軽井沢版*エッセイスト

軽井沢に移住したイキメン鴨志田が、エッセイストに!?

ヨーロッパ一人旅~1990.5.31(木)Mozart@SALZBURG

1990-05-31 15:00:00 | エッセイ

ブログ『軽井沢版*エッセイスト』⇒RSS登録はここをクリック

■■
□地下室で荷物を整理していると、1冊の手帳を見つけました。

■■
□懐かしい・・・。この黒い小さな手帳。私が、大学時代、ヨーロッパ一人旅をしたとき、共に旅をし、思ったこと、感じたことを綴ったメモ帳なのでした。

■■
□1990年5月21日から6月19日まで、私は、大学を積極的にさぼり、ヨーロッパへ旅立ちました。

■■
□まあ、実際は、そんなにかっこいいものではなかったんですけど。でも、今の私を支えているもの、原点がここにある、それは確かなことです。


■■
□あこがれのザルツブルク。ドイツからオーストリアへ。

ザルツブルク - Wikipedia

■■
□ザルツブルクは、モーツァルトやザルツブルク音楽祭でも知れらる音楽の街。

ザルツブルク音楽祭 - Wikipedia

■■
□ちなみに、我が家が移住した軽井沢にも、移住後まもなく、大賀ホールが開館したことをきっかけに、近い将来、軽井沢が、ザルツブルクのような音楽の街になればいいな~と、夢見ています。

軽井沢大賀ホール - Wikipedia

■■
□まずは、Mozartの生家&博物館へ行ってみました。行ってよかった。ここだけでも、ザルツブルクへ足を運んだ甲斐がありました。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト - Wikipedia

■■
□その後、気の向くままに、ザルツブルクを散歩し、再び、ミュンヘンに戻りました。

■■
□その夜は、薮田と、ドイツの歴史に残る有名なミュンヘンのビアホール・ホフブロイハウスへ行ってみました。

Hofbräuhaus München<ホフブロイハウス>

■■
□ホール内は、大盛り上がり。我々も、その場でいっしょになった連中と盛り上がり、久しぶりに、食べ過ぎ飲み過ぎのいい気分。

■■
□放浪の1ヶ月間で、後にも先にも、食べ過ぎた日は、この日だけなのでした。それにしても、黒ビールはうまかった。

■■
□前日、泊りはじめたホテル。Twinしかなく、やむなく、85М+85Мの2泊でチェックインしたんですけど、薮田とシェアすることに。結果オーライとなりました。

■■
□ミュンヘンに来てよかった。明日は、いよいよ、ベルリンに向け旅立ちます。






■ルート■

◇7:22/МUNCHEN
  ↓
◇9:29/SALZBURG

◇16:30/SALZBURG
  ↓
◇18:25/МUNCHEN


すべてのエッセイ・リストはこちらから


☆『軽井沢ブックセンター』やってます!

軽井沢ブックセンター~カントリージェントルマンが出会った素敵なアイテムをシェアしたい


☆軽井沢情報はこちら

軽井沢の天気予報
国道18号ライブカメラ@軽井沢追分
浅間山ライブカメラ


☆こんなフォトアルバムもやってます!

PACフォト~『プリン』という名のねこ~

PACフォト~軽井沢Salon~

PACフォト~2004軽井沢Salon~
PACフォト~2005軽井沢Salon~
PACフォト~2006軽井沢Salon~
PACフォト~2007軽井沢Salon~
PACフォト~2008軽井沢Salon~


☆こんなブログもやってます!

軽井沢ブログ『カントリージェントルマンへの道』

軽井沢ブログ『追分Salon』

軽井沢ブログ『Cool Dads Salon』

軽井沢ブログ『地域で子育て・教育サポート』

軽井沢版*エッセイスト

軽井沢版*キーワードは『循環』Salon

別冊カントリージェントルマンへの道★軽井沢移住~書籍化第1弾への道~

カントリージェントルマンが出会った~素敵なことば~

軽井沢版*薪ストーブ生活

軽井沢ブログ『ホームファーミングSalon』

軽井沢版*楽陶生活

軽井沢版*楽楽器生活

軽井沢版*ネコ生活★『プリン』という名のねこ★

軽井沢版*バイリンガルへの道~カントリージェントルマンの子供たちをバイリンガルにしたい~

CG BAR@軽井沢~酒飲みカントリージェントルマンのBAR~

ヨーロッパ一人旅~1990.5.30(水)Yabuta@МUNCHEN

1990-05-30 15:00:00 | エッセイ

ブログ『軽井沢版*エッセイスト』⇒RSS登録はここをクリック

■■
□地下室で荷物を整理していると、1冊の手帳を見つけました。

■■
□懐かしい・・・。この黒い小さな手帳。私が、大学時代、ヨーロッパ一人旅をしたとき、共に旅をし、思ったこと、感じたことを綴ったメモ帳なのでした。

■■
□1990年5月21日から6月19日まで、私は、大学を積極的にさぼり、ヨーロッパへ旅立ちました。

■■
□まあ、実際は、そんなにかっこいいものではなかったんですけど。でも、今の私を支えているもの、原点がここにある、それは確かなことです。


■■
□前日は、パリに夜行で入り、夜行で出るはめになったものの、やはり、新しい国に赴くのは、エキサイティングなもの。

■■
□はじめてのドイツ(当時は、西ドイツ)は、ミュンヘンを足がかりにしてみました。

ミュンヘン - Wikipedia

■■
□朝、ミュンヘンに着いて、まずは、宿探し。さすがに、夜行IN夜行OUTで疲れていたので、今日、明日は、ちょっとだけ良い宿にSingleで泊ろうと思っていました。

■■
□比較的あっさり出会えたのが、Pension Lugano。

■■
□交渉してみると、部屋は空いているものの、ゲー、Singleの空室なし。結局、Twin部屋の2泊で、交渉成立したのでした。

■■
□次に、新しい国に入れば、両替。T/C ¥10,000⇒DМ100.5。およそ、1DМ=¥100という感じでした。

■■
□ツーリスト・インフォメーションにて、薮田と出会い、意気投合。

■■
□いっしょに、DACHAU<ダッハウ>まで行くことにしました。

ダッハウ - Wikipedia

ダッハウ強制収容所 - Wikipedia



■■
□ダッハウに行ってみて。

■■
□写真は、日本人は原爆のもので慣れているせいか、あまりインパクトはなかったが、囚人服や、ガス室、焼却炉は、・・・きました。





■■
□再び、バスでミュンヘンの中心街に戻り、のどを潤すことに。

■■
□マリエン広場の店で、Bier片手にソーセージにかぶりつきました。超大型容器に入った粒マスタードをたっぷりつけて。やっぱり、ビールとソーセージは、旨い。肉屋に入ると、ウィンドウの中は壮観でした。さすが、ドイツ。

■■
□ヨーロッパ一人旅に出て、ドイツまでやってきたので、再び、日本の友人に手紙を書きたくなりました。どこに手紙を出そうかな?

■■
□日本までの切手。DМ1.15。フランスからが、F3.9だから、同じくらい。


■ルート■
  ↓夜行EXPでPARISから
◇6:31/МUNCHEN


すべてのエッセイ・リストはこちらから


☆『軽井沢ブックセンター』やってます!

軽井沢ブックセンター~カントリージェントルマンが出会った素敵なアイテムをシェアしたい


☆軽井沢情報はこちら

軽井沢の天気予報
国道18号ライブカメラ@軽井沢追分
浅間山ライブカメラ


☆こんなフォトアルバムもやってます!

PACフォト~『プリン』という名のねこ~

PACフォト~軽井沢Salon~

PACフォト~2004軽井沢Salon~
PACフォト~2005軽井沢Salon~
PACフォト~2006軽井沢Salon~
PACフォト~2007軽井沢Salon~
PACフォト~2008軽井沢Salon~


☆こんなブログもやってます!

軽井沢ブログ『カントリージェントルマンへの道』

軽井沢ブログ『追分Salon』

軽井沢ブログ『Cool Dads Salon』

軽井沢ブログ『地域で子育て・教育サポート』

軽井沢版*エッセイスト

軽井沢版*キーワードは『循環』Salon

別冊カントリージェントルマンへの道★軽井沢移住~書籍化第1弾への道~

カントリージェントルマンが出会った~素敵なことば~

軽井沢版*薪ストーブ生活

軽井沢ブログ『ホームファーミングSalon』

軽井沢版*楽陶生活

軽井沢版*楽楽器生活

軽井沢版*ネコ生活★『プリン』という名のねこ★

軽井沢版*バイリンガルへの道~カントリージェントルマンの子供たちをバイリンガルにしたい~

CG BAR@軽井沢~酒飲みカントリージェントルマンのBAR~

ヨーロッパ一人旅~1990.5.29(火)夜行IN夜行OUT@PARIS

1990-05-29 15:00:00 | エッセイ

ブログ『軽井沢版*エッセイスト』⇒RSS登録はここをクリック

■■
□地下室で荷物を整理していると、1冊の手帳を見つけました。

■■
□懐かしい・・・。この黒い小さな手帳。私が、大学時代、ヨーロッパ一人旅をしたとき、共に旅をし、思ったこと、感じたことを綴ったメモ帳なのでした。

■■
□1990年5月21日から6月19日まで、私は、大学を積極的にさぼり、ヨーロッパへ旅立ちました。

■■
□まあ、実際は、そんなにかっこいいものではなかったんですけど。でも、今の私を支えているもの、原点がここにある、それは確かなことです。


■■
□プランのない一人旅。

■■
□夢のモナコ・ウィークも終わり、南仏を後にして、とりあえず、夜行でパリに戻ってみることにしました。

■■
□翌朝、パリに着いたら、また、安宿探しからスタートです。

■■
□以下が、今回の安宿探しの目安。

●シングル
●シャワー共同
●朝食なし
●とりあえず3日間
●St.Мichel周辺が希望

■■
□そんなことを考えて、夜行列車でパリに戻る私に、再び、試練が待ち構えているのでした。

■■
□朝、パリに到着して、しばし散歩を楽しんだ後、『さ~て、安宿探しでもするか』とうろちょろしたものの、見・つ・か・ら・な・い。

■■
□ニースでは、安宿を探すことができたので、ちょっと油断していたんですけど、大都会パリは、甘くはありませんでした。

■■
□詳しいことは忘れてしまいましたけど、まだまだ、一人旅の経験不足を露呈して、ミス&ドジの連発。

■教訓■
□新しい街には、午前7~8時に着いて、素早くHotelをとる。次に、スーパーを確保。一人旅の基本は、【住】&【食】なのです。

■■
□いろいろあって、あっという間に一日が過ぎ、セーヌ川のほとりで、今日を振り返ってみました。

■■
□今日は、はっきり言って、大失敗の1日。

■■
□でも、パリに住む人たちの生活ぶりをたくさん観察できて、面白かった。

■■
□そう、この旅は、放浪なのだから、ハプニングがなければおもしろみに欠ける。

■■
□決めた。Мunchenに行こう!しばらくは、ドイツ。この気楽さ、安易さが、たまりません。

■■
□というわけで、パリに夜行で入り、夜行で出るはめになったものの、気分は上々。こういう経験の積み重ねで、少しずつ、タフさを身につけていくことになるのです。

■■
□パリには、いくつか駅がありますけど、さすがに、GARE DE L’EST周辺は、ゲルマンという感じ。

■■
□GARE DE L’ESTの近くでスーパーを見つけ、食料の買い出し。店先で女性のハイヒールを見たら、でかい。

■■
□さ~て、はじめてのドイツは、どうなることやら・・・?!


■ルート■
  ↓夜行EXPで南仏から
◇1:44/LYON
  ↓夜行EXPで
◇6:28/PARIS<GARE DE LYON>

◇21:20/PARIS<GARE DE L’EST>
  ↓夜行EXPでドイツへ


すべてのエッセイ・リストはこちらから


☆『軽井沢ブックセンター』やってます!

軽井沢ブックセンター~カントリージェントルマンが出会った素敵なアイテムをシェアしたい


☆軽井沢情報はこちら

軽井沢の天気予報
国道18号ライブカメラ@軽井沢追分
浅間山ライブカメラ


☆こんなフォトアルバムもやってます!

PACフォト~『プリン』という名のねこ~

PACフォト~軽井沢Salon~

PACフォト~2004軽井沢Salon~
PACフォト~2005軽井沢Salon~
PACフォト~2006軽井沢Salon~
PACフォト~2007軽井沢Salon~
PACフォト~2008軽井沢Salon~


☆こんなブログもやってます!

軽井沢ブログ『カントリージェントルマンへの道』

軽井沢ブログ『追分Salon』

軽井沢ブログ『Cool Dads Salon』

軽井沢版*エッセイスト

軽井沢版*キーワードは『循環』Salon

別冊カントリージェントルマンへの道★軽井沢移住~書籍化第1弾への道~

カントリージェントルマンが出会った~素敵なことば~

軽井沢版*薪ストーブ生活

軽井沢ブログ『ホームファーミングSalon』

軽井沢版*楽陶生活

軽井沢版*楽楽器生活

軽井沢版*ネコ生活★『プリン』という名のねこ★

軽井沢版*バイリンガルへの道~カントリージェントルマンの子供たちをバイリンガルにしたい~

CG BAR@軽井沢~酒飲みカントリージェントルマンのBAR~

ヨーロッパ一人旅~1990.5.28(月)Ueno@NICE

1990-05-28 15:00:00 | エッセイ

ブログ『軽井沢版*エッセイスト』⇒RSS登録はここをクリック

■■
□地下室で荷物を整理していると、1冊の手帳を見つけました。

■■
□懐かしい・・・。この黒い小さな手帳。私が、大学時代、ヨーロッパ一人旅をしたとき、共に旅をし、思ったこと、感じたことを綴ったメモ帳なのでした。

■■
□1990年5月21日から6月19日まで、私は、大学を積極的にさぼり、ヨーロッパへ旅立ちました。

■■
□まあ、実際は、そんなにかっこいいものではなかったんですけど。でも、今の私を支えているもの、原点がここにある、それは確かなことです。


■■
□夢のモナコ・ウィークも終わりを告げ、今日は、南フランスで過ごす最後の日。

■■
□そんなわけで、何の目的もなく、ぶらりと、4日間以上を過ごしたニースを散策してみることに。

ニース - Wikipedia



■■
□たまたま、安ホテルで同室になったハワイ留学中の日本人、Мr.Uenoといっしょに、うろちょろしてみました。

■■
□思えば、ニース、モナコでは、結構、日本人との出会いもありました。

■■
□日本人で群れるのは好みではないものの、人と会って、情報をギブ&テイクするのはいいものですよね。

■■
□私の好きな作家のロバート・ハリスが、著書『ワイルドサイドを歩け』の中で、以下のように書いています。

■■
□『なぜ日本人は、特に日本人どうしが外国で会うと、とっつきにくいのだろう・・・僕は旅をするたびにこのことを考える。日本人は干渉しない、プライバシーを守る、他人の家に土足で上がらない、シャイである、閉鎖的である、他人に対してのガードが堅い こういったキャラクターや習慣をもった国民だということはわかるし、それが別に悪いと言っているわけではないのだが、旅先でのこのアンフレンドリーな態度は、ちょっと異常だと思う』

■■
□確かに、そういう日本人もいそうですけど、たまたま、私が出会った連中は、みんな、結構、フレンドリーで、楽しい奴が多くて助かりました。

■■
□ニースの海岸沿いを散歩したり、公園でのんびりしたり、どんな話で盛り上がったか、今となっては忘れてしまいましたけど、とにかく、気持ちいいニース散策でした。

■■
□おかげで、モナコGP観戦という1つの旅のテーマが終わった後も、まだまだ一人旅を楽しむぞ!というモチベーションが高まりました。

■■
□コートダジュール、See you!

■■
□さて、プランのない一人旅。

■■
□とりあえず、夜行でパリに戻ってみることにしました。

■■
□翌朝、パリに着いたら、また、安宿探しからスタートです。

■■
□以下が、今回の安宿探しの目安。

●シングル
●シャワー共同
●朝食なし
●とりあえず3日間
●St.Мichel周辺が希望

■■
□そんなことを考えて、夜行列車でパリに戻る私に、再び、試練が待ち構えているのでした。


■ルート■
◇16:39/NICE
  ↓
◇LYON
  ↓夜行EXPでPARISへ


すべてのエッセイ・リストはこちらから


☆『軽井沢ブックセンター』やってます!

軽井沢ブックセンター~カントリージェントルマンが出会った素敵なアイテムをシェアしたい


☆軽井沢情報はこちら

軽井沢の天気予報
国道18号ライブカメラ@軽井沢追分
浅間山ライブカメラ


☆こんなフォトアルバムもやってます!

PACフォト~『プリン』という名のねこ~

PACフォト~軽井沢Salon~

PACフォト~2004軽井沢Salon~
PACフォト~2005軽井沢Salon~
PACフォト~2006軽井沢Salon~
PACフォト~2007軽井沢Salon~
PACフォト~2008軽井沢Salon~


☆こんなブログもやってます!

『カントリージェントルマンへの道』★軽井沢移住編★~実録!カントリージェントルマン流『普通の生活』~

軽井沢版*追分Salon

軽井沢版*エッセイスト

軽井沢版*キーワードは『循環』Salon

別冊カントリージェントルマンへの道★軽井沢移住~書籍化第1弾への道~

カントリージェントルマンが出会った~素敵なことば~

軽井沢版*薪ストーブ生活

軽井沢版*ホームファーミング生活

軽井沢版*楽陶生活

軽井沢版*楽楽器生活

軽井沢版*ネコ生活★『プリン』という名のねこ★

軽井沢版*バイリンガルへの道~カントリージェントルマンの子供たちをバイリンガルにしたい~

軽井沢版*親父Salon

CG BAR@軽井沢~酒飲みカントリージェントルマンのBAR~

ヨーロッパ一人旅~1990.5.27(日)モナコGP決勝@MONACO

1990-05-27 15:00:00 | エッセイ

ブログ『軽井沢版*エッセイスト』⇒RSS登録はここをクリック

■■
□地下室で荷物を整理していると、1冊の手帳を見つけました。

■■
□懐かしい・・・。この黒い小さな手帳。私が、大学時代、ヨーロッパ一人旅をしたとき、共に旅をし、思ったこと、感じたことを綴ったメモ帳なのでした。

■■
□1990年5月21日から6月19日まで、私は、大学を積極的にさぼり、ヨーロッパへ旅立ちました。

■■
□まあ、実際は、そんなにかっこいいものではなかったんですけど。でも、今の私を支えているもの、原点がここにある、それは確かなことです。


■■
□いよいよ、モナコGP決勝。

モナコ - Wikipedia

モナコグランプリ - Wikipedia

■■
□朝8:30にモナコに着くと、狭い街は、もう、人でいっぱい。駅を出て、足早に、昨日、目をつけておいた場所(宮殿側の丘)へ行くと、こちらも、人でいっぱい。

■■
□いくら市街地コースだからといって、世界有数のショービジネスF1をなめちゃいけませんね。

■■
□それでも、でかい体の外国人観戦客の群れをかき分けかき分け、何とか、宮殿側の丘で観戦に漕ぎつけました。

■■
□予選1日目がFree。予選2日目が、F100。そして、今日の決勝は、F150。正直、貧乏旅行者としては、ツライです。

■■
□昨日は、はじめて海外で迎える22歳の誕生日だったんですけど、タバコと車の排ガスで、のどを痛め、今朝起きると、カゼをひいて発熱。

■■
□でも、まさか、夢にまで見たモナコGP決勝を見逃すわけにはいきません。

■■
□そこで、秘密の薬を試してみました。

■■
□秘密の薬といっても、別に怪しいものではありません。その筋の友人から、こんなときのために譲り受けておいた抗生物質の出番なのでした(ちょっと怪しいかな)。

■■
□さて、レースですが、スタートしてまもなく、ミラボーコーナーで、プロストとベルガーがクラッシュした影響で、スタートが2度も見れるラッキーな序盤となりました。

■■
□が、その後は、リタイヤが続出する厳しいレース展開。なんと、完走がたったの7台。応援していたフェラーリも、残念なリタイヤに終わりました。

■■
□決勝最終結果

1位 A.セナ <マクラーレン MP4/5B / ホンダ V10>
2位 J.アレジ <ティレル 019 / フォード V8>
3位 G.ベルガー <マクラーレン MP4/5B / ホンダ V10>
4位 T.ブーツェン <ウィリアムズ FW13B / ルノー V10>
5位 A.カフィ <アロウズA11B / フォード V8>
6位 E.ベルナール <ローラ 90 / ランボルギーニ V12
7位 G.フォイテク <オニクス ORE-2 / フォード V8>

■■
□結局、A.セナが、ポール・トゥ・フィニッシュ。私にとっては、レース結果は期待はずれだったんですけど、市街地コースのおいしいところは、ここから。

■■
□レース後、コースやピットには、観戦客が自由に出入り。これが、公認なのかどうかは私にはわからなかったんですけど、とにかく、ピットの奥の奥まで、行けちゃいました。

■■
□というわけで、私は、お目当てのフェラーリのピットを中心にうろうろしていたんですけど、突然、すぐそばを、ウィナーのセナが通り過ぎて行きました。



■■
□その後、マンセルが、自分のスクーターに乗って出て行ったり、鈴木亜久里を間近で見たり・・・。





■■
□その後、しばらく、フェラーリ・ピットで粘っていると、プロストが登場。ファンに囲まれるプロスト。私も、その1人。

■■
□ファンが多くて、もみくちゃとなり、彼のホンダ製スクーターが倒れたりと、もう大変。そんな満員電車状態の中、プロストを撮った1枚は、私のお宝写真となりました(接近しすぎですけど)。



■■
□プロストは背が小さかったですけど、風格がありました。

■■
□こうして、夢のモナコ・ウィークは、興奮しつつ、終わりを告げたのでした。


■ルート■
◇NICE
  ↓
◇МONACO
  ↓
◇NICE


すべてのエッセイ・リストはこちらから


☆『軽井沢ブックセンター』やってます!

軽井沢ブックセンター~カントリージェントルマンが出会った素敵なアイテムをシェアしたい


☆軽井沢情報はこちら

軽井沢の天気予報
国道18号ライブカメラ@軽井沢追分
浅間山ライブカメラ


☆こんなフォトアルバムもやってます!

PACフォト~『プリン』という名のねこ~

PACフォト~軽井沢Salon~

PACフォト~2004軽井沢Salon~
PACフォト~2005軽井沢Salon~
PACフォト~2006軽井沢Salon~
PACフォト~2007軽井沢Salon~
PACフォト~2008軽井沢Salon~


☆こんなブログもやってます!

『カントリージェントルマンへの道』★軽井沢移住編★~実録!カントリージェントルマン流『普通の生活』~

軽井沢版*追分Salon

軽井沢版*エッセイスト

軽井沢版*キーワードは『循環』Salon

別冊カントリージェントルマンへの道★軽井沢移住~書籍化第1弾への道~

カントリージェントルマンが出会った~素敵なことば~

軽井沢版*薪ストーブ生活

軽井沢版*ホームファーミング生活

軽井沢版*楽陶生活

軽井沢版*楽楽器生活

軽井沢版*ネコ生活★『プリン』という名のねこ★

軽井沢版*バイリンガルへの道~カントリージェントルマンの子供たちをバイリンガルにしたい~

軽井沢版*親父Salon

CG BAR@軽井沢~酒飲みカントリージェントルマンのBAR~

ヨーロッパ一人旅~1990.5.26(土)モナコGP予選2日目@MONACO

1990-05-26 15:00:00 | エッセイ

ブログ『軽井沢版*エッセイスト』⇒RSS登録はここをクリック

■■
□地下室で荷物を整理していると、1冊の手帳を見つけました。

■■
□懐かしい・・・。この黒い小さな手帳。私が、大学時代、ヨーロッパ一人旅をしたとき、共に旅をし、思ったこと、感じたことを綴ったメモ帳なのでした。

■■
□1990年5月21日から6月19日まで、私は、大学を積極的にさぼり、ヨーロッパへ旅立ちました。

■■
□まあ、実際は、そんなにかっこいいものではなかったんですけど。でも、今の私を支えているもの、原点がここにある、それは確かなことです。


■■
□今日は、22歳のМy Birthday!自分の誕生日を海外で迎えるのは、もちろん、はじめて。南仏で過ごす誕生日も、なかなかいいものですね。

■■
□さて、予選2日目。今日で、決勝のスタートグリッドが決まります。もちろん、モナコへ。

モナコ - Wikipedia

モナコグランプリ - Wikipedia

■■
□駅を出て、予選1日目に観戦した場所へ赴いてみると、ム・ム・ム、予選1日目はFreeで見られた場所(宮殿側の丘)が、予選2日目は、F100になっていたのでした。

■■
□いくら市街地コースだからといって、世界有数のショービジネスF1をなめちゃいけませんね。結局、F100でチケットをGetして、宮殿側の丘で観戦することにしました。

■■
□宮殿側の丘での観戦。予選2日目が、F100。明日の決勝は、F150のようです。正直、貧乏旅行者としては、ツライです。

■■
□予選最終結果

1位 A.セナ <マクラーレン MP4/5B / ホンダ V10>
2位 A.プロスト <フェラーリ 641 / フェラーリ V12>
3位 J.アレジ <ティレル 019 / フォード V8>
4位 R.パトレーゼ <ウィリアムズ FW13B / ルノー V10>
5位 G.ベルガー <マクラーレン MP4/5B / ホンダ V10>
6位 T.ブーツェン <ウィリアムズ FW13B / ルノー V10>
7位 N.マンセル <フェラーリ 641 / フェラーリ V12>

■■
□応援していたフェラーリ勢は、プロストが2位につけて、まずまず。

■■
□モナコでも、フランス人のプロストの人気は凄いです。独立国とはいえ、ここは、ほとんどフランスですからね。

■■
□そして、イタリア系フランス人のJ.アレジの人気も急上昇。予選3位につけただけでなく、アグレッシブな走りで観衆を魅了していました。



■■
□モナコGP予選2日目を観戦し終え、ニースへ戻ってみると、のどが痛いことに気づきました。

■■
□タバコと車の排ガスで、のどを痛めてしまったんですね。

■■
□日本人と比べて、ヨーロッパの人は、個々に、強い体臭を持っている感じがします。それは、タバコのニオイだったり、強い香水の香りだったり、とにかく凄い。

■■
□結構、ぎゅーぎゅーの状態で、予選を観戦していたので、よ~くわかりました。

■■
□のどの渇きを癒しに、スーパーにビールを買いに行きました。

■■
□ビールはF5。でも、そこには、冷えているものがありません。

■■
□スーパーの中をうろうろしてみると、端の方に、冷えたビールが置いてあり、F10。こちらでは、冷やすだけで高くなるんですね。

■■
□「冷やす」というサービスを付けて売るのか、「冷やす」というサービスを付けずに安く売るのか、売り方・買い方にもいろいろ選択肢があることを学びました。

■■
□結局、その場では、F10払って、冷えたビールを飲みました。

■■
□こちらでは、自販機もほとんどないですね。裏を返せば、日本があり過ぎなのかもしれません。

■■
□てなわけで、22歳のМy Birthdayは、予選の興奮と、のどの痛みとともに、過ぎていったのでした。


■ルート■
◇NICE
  ↓
◇МONACO
  ↓
◇NICE


すべてのエッセイ・リストはこちらから


☆『軽井沢ブックセンター』やってます!

軽井沢ブックセンター~カントリージェントルマンが出会った素敵なアイテムをシェアしたい


☆軽井沢情報はこちら

軽井沢の天気予報
国道18号ライブカメラ@軽井沢追分
浅間山ライブカメラ


☆こんなフォトアルバムもやってます!

PACフォト~『プリン』という名のねこ~

PACフォト~軽井沢Salon~


☆こんなブログもやってます!

軽井沢ブログ『カントリージェントルマンへの道』

軽井沢ブログ『追分Salon』

軽井沢ブログ『Cool Dads Salon』

軽井沢版*エッセイスト

軽井沢版*キーワードは『循環』Salon

別冊カントリージェントルマンへの道★軽井沢移住~書籍化第1弾への道~

カントリージェントルマンが出会った~素敵なことば~

軽井沢版*薪ストーブ生活

軽井沢ブログ『ホームファーミングSalon』

軽井沢版*楽陶生活

軽井沢版*楽楽器生活

軽井沢版*ネコ生活★『プリン』という名のねこ★

軽井沢版*バイリンガルへの道~カントリージェントルマンの子供たちをバイリンガルにしたい~

CG BAR@軽井沢~酒飲みカントリージェントルマンのBAR~

ヨーロッパ一人旅~1990.5.25(金)モナコGPコース散策@MONACO

1990-05-25 15:00:00 | エッセイ

ブログ『軽井沢版*エッセイスト』⇒RSS登録はここをクリック

■■
□地下室で荷物を整理していると、1冊の手帳を見つけました。

■■
□懐かしい・・・。この黒い小さな手帳。私が、大学時代、ヨーロッパ一人旅をしたとき、共に旅をし、思ったこと、感じたことを綴ったメモ帳なのでした。

■■
□1990年5月21日から6月19日まで、私は、大学を積極的にさぼり、ヨーロッパへ旅立ちました。

■■
□まあ、実際は、そんなにかっこいいものではなかったんですけど。でも、今の私を支えているもの、原点がここにある、それは確かなことです。


■■
□ニースの安ホテルで目覚めた朝。

ニース - Wikipedia

■■
□前の晩は夜行列車で過ごしたこともあって、熟睡しました。清々しい南仏の朝です。

■■
□『Hotel Novelty』の窓を上げて、朝の街を見下ろすと、路上駐車の車と車の間隔がすごく狭いことにびっくり。『どうやって路駐の列から抜け出すのかな~』としばらく観察していると、前にゴツン、後ろにゴツン、とやりながら、出て行くのでした。

■■
□日本ならば、車をこすっただけでもトラブルになりそうですけど、なるほど、チェックしてみると、バンパーがへこんでいる車は、めちゃめちゃ多い。

■■
□車も所詮は移動するための道具と考え、バンパーはぶつけても問題ない場所、縦列駐車の際にぶつけられたとしても、基本的に文句は言わないとのこと。

■■
□国が変われば、文化や常識が違うのは当然。バンパーの多少の傷やへこみを気にして修理を行う日本の方が、よくよく考えてみると、変わっているのかもしれないと思いました。

■■
□朝食をとって、朝の散歩に出ると、5月でも、南仏はもう夏。ニースの海と砂利浜を眺めながらの散歩は、気持ちがいい~。海パンを持ってくるんでした。

■■
□さて、今日は予選がないものの、モナコへ。

モナコ - Wikipedia

モナコグランプリ - Wikipedia

■■
□ヨーロッパ一人旅に出て、少し落ち着いてきたので、日本の友人に手紙を書きたくなりました。どこに手紙を出そうかな?

■■
□今日のところは、家族へ。そして、友人6名へ。

■■
□ポストカードをGetした後、海外ではじめて切手を買うために、モナコの郵便局へ。日本まで3.9Fとのことでした。

■■
□ところで、今日、モナコに赴いた目的は、モナコの街を散策してみることでした。昨日は、予選1日目の観戦で、そんな余裕はありませんでしたから。

■■
□狭い街の中を、いろいろ探検してみたんですけど、ふと見ると、状況がよくわからないものの、どうやらレースコースが歩行者天国状態になっているではありませえんか。これ幸い。

■■
□そこで、お言葉に甘えて、憧れのモナコGPコースの道の真ん中を、歩いてみました。

モンテカルロ市街地コース

●ストレート
   ↓
●第1カーブ
   ↓
  けっこう上り坂
   ↓
●カジノ前、Hotel de Paris
   ↓
  すごい下り坂
   ↓
●ミラボーコーナー
   ↓
●ステーションヘアピン
   ↓
  ここを歩けて感動
   ↓
●ポルティエコーナー
   ↓
  ここでセナが・・・
   ↓
●トンネル
   ↓
  地中海がきれい、エメラルドグリーン
   ↓
●シケイン
   ↓
  昔は地中海へ突っ込むマシンもあったとか
   ↓
●プール前
   ↓
  とにかく狭い
   ↓
●ラスカスコーナー
   ↓
  けっこうヘアピンカーブ
   ↓
●最終コーナー

■■
□普段は、公道で、普通に車が走っているコースとはいえ、まさかモナコGPコースの道の真ん中を散策できるとは思っていなかったので、かなり興奮しながら、気分よく歩いたのを、今でも覚えています。

■■
□それにしても、こんなに狭くて曲がりくねっていて、高低差もあって、トンネルまである市街地コースを、よくもF1マシーンが走るものだと、F1ドライバーのテクニックの見事さに、ちょっとあきれました。



■■
□モナコGPコース散策に大満足して、ニースのホテルへ。

■■
□今日は、同室のメンバーも変わり、その中には、日本人もいました。

■■
□フランス留学中の鎌田と、ハワイ留学中の上野。

■■
□その後、街の中で、辻田らと会い、夕食を共にしました。辻田は、高校卒業後、日産、フジカラーに勤め、退職して旅に出て、モナコへやってきたそうです。

■■
□同国人とだけたむろしているのは好みではありませんけど、旅先での日本人との出会いは、情報交換ができるだけでなく、なかなかいいものです。

■■
□夕食後、海外に来てはじめて、スーパーでの買い出しを経験。その後、どこを旅しても、地元スーパーでの買い出しは、貧乏旅行の基本になっていきます。

■■
□ホテルに戻って、日本の家族、友人への手紙を書き終えました。全部で7枚。明日、出そうと思います。

■■
□そう言えば、明日は、22歳のМy Birthday!


■ルート■
◇NICE
  ↓
◇МONACO
  ↓
◇NICE


すべてのエッセイ・リストはこちらから


☆『軽井沢ブックセンター』やってます!

軽井沢ブックセンター~カントリージェントルマンが出会った素敵なアイテムをシェアしたい


☆軽井沢情報はこちら

軽井沢の天気予報
国道18号ライブカメラ@軽井沢追分
浅間山ライブカメラ


☆こんなフォトアルバムもやってます!

PACフォト~『プリン』という名のねこ~

PACフォト~軽井沢Salon~

PACフォト~2004軽井沢Salon~
PACフォト~2005軽井沢Salon~
PACフォト~2006軽井沢Salon~
PACフォト~2007軽井沢Salon~
PACフォト~2008軽井沢Salon~


☆こんなブログもやってます!

『カントリージェントルマンへの道』★軽井沢移住編★~実録!カントリージェントルマン流『普通の生活』~

軽井沢版*追分Salon

軽井沢版*エッセイスト

軽井沢版*キーワードは『循環』Salon

別冊カントリージェントルマンへの道★軽井沢移住~書籍化第1弾への道~

カントリージェントルマンが出会った~素敵なことば~

軽井沢版*薪ストーブ生活

軽井沢版*ホームファーミング生活

軽井沢版*楽陶生活

軽井沢版*楽楽器生活

軽井沢版*ネコ生活★『プリン』という名のねこ★

軽井沢版*バイリンガルへの道~カントリージェントルマンの子供たちをバイリンガルにしたい~

軽井沢版*親父Salon

CG BAR@軽井沢~酒飲みカントリージェントルマンのBAR~

ヨーロッパ一人旅~1990.5.24(木)モナコGP予選1日目@MONACO

1990-05-24 15:00:00 | エッセイ

ブログ『軽井沢版*エッセイスト』⇒RSS登録はここをクリック

■■
□地下室で荷物を整理していると、1冊の手帳を見つけました。

■■
□懐かしい・・・。この黒い小さな手帳。私が、大学時代、ヨーロッパ一人旅をしたとき、共に旅をし、思ったこと、感じたことを綴ったメモ帳なのでした。

■■
□1990年5月21日から6月19日まで、私は、大学を積極的にさぼり、ヨーロッパへ旅立ちました。

■■
□まあ、実際は、そんなにかっこいいものではなかったんですけど。でも、今の私を支えているもの、原点がここにある、それは確かなことです。


■■
□いよいよ、ヨーロッパ列車の旅に出たものの、実は、これが、私にとっての、はじめての夜行列車の旅。

■■
□コートダジュールに向う列車は、とても混んでいて、しかも、客室は、不慣れなコンパートメント型。

コンパートメント席 - Wikipedia

■■
□どうやら予約席というものがあるようだけれど、よくわからず、それでも、何とか1席を見つけることができたのはラッキーでした。

■■
□眠りから目覚めると、8人席のコンパートメントは未だ満室。見知らぬフランス人の男女が、いちゃついている物音で起こされたんですけど、もう夜が明けていました。

■■
□9時も過ぎると、ようやくモナコ モンテカルロ駅に到着。

モナコ - Wikipedia

■■
□ほとんどプランのない一人旅とはいえ、5/24(木)~5/27(日)のモナコGPを見に行くことが、私の旅の目的の1つだったので、特別の感慨がこみ上げてきました。

モナコグランプリ - Wikipedia

■■
□F1・モナコGPを、この目で見てみたい(1990年は、フェラーリに、アラン・プロストとナイジェル・マンセルが組んだ最初で最後の年でした)。これが、ヨーロッパ一人旅のきっかけの1つでした。

■■
□当時、F1は日本でも人気があったんですけど、私がF1にはまるきっかけとなったレースが、実は、1988年モナコGP。

F1 DataWeb : 1988年第4戦モナコグランプリの結果

1988年モナコグランプリのレース結果と動画一覧 - F1 Tube

■■
□その頃、大学浪人をしていた私の夢は、2年後に叶うのでした。

F1 DataWeb : 1990年第4戦モナコグランプリの結果

1990年モナコグランプリのレース結果と動画一覧 - F1 Tube

1990年メキシコグランプリのレース結果と動画一覧 - F1 Tube

1990年日本グランプリのレース結果と動画一覧 - F1 Tube

■■
□モナコに着いて、早速、宮殿側の丘に登って街を見下ろして思ったのは、『狭いな~。こんな狭いところで、F1をやっていたのか~』ということ。

■■
□そのうち、F1マシンのエンジン音が響き始め、狭いモナコの街に反響して、独特の雰囲気に。

■■
□予選1日目から、街中、凄い音。特に、ラスカス、最終コーナーを抜けて、ホームストレートを立ち上がってシフトアップしていくエンジン音は、鳥肌物でした。

■■
□結局、予選1日目は、マクラーレン・ホンダの2人(セナ、ベルガー)が強く、応援していたフェラーリはもう一声でしたけど、フェラーリV12の音は格別で、今日は、この音が聞けただけで大満足なのでした。



■■
□さて、はじめてのモナコGP予選1日目を観戦し終え、ニースへ戻ることに。物価高のモナコで宿を探すよりも、お隣のニースで探した方がいいだろうと思ったからです。

ニース - Wikipedia

■■
□列車に乗って戻ったんですけど、ここで大失敗。

■■
□確か、モナコとニースの間には、小さい駅が2~3あったかと思うんですけど、降りる予定のニースではなく、勘違いして、その前の小さな駅『ニース・・・』で降りてしまったのでした(汗)。

■■
□運悪く、さびれた駅前には人影もなく、また、暑くてのどがカラカラ。

■■
□とにかく、水を買って飲んで落ち着きたいと思い、駅前に1軒だけあった店に入って、『水を下さい』と言うと、店の奥から、コップに入った水を出してくれました。よっぽど困った顔をしていたんでしょうね。うれしかったな~。

■■
□お礼を言って、あらためて、水もGetし、事なきを得たのでした。以来、私は、飲料用ペットボトルを常備する癖がつきました。


■■
□何とか、本物のニースに到着し、いよいよ宿探し。ヨーロッパに渡り、自分一人で探すのは、これがはじめて。

■■
□ニースはとてもいい街で、気に入ったものの、F1シーズンということもあり、ホテルがみんなfull。

■■
□それでも、何度目かのトライで、あった~。『Hotel Novelty』。

■■
□フロントが面白い人で、いろいろ説明をしてくれました。宿泊内容は、シャワー付き5人部屋(F70)&朝食(F20)。

■■
□何とか、モナコGP開催中の5/24~27の予約に成功。助かった~。

■■
□同室は、アメリカ人2名、フランス人1名、アジア系1名。

■■
□やっとリラックスして、海まで散歩に。コートダジュールの海は素敵で、エメラルドグリーンが美しい。浜は砂浜ではなくて砂利でした。

■■
□こうして、南フランスでの長~い1日は、過ぎていったのでした。


■ルート■
  ↓
◇МONACO
  ↓
◇NICE


すべてのエッセイ・リストはこちらから


☆『軽井沢ブックセンター』やってます!

軽井沢ブックセンター~カントリージェントルマンが出会った素敵なアイテムをシェアしたい


☆軽井沢情報はこちら

軽井沢の天気予報
国道18号ライブカメラ@軽井沢追分
浅間山ライブカメラ


☆こんなフォトアルバムもやってます!

PACフォト~『プリン』という名のねこ~

PACフォト~軽井沢Salon~

PACフォト~2004軽井沢Salon~
PACフォト~2005軽井沢Salon~
PACフォト~2006軽井沢Salon~
PACフォト~2007軽井沢Salon~
PACフォト~2008軽井沢Salon~


☆こんなブログもやってます!

『カントリージェントルマンへの道』★軽井沢移住編★~実録!カントリージェントルマン流『普通の生活』~

軽井沢版*追分Salon

軽井沢版*エッセイスト

軽井沢版*キーワードは『循環』Salon

別冊カントリージェントルマンへの道★軽井沢移住~書籍化第1弾への道~

カントリージェントルマンが出会った~素敵なことば~

軽井沢版*薪ストーブ生活

軽井沢版*ホームファーミング生活

軽井沢版*楽陶生活

軽井沢版*楽楽器生活

軽井沢版*ネコ生活★『プリン』という名のねこ★

軽井沢版*バイリンガルへの道~カントリージェントルマンの子供たちをバイリンガルにしたい~

軽井沢版*親父Salon

CG BAR@軽井沢~酒飲みカントリージェントルマンのBAR~

ヨーロッパ一人旅~1990.5.23(水)はじめてのパリ散策@PARIS

1990-05-23 15:00:00 | エッセイ

ブログ『軽井沢版*エッセイスト』⇒RSS登録はここをクリック

■■
□地下室で荷物を整理していると、1冊の手帳を見つけました。

■■
□懐かしい・・・。この黒い小さな手帳。私が、大学時代、ヨーロッパ一人旅をしたとき、共に旅をし、思ったこと、感じたことを綴ったメモ帳なのでした。

■■
□1990年5月21日から6月19日まで、私は、大学を積極的にさぼり、ヨーロッパへ旅立ちました。

■■
□まあ、実際は、そんなにかっこいいものではなかったんですけど。でも、今の私を支えているもの、原点がここにある、それは確かなことです。


■■
□旅仲間のJeffと、泊まった安ホテルで朝食をとりながら、私は、前日の経験を生かし、こんな決心をしていました。

■■
□『昨日は、Jeffにずいぶん世話になってしまった。でも、人に頼っていたのでは、何のために一人旅に出たのか、わからない。今日からは、もっと自分がイニシアティブをとろう。』

■■
□そんなことを考えながらカフェオレ&パンを頬張っていると、『モナコに行くのか。F1を見るのか。いいな。僕も行こうかなあ。』とJeff。

■■
□ほとんどプランのない一人旅とはいえ、5/24(木)~5/27(日)のモナコGPを見に行くことが、私の旅の目的の1つでした。5/23の夜行で、コートダジュール(南フランス)に旅立つ予定。

■■
□既に決心を固めていた私は、彼に言いました。

■■
□『Jeff、昨日は、君の世話になった。今日からは、自分だけで旅してみようと思ってるんだよ。だから、お互い、ホテルを出たら、別行動にしようぜ。』

■■
□というわけで、朝食を済ませ、部屋で荷造りを済ませると、私が先に、ホテルを出ました。

■■
□パリ散歩。これが今日の予定。とにかくパリをうろうろ歩き回ってみようと考えたわけです。

■■
□ルーブル美術館を通りぬけて、チュイルリー公園、コンコルド広場へ。『あ~、やっと一人旅がはじまった。』と思って、ふっと後ろを振り返ると、100mほど後方に人影。なんとJeff。

■■
□私は、セーヌを渡り、反対岸を今度はシテ島へ。別に彼をまこうとしたわけではないんですけど、パリの朝は、こんな感じで始まったのでした。

■■
□シテ島のノートルダムで、一休み。セーヌ川沿いを散歩しながら感じたことは、

●犬が多い(特にでかい犬)こと

●停まっている車を覗くと、ほとんどマニュアル車であること

●日本車、特にHONDAが多いこと(シビック・CRXなど)

●タバコ、香水、車の排気ガスがきついこと

●パリジェンヌは、予想以上に美しいこと

●北フランスだけに、ブロンドが多いこと

●日本人は、想像したより見かけないこと

●でも、爺婆の集団、新婚カップルは、結構いたな

●水とジュース、ビールはほぼ同じ値段であること

●芸術の都も、かなりドブ臭いこと

などでした。

■■
□のどの渇きを潤し、今度は、エッフェル塔を目指しました。カルチェ・ラタンをうろちょろした後、エッフェル塔に到着。でも、このパリのシンボルからは、あまり感じるものがなかったので、結局、僕は展望台には上りませんでした。

■■
□規模は小さいけれど、その前に見たノートルダム寺院の印象が強かったのかもしれません。私は、すっかりこの建物、そしてシテ島・セーヌが気にいってしまっていました。

■■
□その後、パリには2度戻ってくることになるんですけど、一休み、雨宿りによーく使わせてもらいました。

■■
□再びセーヌを渡り、今度は、凱旋門(シャルル・ド・ゴール・エトワール)へ。

■■
□心の中でフランス国歌を口ずさみながら到着すると、なんだか不思議な感じがしました。確かに凱旋門自体も『おもしろいなあ』と思ったんですけど。

■■
□私が不思議に感じたのは、凱旋門の足下を通る12本の大通りが星状に四方に広がっていて、そこを整然と車が行き来していたことでした。日本では、見れない光景ですよね。(ヨーロッパでは多いですけど。)

■■
□気づいたら、結構歩いていて腹ペコ。凱旋門からシャンゼリゼを下る途中に、世界の言葉マクドナルド発見。

■■
□フランスまで来ているくせに、なぜかフィレオ・フィッシュが無性に食べたくなり、入店。フィレオ・フィッシュ(F8)とスプライト(F6)をテイクアウトしました。

■■
□ちなみにパリでは、テイクアウト料金が別にあり、安いです。また、トイレも無料で清潔、ここで済ませるのがよいです。

■■
□シャンゼリゼ→コンコルド広場→チュイルリー公園→ルーブル美術館→シテ島と散歩し、気づいたら、えらく疲れてしまいました。

■■
□荷物は中型バッグ1つ(機内持込可の大きさ)。そんなに重くはないとはいえ、身の回りのものすべてが入っているわけです。

■■
□散歩するのに、なにもずっと持ち歩いている必要もないのです。しかも、バッグの中には、小さいバッグが入っていたのです。1日歩き続けたので、さすがに私もくたくたでした。

■■
□この失敗経験を生かして、以降、大きい荷物は、必要なものと貴重品などを抜いて、ロッカーに預けることにしたのでした。

■■
□陽も落ちてきて、いよいよ夜行でモナコへ発つ時間が近づいてきました。

■■
□前にも書いたんですけど、ヨーロッパの大都市同様、パリにも、パリ駅という駅はありません。

■■
□私が旅立つモナコ方面への列車に乗るには、リヨン駅(GARE DE LYON)に行く必要があります。この駅で、やっとユーレイルパスのスタートの日付を入れてもらい、私は、ヨーロッパ列車の旅に出るのでした。

■■
□さあ、明日は、モナコGP予選だ!


■ルート■
◇PARIS
  ↓
◇20:30/PARIS<GARE DE LYON>
  ↓夜行EXPで南仏へ


すべてのエッセイ・リストはこちらから


☆『軽井沢ブックセンター』やってます!

軽井沢ブックセンター~カントリージェントルマンが出会った素敵なアイテムをシェアしたい


☆軽井沢情報はこちら

軽井沢の天気予報
国道18号ライブカメラ@軽井沢追分
浅間山ライブカメラ


☆こんなフォトアルバムもやってます!

PACフォト~『プリン』という名のねこ~

PACフォト~軽井沢Salon~

PACフォト~2004軽井沢Salon~
PACフォト~2005軽井沢Salon~
PACフォト~2006軽井沢Salon~
PACフォト~2007軽井沢Salon~
PACフォト~2008軽井沢Salon~


☆こんなブログもやってます!

『カントリージェントルマンへの道』★軽井沢移住編★~実録!カントリージェントルマン流『普通の生活』~

軽井沢版*追分Salon

軽井沢版*エッセイスト

軽井沢版*キーワードは『循環』Salon

別冊カントリージェントルマンへの道★軽井沢移住~書籍化第1弾への道~

カントリージェントルマンが出会った~素敵なことば~

軽井沢版*薪ストーブ生活

軽井沢版*ホームファーミング生活

軽井沢版*楽陶生活

軽井沢版*楽楽器生活

軽井沢版*ネコ生活★『プリン』という名のねこ★

軽井沢版*バイリンガルへの道~カントリージェントルマンの子供たちをバイリンガルにしたい~

軽井沢版*親父Salon

CG BAR@軽井沢~酒飲みカントリージェントルマンのBAR~

ヨーロッパ一人旅~1990.5.22(火)Jeff@PARIS

1990-05-22 15:00:00 | エッセイ

ブログ『軽井沢版*エッセイスト』⇒RSS登録はここをクリック

■■
□地下室で荷物を整理していると、1冊の手帳を見つけました。

■■
□懐かしい・・・。この黒い小さな手帳。私が、大学時代、ヨーロッパ一人旅をしたとき、共に旅をし、思ったこと、感じたことを綴ったメモ帳なのでした。

■■
□1990年5月21日から6月19日まで、私は、大学を積極的にさぼり、ヨーロッパへ旅立ちました。

■■
□まあ、実際は、そんなにかっこいいものではなかったんですけど。でも、今の私を支えているもの、原点がここにある、それは確かなことです。


■■
□東アジア人は、日本人にとっては、コミュニケートしやすいのです。なぜなら、漢字という同じツールを共有していますので。

■■
□機上で、いつから、どちらからコミュニケートし始めたかは忘れたんですけど、彼と話し、『パリに着いたら一緒に宿をシェアしない?』などと会話がはずんだのも、やはり漢字がきっかけだったと思います。

■■
□でも、この出会いが、私のヨーロッパでの旅の始まりを、トホホ状態にしていくきっかけになるとは、そのときはわかりませんでした。

■■
□彼の名は、胡 志明。香港の漢字?の先生で、英語も私よりは堪能。年齢も、私よりも一回りくらい上だったように見えました。

■■
□『Jeffって読んでくれ!』。渡航の目的は、ヨーロッパのおもしろいところをビデオで撮り歩き、香港に帰って、生徒たちに見せてやりたい、ということでした。確かに、でかい機材を持ってました。

■■
□機上のサンライズに感動し、ローマ、そして眼下の真っ白で小さい、連なるアルプスに再び心を動かされながら、機内食を何度食べたか忘れた頃に、ようやくParis(シャルル・ドゴール)に着きました。

■■
□シャルル・ドゴールからRoissyという近くの駅までは、無料バスがあります。で、Roissy(Paris郊外)から市内への鉄道も、私の持っていたユーレイルパス(ヨーロッパ内の鉄道無料パス)でOKのはずでした。

■■
□もっとも、Jeffが、『Paris市内までの鉄道では、君のパスは使えない』と言います。私は、『事前の下調べでは、パスは使えるはずだ』と言い返しましたが、見知らぬ土地での心細さと、Jeffのやけに自信たっぷりの態度に負け、結局、切符を買うはめになりました。

■■
□ところが、私は、フランの手持ちがありません。そこで、仕方なく、両替手数料の割高な空港で、予定外の両替を強いられました。

■■
□確かに、Paris市内の地下鉄には、パスが使えない区間がありました。でも、後で確認すると、結局、Roissyから市内へは、パスが使えました。

■■
□このことから、他人の言うことに惑わされず、不明な点は、窓口で聞くべきだということを学びました。以降、すぐインフォメーションなどで聞くことにしました。

■■
□また、空港での両替は、やはり手数料が高くつくということも学びました。当初、市内に入ってから両替する予定でいたんですけど、やむを得ず、唯一の手持ちキャッシュ3,000円をフランに替えたのでした。

■■
□Roissyに着いた2人。切符売り場で、Paris市内のどこ駅まで買ったらいいか迷っていたアメリカ娘と出会いました。ヨーロッパの多くの大都市がそうですが、Parisにも、パリ駅というのがありません。

■■
□ジーンとキャロル。2人とも大学生。ジーンは、映画ターミネーターのヒロイン(リンダ・ハミルトン)にそっくりのブロンドで、なかなかキュート。

■■
□ここでも、Jeffがやってくれました。『私、Saint Denisという駅の近くに、安いホテルを紹介してくれるところを知ってるよ。よかったら、一緒に行かない?』

■■
□結局、4人で、Saint Denisまでのチケットを買い、私たちは電車へ。しばらく乗ってから、乗り換えないとSaint Denisに行けないことが判明。途中下車。

■■
□ところが、はじめてのParisのメトロ。どの地下通路を通って乗り換えればよいのか、なかなかわかりません。

■■
□Jeffが『Where is Saint Denis(セイント・デニス)?』と、乗換えを急ぐパリジャンを呼びとめて聞くんですけど、通じません。

■■
□私は、大学や独学で、フランス語をかじっていました。『Saint Denis(セイント・デニス)じゃなくて、(サン・デニ)と発音しなければ通じないんじゃない?』

■■
□そんなこんなで、なんとかSaint Denisへ到着し、地下から地上へ。

■■
□ようやくJeffの言っていたインフォメーションに到着したんですけど、宿がなかなかありません。Parisでは、安宿を当日に手に入れるのが難しいのです。

■■
□結局、選択の余地がほとんどなく、Routen Hotelが、私たちの記念すべき1泊目のホテルとなりました。部屋もダブルしかなく、男2・女2で別れて、シェアすることになりました。

■■
□その後の旅で学んだんですけど、そもそも、安宿は、なかなか紹介してもらえません。実際に、安宿に足を運んで、交渉した方が確実なのでした。

■■
□インフォメーションで前払いだったんですけど、予想に反してキャッシュ・オンリー。日本以上にカード社会なんだろうと思っていた私。初日は疲れたので、VISAカードで支払おうと思っていたのに、またまた両替をするハメになりました。

■■
□これも、その後の旅で学んだんですけど、カードは、貧乏旅行では、使えないこともしばしば。だから、多少のキャッシュは必要なのでした。

■■
□Routen Hotelは、暗ーい、古ぼけた、しかも狭ーいホテル。居心地が良すぎるので、ぼくらは荷物を置いて、外に出ました。

■■
□時間は、もう16:00くらいだったと思います。シャルル・ドゴールに到着したのが9:00くらいでしたから、お腹はぺこぺこ。

■■
□少し歩くと、美味そうなサンドウィッチ屋を発見。ここで、私は、半生のビーフとフレッシュベジタブルを挟んだサンドウィッチとビールを買いました。

■■
□やっと空腹も満たされた4人。英語で会話をし、いろいろ話したんですけど、疲れていたんですね。あまり何を話したんだか、記憶がありません。でも、話しながら、こんなことを考えていたことだけは、よーく憶えています。

■■
□『今日は、Jeffにずいぶん世話になってしまった。でも、人に頼っていたのでは、何のために一人旅に出たのか、わからない。明日からは、もっと自分がイニシアティブをとろう。』

■■
□その日は、ジーンたちと遊びに出る余裕もなく、早めにホテルで寝てしまいました。


■ルート■
◇シャルル・ドゴール空港
 ◇入国審査
  ↓パスポートチェック
 ◇税関
  ↓機内持込荷物1個のみだった僕は、多量の荷物を待ち続けるJeffに待たされる
 ◇無料バス乗り場へ

◇9:00/CDC
  ↓無料バス
◇11:00/ROISSY
  ↓
◇14:00/SAINT DENIS
  ↓
◇ROUTEN HOTEL


すべてのエッセイ・リストはこちらから


☆『軽井沢ブックセンター』やってます!

軽井沢ブックセンター~カントリージェントルマンが出会った素敵なアイテムをシェアしたい


☆軽井沢情報はこちら

軽井沢の天気予報
国道18号ライブカメラ@軽井沢追分
浅間山ライブカメラ


☆こんなフォトアルバムもやってます!

PACフォト~『プリン』という名のねこ~

PACフォト~軽井沢Salon~

PACフォト~2004軽井沢Salon~
PACフォト~2005軽井沢Salon~
PACフォト~2006軽井沢Salon~
PACフォト~2007軽井沢Salon~
PACフォト~2008軽井沢Salon~


☆こんなブログもやってます!

『カントリージェントルマンへの道』★軽井沢移住編★~実録!カントリージェントルマン流『普通の生活』~

軽井沢版*追分Salon

軽井沢版*エッセイスト

軽井沢版*キーワードは『循環』Salon

別冊カントリージェントルマンへの道★軽井沢移住~書籍化第1弾への道~

カントリージェントルマンが出会った~素敵なことば~

軽井沢版*薪ストーブ生活

軽井沢版*ホームファーミング生活

軽井沢版*楽陶生活

軽井沢版*楽楽器生活

軽井沢版*ネコ生活★『プリン』という名のねこ★

軽井沢版*バイリンガルへの道~カントリージェントルマンの子供たちをバイリンガルにしたい~

軽井沢版*親父Salon

CG BAR@軽井沢~酒飲みカントリージェントルマンのBAR~

ヨーロッパ一人旅~1990.5.21(月)出発@成田

1990-05-21 15:00:00 | エッセイ

ブログ『軽井沢版*エッセイスト』⇒RSS登録はここをクリック

■■
□地下室で荷物を整理していると、1冊の手帳を見つけました。

■■
□懐かしい・・・。この黒い小さな手帳。私が、大学時代、ヨーロッパ一人旅をしたとき、共に旅をし、思ったこと、感じたことを綴ったメモ帳なのでした。

■■
□1990年5月21日から6月19日まで、私は、大学を積極的にさぼり、ヨーロッパへ旅立ちました。

■■
□まあ、実際は、そんなにかっこいいものではなかったんですけど。でも、今の私を支えているもの、原点がここにある、それは確かなことです。


■■
□1990年5月21日(月)。成田は、いつも通りの朝を迎えていました。そこに、非日常に旅立つ、いつも通りではない私。

■■
□見送りの大学の友人OとNといっしょに、スカイライナーに乗って、成田空港までやって来たんですけど、寝不足と緊張感からか、気だるい感じ。

■■
□当時、成田空港に来たのも、はじめてなのでした。

スカイライナー - Wikipedia

成田国際空港 - Wikipedia

■■
□今でもよーく憶えているのは、空港使用料(当時¥2,000)の自販機が混んでいて、いらいらしたこと(1999年1月から航空券購入時に支払うようになった空港使用料も、当時は、自販機での支払いでした)。

■■
□そして、チェックインを済ませて、4階から3階へのエスカレーターを1人で降りていくときの、なんともいえない心細さ。

■■
□はじめての海外旅行、はじめての飛行機、そしてはじめての長期一人旅。

■■
□大学に入る前、アウトローな生活を送り、一通りの修羅場はくぐってきたつもりでいたけれど、はっきり言って、びびってました。

■■
□でも、不思議なもので、3階に降り立って、税関、出国審査、手荷物検査などを済ませるうちに、今度はわくわくしてきました。

■■
□そう、ここからは頼れるのは自分一人。昔の本の題名にもあったんですけど、『何でも見てやろう』という気になってきました。

何でも見てやろう

■■
□搭乗。シンガポール航空を選んだのは、チケットが安かったのと、その割に信頼性が高いと言われていたこと、そしてもちろんスチュワーデスのコスチュームがいかしていたからでした。

シンガポール航空 - Wikipedia

■■
□11:00。SQ87:シンガポール行きが、ゆっくりと滑走路のスタートラインにつき、エンジンの雄叫びがはじまったかと思うと、加速。機動戦士ガンダムの「アムロ、行きます」状態。

■■
□待ち時間も入れて、これから1日以上、飛びっぱなしの格安空の旅。

■■
□ゆっくり楽しもうと、たらふく酒を飲み、うきうきしていられるのも、ここまで。明日から、厳しい現実が、僕を待ちうけているのでした。


■ルート■
◇O宅(新宿)出発
 ↓山手線
◇上野
 ↓スカイライナー+バス
◇成田
 ↓空港使用料
 ◇チェックイン(4F)
  ↓航空券・パスポート・ボーディングパス
 ◇税関・出国検査・手荷物検査
  ↓機内持込荷物1個のみ
 ◇搭乗

◇11:00/NRT
  ↓SQ87/時差-1
◇13:25/TAIPEI(26℃)
◇14:35/TAIPEI
  ↓SQ87/時差0
◇18:45/SINGAPORE(31℃)
◇21:45/SINGAPORE(暑いが、空港は洗練)
  ↓SQ32/時差-4(日本人、ここから激減)
◇1:00/DUBAI(めっちゃ暑いし、オイリー)
◇1:55/DUBAI(夜景はきれいだが・・・)
  ↓SQ32/時差-2(機上のサンライズ)
◇6:00/ROМE
◇6:50/ROМE
  ↓SQ32/時差0(眼下の真っ白なアルプスが最高)
◇8:55/PARIS(CDG)
 <TOKYO~PARIS/時差8-1(サマータイム)>


すべてのエッセイ・リストはこちらから


☆『軽井沢ブックセンター』やってます!

軽井沢ブックセンター~カントリージェントルマンが出会った素敵なアイテムをシェアしたい


☆軽井沢情報はこちら

軽井沢の天気予報
国道18号ライブカメラ@軽井沢追分
浅間山ライブカメラ


☆こんなフォトアルバムもやってます!

PACフォト~『プリン』という名のねこ~

PACフォト~軽井沢Salon~

PACフォト~2004軽井沢Salon~
PACフォト~2005軽井沢Salon~
PACフォト~2006軽井沢Salon~
PACフォト~2007軽井沢Salon~
PACフォト~2008軽井沢Salon~


☆こんなブログもやってます!

『カントリージェントルマンへの道』★軽井沢移住編★~実録!カントリージェントルマン流『普通の生活』~

軽井沢版*追分Salon

軽井沢版*エッセイスト

軽井沢版*キーワードは『循環』Salon

別冊カントリージェントルマンへの道★軽井沢移住~書籍化第1弾への道~

カントリージェントルマンが出会った~素敵なことば~

軽井沢版*薪ストーブ生活

軽井沢版*ホームファーミング生活

軽井沢版*楽陶生活

軽井沢版*楽楽器生活

軽井沢版*ネコ生活★『プリン』という名のねこ★

軽井沢版*バイリンガルへの道~カントリージェントルマンの子供たちをバイリンガルにしたい~

軽井沢版*親父Salon

CG BAR@軽井沢~酒飲みカントリージェントルマンのBAR~

ヨーロッパ一人旅~1990.5.20(日)前夜@新宿

1990-05-20 15:00:55 | エッセイ

ブログ『軽井沢版*エッセイスト』⇒RSS登録はここをクリック

■■
□地下室で荷物を整理していると、1冊の手帳を見つけました。

■■
□懐かしい・・・。この黒い小さな手帳。私が、大学時代、ヨーロッパ一人旅をしたとき、共に旅をし、思ったこと、感じたことを綴ったメモ帳なのでした。

■■
□1990年5月21日から6月19日まで、私は、大学を積極的にさぼり、ヨーロッパへ旅立ちました。

■■
□まあ、実際は、そんなにかっこいいものではなかったんですけど。でも、今の私を支えているもの、原点がここにある、それは確かなことです。


■■
□大学の友人OとNが、旅立つ前夜、歓送会をしてくれることに。場所は、新宿(大久保)の友人O宅。

■■
□そこで、川口の実家から赤羽駅まで、今は亡き父と妹が、車で送ってくれました。

■■
□最初、赤羽駅までということだったんですけど、『どうせなら、新宿まで送ってもらえると助かるな~』という私の提案で、赤羽をスルー。

■■
□その後、結局、池袋駅まで送ってもらいました。車中、どんな会話をしたのか、詳しいことは忘れてしまいましたけど、ちょっと言い争いになって、池袋で降ろされたという感じだったと記憶してます。

■■
□これから、一人旅に出る心細さもあり、『ここまで来たら、目的地の新宿まで送ってくれてもいいじゃないか』と、当時は、思った覚えがありますけど、今、振り返ると、父にも複雑な思いがあったのかもしれないと想像したりもします。

■■
□男として親父として、今は尊敬している父とも、当時は、ありがちな、父と息子の対立が、しばしばありました。

■■
□旅好きで、好奇心旺盛だった父も、若い頃、海外一人旅という冒険はできなかったと聞いています。

■■
□あの時、もしかすると、父に嫉妬のようなものがあったのかもしれない?・・・そんなことを考えつつ、今は亡き父に、あらためて、『ありがとう』を言いたいと思います。


■■
□東大久保駅で下車して、歩いてO宅へ。さっそく酒盛りをしながら、語り合いました。

●友人N:『大学を一月もさぼって大丈夫なの?』

■■
□彼は、まじめな性格で、やや心配性。

●私:『ちゃんと手は打ってあるよ。語学(英語とフランス語)と体育(陸上)の教授には、「ヨーロッパで自分を磨いてくるために、一月休学致します。帰国次第、また一生懸命勉強しますので、よろしくお願いします。」っていう書面を、提出しておいたんだよ。』

●友人N:『でも単位危ないんじゃないの?』

●私:『それでも単位をくれない教授の授業なんて、落としてもいいさ。』

■■
□実際、私は、語学・体育で単位を落とすことはありませんでした。

■■
□英語の教授Aなどは、『どんどん行ってきなさい。』と逆に応援してくれ、帰国後、授業内で、ヨーロッパ一人旅の体験談をスピーチさせられた程でした。

■■
□もちろん、一悶着あった教授もいましたけど。

●友人O:『でも、ホテルも目的地も決めずに、よく行くよなあ。』

●私:『・・・。』

■■
□この友人Oも、かなりワイルドな奴なんですけど、その彼にあらためて言われると、何だか不安になってきたことを覚えています。

■■
□実は、ヨーロッパ一人旅は、大学に入る前から、在学中にやりたいと決めていたことの1つ。大学2年の初夏というスケジュールも、当初からのものでした。

■■
□そのため、時間をかけて、バイトで軍資金をため、情報収集をし、格安エアーチケット、ユーレイルパス、トラベラーズチェックなどをGetして、既に、入学時から旅をスタートしてきた自分としては、これまで、あまり後ろを振り返らずに来ていたんですね。

■■
□程よく、酔いもまわり、みんなが寝つく中、私は、なかなか寝つくことができませんでした。

■■
□静かな夜に、Oの部屋にあった、ディスカスの水槽の音だけが、妙に響いていました。


すべてのエッセイ・リストはこちらから


☆『軽井沢ブックセンター』やってます!

軽井沢ブックセンター~カントリージェントルマンが出会った素敵なアイテムをシェアしたい


☆軽井沢情報はこちら

軽井沢の天気予報
国道18号ライブカメラ@軽井沢追分
浅間山ライブカメラ


☆こんなフォトアルバムもやってます!

PACフォト~『プリン』という名のねこ~

PACフォト~軽井沢Salon~

PACフォト~2004軽井沢Salon~
PACフォト~2005軽井沢Salon~
PACフォト~2006軽井沢Salon~
PACフォト~2007軽井沢Salon~
PACフォト~2008軽井沢Salon~


☆こんなブログもやってます!

『カントリージェントルマンへの道』★軽井沢移住編★~実録!カントリージェントルマン流『普通の生活』~

軽井沢版*追分Salon

軽井沢版*エッセイスト

軽井沢版*キーワードは『循環』Salon

別冊カントリージェントルマンへの道★軽井沢移住~書籍化第1弾への道~

カントリージェントルマンが出会った~素敵なことば~

軽井沢版*薪ストーブ生活

軽井沢版*ホームファーミング生活

軽井沢版*楽陶生活

軽井沢版*楽楽器生活

軽井沢版*ネコ生活★『プリン』という名のねこ★

軽井沢版*バイリンガルへの道~カントリージェントルマンの子供たちをバイリンガルにしたい~

軽井沢版*親父Salon

CG BAR@軽井沢~酒飲みカントリージェントルマンのBAR~

ヨーロッパ一人旅~プロローグ

1990-05-19 15:00:30 | エッセイ

ブログ『軽井沢版*エッセイスト』⇒RSS登録はここをクリック

■■
□地下室で荷物を整理していると、1冊の手帳を見つけました。

■■
□懐かしい・・・。この黒い小さな手帳。私が、大学時代、ヨーロッパ一人旅をしたとき、共に旅をし、思ったこと、感じたことを綴ったメモ帳なのでした。

■■
□1990年5月21日から6月19日まで、私は、大学を積極的にさぼり、ヨーロッパへ旅立ちました。

■■
□考えてみると、それは、私にとって、はじめての海外旅行。はじめての飛行機の旅。

■■
□にもかかわらず、事前に用意したのは、
<1>往復の格安エア・チケット、
<2>ユーレイルパス、
<3>10万円分のトラベラーズチェック(アメックス)だけ。
「むこうに着いてから何とかするさ。」という具合。今思うと、無茶苦茶です。

ユーレイル - Wikipedia

トラベラーズチェック - Wikipedia

■■
□というわけで、行き先もあまり決めずにスタートした放浪の旅だったんですけど、一応、私にもプランがいくつかありました。

■1■
□東西ドイツが統一される前のベルリンを、この目で見ておきたい。

ベルリンの壁崩壊 - Wikipedia

ドイツ再統一 - Wikipedia

■2■
□F1・モナコGPを、この目で見たい(1990年は、フェラーリに、アラン・プロストとナイジェル・マンセルが組んだ最初で最後の年でした)。

フォーミュラ1 - Wikipedia

モナコグランプリ - Wikipedia

フェラーリ - Wikipedia

アラン・プロスト - Wikipedia

ナイジェル・マンセル - Wikipedia

■3■
□ワールドカップ・イタリア大会を、直に体験したい。

FIFAワールドカップ - Wikipedia

1990 FIFAワールドカップ - Wikipedia

■■
□でも、1番大きかったプランというか目的は、自分の力を試すこと、1人で何ができるのか、そもそも自分は何者なのか、を知ることだったんだと思います。

■■
□振り返ると、自分で言うのも何ですけど、学生時代、どちらかと言うと、『いい子・優等生』タイプだった自分。

■■
□その殻を破るために、旅をして、自分探しをしてみたいと思ったのでしょう。

■■
□まあ、実際は、そんなにかっこいいものではなかったんですけど。でも、今の私を支えているもの、原点がここにある、それは確かなことです。


すべてのエッセイ・リストはこちらから


☆『軽井沢ブックセンター』やってます!

軽井沢ブックセンター~カントリージェントルマンが出会った素敵なアイテムをシェアしたい


☆軽井沢情報はこちら

軽井沢の天気予報
国道18号ライブカメラ@軽井沢追分
浅間山ライブカメラ


☆こんなフォトアルバムもやってます!

PACフォト~『プリン』という名のねこ~

PACフォト~軽井沢Salon~

PACフォト~2004軽井沢Salon~
PACフォト~2005軽井沢Salon~
PACフォト~2006軽井沢Salon~
PACフォト~2007軽井沢Salon~
PACフォト~2008軽井沢Salon~


☆こんなブログもやってます!

『カントリージェントルマンへの道』★軽井沢移住編★~実録!カントリージェントルマン流『普通の生活』~

軽井沢版*追分Salon

軽井沢版*エッセイスト

軽井沢版*キーワードは『循環』Salon

別冊カントリージェントルマンへの道★軽井沢移住~書籍化第1弾への道~

カントリージェントルマンが出会った~素敵なことば~

軽井沢版*薪ストーブ生活

軽井沢版*ホームファーミング生活

軽井沢版*楽陶生活

軽井沢版*楽楽器生活

軽井沢版*ネコ生活★『プリン』という名のねこ★

軽井沢版*バイリンガルへの道~カントリージェントルマンの子供たちをバイリンガルにしたい~

軽井沢版*親父Salon

CG BAR@軽井沢~酒飲みカントリージェントルマンのBAR~