春秋時代の魯国、姓は閔(びん)で、名は損(そん)、字(あざな)は子騫(しけん)という人がいました。彼は幼い頃、母親が不幸にも逝去しました。父親は後妻を娶(めと)り、後に後妻は2人の弟を出産しました。
継母は普段から子騫にとても良くありませんでした。厳しい冬、継母は実の子2人に屋外で遊んでも寒く感じない暖かい綿入れの服を着せましたが、可哀そうに子騫には蘆(あし)の穂を詰めた服しか与えませんでした。冬の最も寒い時期に、北風が骨身を刺すほど寒くて、子騫はいつも寒さで手足が凍え、顔も紫色になりました。しかし、継母にこれほどひどく扱われても、子騫は文句一つ言いませんでした。
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