOR-PF  1:1.7  f=55mm カメラ  Nikon Z6 f.8  1/400

 江埼灯台は、今年の2月9日、重要文化財指定も受けました(官報による)。淡路島では建造物での重要文化財指定は初めてのことだそうですから、その第1号になります。

 内部が閲覧できるイベント日に訪れることが出来ればもっと良かったのですが、どうも、誰もいない時に灯台を独り占めすることを目論んで訪れるため(撮影のこともあり)、何度も訪れることが出来ない灯台に対しては、やはり、イベントがない平日に訪れることを選択せざるを得なくなります。とほほ。

 昨年は、灯台の日たる11月1日に鍋島灯台を訪れ(平日だったためイベント日ではなかった)、一人満悦しました。鍋島灯台に30分くらいいましたけれど、見学者には一人も会いませんでした。

 さて、今回の江埼灯台はどうでしょうか?

2022年9月撮影 NIKKOR Z 24-50mm f4-6.3 Nikon Z6

 明石海峡大橋を渡り、灯台のふもとに来ました。駐車場もありますので、助かります。

 灯台の模造品があり、一見、これが灯台かと間違えます。そんなはずないのですが・・・ここは公園(江崎公園)になっているようです。

2022年9月撮影 

公園の西側から階段で江埼灯台まで行けます。案内版は、「江崎灯台」と明記されています。

2022年9月撮影 

兵庫県南部地震で被災し、その復旧工事が行われたことを解説する案内版。
横ずれが分かるようにあえて、階段全部を作り直していないようです。

2022年9月撮影 

ご覧ください、なんだか階段が右に左にずれていたり、傾いていたりします。

2022年9月撮影 

 野島断層である地割れの部分は、出現した位置と形を出来る限り地表面に残すようにカラーコンクリートで舗装してあるとのことです。<燈光会HPより引用>

  ただ、ずれと傾きはわかりましたが、そこにばかり注目してしまい、カラーコンクリートの部分の撮影をすっかり忘れて、上ってしまいました。灯台は、この階段を上った上にあります。もちろん、山の頂上ではありません。

2022年9月撮影

登り切りました。なんか学校の門みたいですけれど、ここが灯台の入り口です。

2022年9月撮影 NIKKOR Z 24-50mm f4-6.3 Nikon Z6

 江埼灯台に着きました。いや-素敵です。震災で被災したとはいえ、その後、復旧しております。明治期のブラントン灯台そのままの部分がかなり残っていそうです。柵から中には入れませんので、この枠の外から撮影です。

2022年9月撮影

海上保安庁によるいつもの案内板が設置されています。

2022年9月撮影 NIKKOR Z 24-50mm f4-6.3 Nikon Z6

江埼灯台

所在地:  兵庫県津名郡北淡町
点灯年月日:  1871年6月14日(明治4年4月27日)
塗色 : 白色
構造 : 円形・石造
光り方:  不動赤白互光 赤5秒 白5秒
光りの強さ:  赤 24,000cd 白 62,000cd
光りが届く距離 : 19海里
構造物の高さ : 8.27m
海面から光りまでの高さ:  48.50m
レンズ:  第3等レンズ 電動しゃへい式回転機械
電源 : 商用電源

<燈光会HPより引用>

*建設当初の江埼灯台 現在の灯台と少し形が変わっているところもあります。間違い探し(笑)をしてみてください。

 現在、白い美しさで見とれる江埼灯台ですが、設置当初は塗装されていませんでした。灯室は白いようですが、この部分は、おそらく鉄か何かでできていたためでしょう。樫野埼や鍋島灯台の稿でも触れましたが、灯台研究生の論考を引用しますと(灯台研究生「明治期の灯台の話(65)男木島灯台」『燈光』第66巻第3号 2021年)、明治9年の『燈台表』の表記が「御影石造」となっているのは、未塗装の灯台であるらしく、明治9年時点で上の写真のような無塗装の灯台は8基あったようです。江埼、六連島、部埼、苫ヶ島、鍋島、釣島、角島、金華山です。ちなみに、「白色石造」と記されているのは、樫野埼、神子元島、剱埼といった最初期の3基だけだそうです。

2022年9月撮影 NIKKOR Z 24-50mm f4-6.3 Nikon Z6

設計者:R・H・ブラントン
灯塔の材料:家島産の御影石を使用

 江埼灯台は、兵庫(神戸)開港に向けて慶応3年4月に江戸幕府とイギリス公使パークスが結んだ大坂約定をもとに設置された灯台の一つです。下関戦争の賠償金支払いの延期を求めていたこともあり、その際に瀬戸内海に灯台を設置することを約束し、灯台設置のための機器を5カ所分、イギリス公使パークスに依頼して購入することにしたようです。この5カ所の灯台は、当江埼灯台(1870年5月建設開始)、苫ヶ島(友ヶ島)灯台(1870年5月建設開始)、和田岬灯台(1870年10月建設開始)、六連島灯台(1870年12月建設開始)、部埼灯台(1870年12月建設開始)となります。その後、鍋島灯台のように、さらに増設されてしまうのですが・・・

2022年9月撮影 NIKKOR Z 24-50mm f4-6.3 Nikon Z6

 平成7年(1995年)1月17日に発生した兵庫県南部地震は、この灯台の真近が震源地となったため、灯塔付属舎の石積のずれと灯台構内の地割れ、スベリ、陥没が発生した。これらの被災を後世に伝えるため、灯塔付属舎は石積をずらしたままで、目地モルタル詰替え補強を行っているとのこと。<燈光会HPより引用>

石積がずれているところが、震災の影響の部分でしょう。

2022年9月撮影

カメラと補助灯?の支柱でしょうか?ちょっと不勉強です。

2022年9月撮影

舞子方面を眺めます。大橋がすごい。

2022年9月撮影 NIKKOR Z 24-50mm f4-6.3 Nikon Z6

 さて、江埼灯台は、神戸(兵庫)開港に向けて、設置が進むのですが、先に記したようにイギリス公使のパークスに灯台の設置の依頼を行うわけですが、そこに記された当江埼(明石)灯台には、中等の灯台として記されていたようです(「大隈文書」)。中等とは、当然、明るさのことを指しており、レンズの等級で表されるものと同意だと推察されます。大隈文書では、上等と記されているのは、友ヶ島灯台と六連等灯台の二基でした。しかし、灯台研究生の論考によると、実際に灯台を設置される際には、江埼灯台以外の4灯台は、全て3等のレンズになったとされます。そして、当江埼灯台のみが、瀬戸内海で唯一、最初で最後の一等の灯台であったと報告しています(「江埼灯台(前編)」『燈光』第69巻第4号31‐32頁)。さらに、灯火装置も瀬戸内海の他の灯台とは異なっており、小さなフレネルレンズが付いたパラボラ型の反射鏡による照光器であったとしています。反射器付きの灯火装置の採用は、設計者のスティーブンソン兄弟が、耐震対策のために決定したもので、江埼灯台には、耐震装置まで付けられていました。この耐震装置のおかげか、1995(平成7)年の兵庫県南部地震の際、灯台や付属舎は、撮影した写真のようにずれたりしたようですが、レンズには脱落ずれが全くなく、台座が灯籠と同じく60度方向に最大で3センチずれたこと、0.5~1度の傾斜という微細な被害を受けただけで済んだようです(前掲論文32-42頁)。当耐震装置が付いた灯台は、日本で7基あったそうですが、現在は、江埼灯台と潮岬灯台の2カ所にのみ残されているそうです。ちなみに、悲しいかな、2024年元旦に発生した能登半島地震では、明治期の灯台として現存する禄剛埼灯台の二等不動レンズ(明治16年)が損傷したらしく、今後は、レンズが取り外され、新しい光源に交換されるとのことです(前掲論文42頁)。無念です。江埼灯台と同じく、禄剛埼灯台も震源地がほぼ真下のようでしたが、免振装置もなかった禄剛埼灯台は、さすがに耐えられなかったのでしょう。

 ところで、江埼灯台は、ケーキみたいな形に見えます。設置当初と異なり、機械室の屋根部分が傾斜しているようですので、初灯時の形だともっとパウンドケーキ部分に似ていると思います。灯室の部分をホワイトチョコで作り、機械室の部分をパウンドケーキで作ったら、灯台ケーキが作れそうです。一ラウンドで二つ作れるので、よりナイスかもしれません。

2022年9月撮影 NIKKOR Z 24-50mm f4-6.3 Nikon Z6

 さて、1等級の輝きを初点時から放っていた、この歴史的反射鏡付きのレンズは、1897(明治30)年に三等のフレネルレンズに交換されることになります。そして、現在、灯室の中で光を放つためのレンズは、鍋島灯台の初代三等フレネルレンズそのものだとされます。部埼灯台を経てこの伝統ある江崎灯台の灯室に格納されたのです(「明治の灯台の話(62) 鍋島灯台」『燈光』第65巻 第6号 2020年)。
 鍋島灯台(明治7年設置)は、ブラントンが大坂約定の5灯台に、さらに3基の灯台を追加した灯台の一つで、三等フレネルレンズが設置されていました(本ブログ、鍋島灯台の項も参照していただければ幸甚です)。

2022年9月撮影 レンズ MINOLTA MC ROKKOR-PF  1:1.7  f=55mm  カメラ  Nikon Z6  f.8 1/400

  ううう、いまいちよく見えない。でもフレネルレンズであることはわかります。

 今回、持ち込んだオールドレンズは、六甲の名がつくミノルタのレンズです。日独写真機商店から始まるミノルタの故郷、神戸の地ではミノルタで撮影したかったのです。ロッコールに敬意を表し、持ち込みました。ニコ爺の僕ですが、ミノルタのレンズって、結構好きです。ミノルタレンズ付きα100を持ちこもうか悩みましたが、銀塩写真も撮りたかったので、昭和のミノルタ機とレンズの持ち込みです。

2022年9月撮影 NIKKOR Z 24-50mm f4-6.3  50mm f/8  1/640

2022年9月撮影 NIKKOR Z 24-50mm f4-6.3 Nikon Z6

 日時計もあります。当時のままでしょうか? 退息所などの一連の施設があった方が雰囲気はあるように思えてきました。でも、灯台は素晴らしいです。大きな灯室がちょこっと載った感じがよいです。

 沈胴式のレンズみたいな灯塔の灯台とはまた違った魅力がありますね。最近、このような灯台が好みになってきました。

2022年9月撮影 レンズ MINOLTA MC ROKKOR-PF  1:1.7  f=55mm カメラ MINOLTA SR-1s Y2フィルター FUJI  ACROS NEOPAN 100

いつものお約束、銀塩カメラでも撮影しました。カメラ・レンズともミノルタです。

2022年9月撮影 MINOLTA MC ROKKOR-PF  1:1.7  f=55mm,  MINOLTA SR-1s Y2フィルター FUJI  ACROS NEOPAN 100

逆光のわりに良く撮れました。

2022年9月撮影 MINOLTA MC ROKKOR-PF  1:1.7  f=55mm Y2フィルター + MT AUTO TELEPLUS 2X,

MINOLTA SR-1s, FUJI  ACROS NEOPAN 100

2022年9月撮影 MINOLTA MC ROKKOR-PF  1:1.7 f=55mm, Nikon Z6 

2022年9月撮影 MINOLTA MC ROKKOR-PF  1:1.7  f=55mm + MT AUTO TELEPLUS 2X,  Nikon Z6 

上記の写真をトリミングします。

1871年6月14日点灯・和暦では明治4年4月27日始動を表す標示

2022年9月撮影 NIKKOR Z 24-50mm f4-6.3 Nikon Z6

 灯台と日時計しか残っていなくて、寂しいけれど、灯台は、よくぞ明治期のものを、震災後も新しく再建せずに残してくださいました。ありがたや。

2022年9月撮影 日時計

2022年9月撮影 NIKKOR Z 24-50mm f4-6.3 Nikon Z6

海峡を見納めして、岩屋港に向かいます。かつて、この灯台に勤務していた方やご家族は、ここから5キロほど東にある岩屋まで、歩いて行ったそうです。お店や病院、学校があるからです。

 

岩屋港

2022年9月撮影 NIKKOR Z 24-50mm f4-6.3 Nikon Z6

岩屋港に向ったのは、このクルーズ船に乗るためです。

 クルーズ船「咸臨丸」(なんていう名前でしょうか!船内に幕末明治時代の船の歴史を勉強できる資料館もあります。素晴らしい。)です。ご存じ、かつての咸臨丸は、1860(万延元)年に木村摂津守、勝海舟、福沢諭吉などが乗船してアメリカに向かった輸入オランダ船です。日本人だけでは実際に運航が難しく、往路は、同乗したアメリカ人の士官や船員頼みだったようですが・・・

 

2022年9月撮影 NIKKOR Z 24-50mm f4-6.3 Nikon Z6

 実は、クルーズ船に乗船したのは二日目でして、写真も江埼灯台を探索した翌日のものです。江埼灯台を訪れた日は、岩屋港を下見し、絵島を見学した後、舞子に戻りました。

2022年9月撮影 NIKKOR Z 24-50mm f4-6.3 Nikon Z6

 現在の「咸臨丸」に乗船し、江埼灯台を眺めます!!上下の灯台がなんとも面白い。
下はフェイク(笑)、点灯しないので。

 このクルーズ船、とても楽しかったです。個人的すぎる感想ですが、今まで乗った観光クルーズ船の中で一番良かったです。観光の解説もよいですし、船内に簡単な資料館もついていますし、いろいろ堪能できます。

 

舞子台場跡

舞子・明石側に戻ります。時系列でない紹介ですみません。

2022年9月撮影 NIKKOR Z 24-50mm f4-6.3 Nikon Z6

明石藩舞子台場跡にやってきました。1863(文久3)年に勝海舟が指導して、明石藩が築造した台場です。
対岸の松帆台場(淡路側の明石大橋の橋脚近くにある)と併せて、明石海峡を通る船を挟撃するためです。

2022年9月撮影 NIKKOR Z 24-50mm f4-6.3 Nikon Z6

明石側から淡路島を眺めます。江埼灯台はまだ光を発していませんね。

2022年9月撮影 NIKKOR Z 24-50mm f4-6.3 Nikon Z6

明石大橋 今回は、橋のうんちくはやめておきます。

とりあえず、以上です。

2022年の夏の旅でした。

以上

2024年9月加筆・修正

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