ブログもいったんやめようとおもったこともありながら,結構長いこと続いている。
日記代わりということで、その日になにがあったかを思い出せればいいのだから、思いつくままのだらだらした文章でもなんら差し支えないといえばない。
ブログは公開されているものとはいえ、読む人が多いわけでもなく、また,多くの人に読んでもらおうという大それた考えもないので,日記の公開バージョンと割り切ってしまえば,下手なダラダラの文章でも,特に問題はない。
ブログは公開されているものとはいえ、読む人が多いわけでもなく、また,多くの人に読んでもらおうという大それた考えもないので,日記の公開バージョンと割り切ってしまえば,下手なダラダラの文章でも,特に問題はない。
ところで最近,こうやってiPhoneの文字入力に凝っており、Evernoteに随想というノートまで作成している。
うちの奥さんはオンラインゲームどっぷりのおかげか,話す速さでキーボードを叩く。そこまでを目指すわけではないが,iPhoneのフリック入力というやつ,慣れればキーボードを叩くより早いのではないかという気になっている。
随想というノートを作成した動機は,もちろん何か文章を入力したいということなので、どんな文章でも構わないといえばその通りなのだが、それこそその場合,あとで読む価値がないのはライフログにさえならない分,日記以下ではないか。
さてそうなってみると、随想まで思いつくままのだらだらした文章で、あとで読む価値のないようなメモの量ばかり増やしても何か意味があるのだろうかという疑問に行き当たる。
そこでここは文章力の向上も目指して、起承転結などの構成を事前に考えた文章を心がけることが大事ではないかと思い至った次第である。
ということで、結果としてこの文章は起承転結になっているだろうか?
どうも違う感じがする。