軽井沢版*エッセイスト

軽井沢に移住したイキメン鴨志田が、エッセイストに!?

追分移住への道

2008-02-23 16:58:52 | エッセイ

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□2004年9月22日、我が家は、東京井の頭から、軽井沢追分へ、移住しました。

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□前回の『軽井沢移住への道』の中で、「軽井沢移住への道に進んだのはなぜなのか?・・・一言で言えば、私にとって、軽井沢は『パワースポット』であると感じたから」と書きました。

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□それでは、なぜ軽井沢の中の『追分』移住だったのか?

追分 - Wikipedia

追分宿 - Wikipedia

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□『追分』は、中山道69次のうち、江戸から数えて20番目の宿場町。その名は、中山道と北国街道(北陸道)との分岐点ということに由来します。又、民謡に多く見られる追分節の発祥の地でもあります。

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□江戸時代、浅間根腰の三宿と呼ばれた軽井沢宿、沓掛宿(中軽井沢)、追分宿。今は、軽井沢、中軽井沢の方が栄えているものの、昔、一番繁盛していたのは、『追分』だったのでした。

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□現在、最も、宿場時代の風情をしのぶことができるのも、『追分』です。

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□又、例えば、旧軽などと比べると地味ではありますけど、追分にも別荘地が多くあり、自然も豊か。

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□更に、私の知る限り、軽井沢町の中でも、隣組と呼ばれる地元のネットワークが最も生きているエリアなのです。

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□さて、我が家が、軽井沢の土地探しを始めたのは2002年。最初は、ネット上で、不動産物件情報を収集し、大まかなイメージ作りをしていました。

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□で、はっきり言って、この時点では、軽井沢の西に位置する『追分』に注目していたわけではありませんでしたし、もしかすると、『追分』をはっきりとは認識していなかったかもしれません。

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□一方、『軽井沢』や『旧軽』というブランドに、強い憧れを持っていたわけではなかったので、敢えて、軽井沢町内のエリアの絞込みまでは、この時点で、していませんでした。

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□そんな中、不動産会社@軽井沢を訪問しての土地探しが、いよいよスタートしていきました。

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□2002年10月19日(土)、軽井沢駅近くのK社を、はじめて訪問。社長さん自ら、物件を車で案内してもらったんですけど、この時、社長さんから伺ったアドバイスは、その後、よい道標になってくれました。感謝。

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□まだ右も左もわからない状態だったので、時間の許す限り、おまかせコースでお願いした、はじめての軽井沢土地めぐり。

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□この時は、軽井沢エリア、中軽井沢エリアを中心に見て周り、時間の関係上、『追分』まで足を伸ばすことはできませんでした。物件資料はいただいてきましたが。

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□でも、車内でのやり取りで、これからの土地探しへの方向性、そして、『追分』への道につながる情報をいくつかいただいたのでした。例えば・・・

●土地購入予算
⇒例えば、2000万円あれば、かなりよい物件が選択できる。東京と比べると、坪単価はかなり安いものの、軽井沢町内でも、エリアにより開きがある。

●霧や湿気問題が深刻な軽井沢
⇒特に北東(旧軽井沢含む)は深刻。定住するならば、中軽井沢より西がオススメ。

●観光シーズンの渋滞問題が深刻な軽井沢
⇒18号やプリンス通りは要注意。裏道確保。

●買い物等
⇒軽井沢町内のスーパーは充実している。佐久方面へ出る人も多い。

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□この、はじめての軽井沢土地探しの後、妻と話し合って、以下のようなチェックリスト(土地編)を作り、2回目以降の土地探しに備えたのでした。

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□チェックリストの内容の一部を見ると、例えば・・・

●【A】土地の広さ
・実際に巡ってみて、軽井沢では、100坪前後の土地は狭く感じる。
・できれば、300坪以上を目指したい。
・追分物件は、比較的、坪単価がより下がる傾向にあるので、土地の広さを求めるならば、狙い目。

●【A】エリア
・追分・中軽井沢(但し、千ケ滝等の山方面は×)。
・湿気の少ないエリア。

●【A】購入価格
・2000万円前後。

●【A】土地の状況
・木が残っている土地(×伐採済みの土地)。
・せっかく地方移住するのだから、山奥はともかく、住宅地は避けたい。
・別荘地などの管理地は避けたい。

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□その後、チェックリスト(土地編)を基に、冬と夏、軽井沢の土地を巡り、結局、5社にお世話になりました。

●2003年1月21日(火)、H社
●2003年6月20日(金)、R社
●2003年7月29日(火)、K社
●2003年8月5日(火)、D社

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□確か、何度目かの土地探しの際、軽井沢駅方面から18号を「追分」で左折し、林を抜けつつ、信濃追分駅方面に下っていく坂を降りていく時、『おそらく、この辺に住むことになるのだな~』というインスピレーションが、ビビッと来たのを、今でも覚えています。

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□最終的に、『追分』の今の土地と出会えたことを、感謝しています。

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□我が家の西隣りは定住者で、東隣りが別荘。定住エリアと別荘地エリアのちょうど境にあって、南には林が広がっています。

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□素晴らしいのは環境だけでなく、近隣の定住の方、別荘の方をはじめ、毎年、追分人との交流の輪が広がってます。ありがたい。

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□移住して4年目になるんですけど、『追分』を選んで本当に良かったと思ってます。

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軽井沢移住への道

2008-02-09 10:00:00 | エッセイ

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□2004年9月22日、我が家は、東京井の頭から、軽井沢追分へ、移住しました。

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□前回の『地方移住への道』の中で、「なぜ『地方移住』をめざしたのか・・・一言で言えば、直感」と書きました。

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□それでは、なぜ『軽井沢移住』だったのか?

軽井沢 - Wikipedia

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□今思うと、確かにきっかけはいくつかありました。

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□1999年3月、たまたま北軽井沢のホテルに宿泊し、帰りに軽井沢の教会巡りをしていたとき、石の教会(@ブレストンコート)に感動。この頃から、軽井沢に出会いを感じ始めていたような気がします。

軽井沢 石の教会 内村鑑三記念堂

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□2000年8月、結局、出会いを大切にし、石の教会(@ブレストンコート)にて挙式。その間、準備などで、何度か足を運びながら、急速に軽井沢に惹かれていきました。

Hotel Bleston Court

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□地方移住に向けて影響を受けた人、例えば、カントリージェントルマンの白洲次郎氏が別荘を持っていたのも、偶然にも、軽井沢。

白洲次郎 - Wikipedia

白州次郎~カントリージェントルマンに最も影響を与えた男

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□又、地方移住やホームファーミングで影響を受けた、ヴィラデストワイナリーの玉村豊男氏が以前住んでいたのも、たまたま軽井沢でした。

玉村豊男 - Wikipedia

玉村豊男~カントリージェントルマンに影響を与えた農園主

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□とはいえ、2000年5月26日、東京井の頭で、『PACオフィス鴨志田行政書士事務所』を開業した当時、既に、地方移住のビジョンは持っていたものの、『よし、将来、軽井沢に移住するぞ』とまでは思っていませんでした。

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□新幹線で東京まで1時間の軽井沢ですけど、私に新幹線通勤の予定はありません。交通の便がよいのは助かるものの、移住後、それ程、東京に出ることはないだろうとイメージしていました。

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□『軽井沢』や『旧軽』というブランドに、強い憧れを持っていたわけでもありません。

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□では、軽井沢移住への道に進んだのはなぜなのか?

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□おそらく、浅間山を眺めながら、自然豊かな地で、緑、おいしい空気と水を満喫したいという思いは持っていたでしょう。

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□私の実家が埼玉県川口市。妻の実家が富山県立山町。軽井沢は、互いの実家のほぼ中間点に位置していたことも、理由の1つ。

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□帰省の際に、上信越道を利用していたので、軽井沢は、身近な存在になっていたのも事実です。

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□又、『軽井沢』という知名度、全国区のネームバリューがあるという点は、明らかにビジネス上のメリットを感じていたのも確かです。

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□更に、地方分権と言われながらも、財政的には相当苦しい地方が多い中、軽井沢町は、地方交付税の不交付団体で、財政的にも、恵まれていることは、定住目的の者としては、心強さを感じていました。

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□過疎が進む地方にあって、軽井沢は人口が増えている町である点も、良いことばかりではないものの、明るい話題の1つだと思いました。

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□このように、理由はいっぱいあるんですけど、最大の理由を一言で言えば、私にとって、軽井沢は『パワースポット』であると感じたからなんです。

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□『パワースポット』。地球上に点在する特別な「場」。そこに行くと、人は不思議とくつろぎ、エネルギーが充電され、溜まっていた心身の汚れが浄化されるところ。

パワースポット - Wikipedia

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□別に私は、宗教家でもなければ、特殊能力があるわけでもないんですけど、自分にとっての『パワースポット』はどこなのか、これは、ずいぶん前から意識して過ごしてきました。

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□ちなみに、東京では、青山が、私にとっての大切な『パワースポット』で、よく散歩していました。

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□ご存知の通り、軽井沢は、田舎でも都会でも、ただの観光地でもない、不思議な場所。

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□信州の中の1つの町なのに、その名は全国区。『軽井沢』と聞いて、positiveな印象を持っていただけることも結構多いところ。

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□私に限らず、軽井沢に何らかの魅力を感じる方は多いようですし、その歴史も知れば知るほど多種多様で面白いんですけど、自分にとっての『パワースポット』かどうかというのは、まさに感性レベルの話。

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□実際に移住して感じることは、やっぱり軽井沢は、私にとっての『パワースポット』だな~ということ。

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□そもそも、こういうブログをやっていること自体、その影響を受けているのかもしれませんね。


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