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子供が突然亡くなるというこの世で最も沈痛で悲しい事件が起きてしまったら、理性をもって、そのような悲劇を招いた目に見えない危険と不足点を探し、亡くなった幼い命を、自らの覚醒とするに足る価値あるものにしなければならない。人の模範となるべき学校の教師が故意に子供、それも自分たちの教え子の命を奪うなど、誰だって思いもしないことだが、現実に、子供が学校で死亡する事件が起こっているのだ。
ならば私たちは、その実践において(子供の死亡事件においてすら)絶えず総括し、評価し、安全を完璧に確保できるよう弛まぬ努力を続けなければならない。特に、子供の命を守るセキュリティーシステムは、学校のトップの通常の責任というだけではなく、これは根本的に学校を統括する者の法的職責である。学校を統括する立場の人間が、まさに真剣に自らの職責と向かい合い、自身の職責に畏敬の念を抱き始めてようやく、誠実に安全の大切さに向かうことができるし、一人ひとりの子供の命への敬いの気持ちも生まれるのだ。
もちろん社会や政府は、教員たちが自覚し重視する学校の安全、および子供の命の大切さへ敬いをもつという希望を、教員たちの道義、道徳観に対する自覚に委ねることを許していない。なぜならそれは、危険な状態を放任することに他ならないからだ。決して姑息な妥協をしない司法による戒め、科学的かつ実行可能な規制制度、さらには職務怠慢者の責任を追及し処罰する制度、これらはみな欠かせないものだ。
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