のらりくらりSEVEN ART☆

40歳からのぼちぼち人生

自立抜粋☆

2018-11-27 19:33:30 | 日記


親は「子どもを自立させたい」とよく言います。では、具体的には何ができれば自立していると言えるのでしょうか。子どもにとって、あるいは人間にとって、本当に大切な自立とは何を意味するのでしょうか。みなさんは、それについて真剣に考えたことがありますか?

自立しているとは何ができる状態のことか

私が教師だったとき、授業参観の後の懇談会で、よく親たちに「自立しているとは何ができる状態のことですか? 具体的に5つ挙げてください」という質問をしました。

教育評論家になってからも、いろいろな親たちに聞いてきました。この質問をすると、ほとんどの人が「えっ?」という顔でしばらく戸惑います。今までまったく考えたことがないからだと思います。そして、自分たちの生活を思い浮かべながら次のようなことを挙げます。

「朝、起こされなくても自分で起きる」「自分で進んで顔を洗える」「食事中にこぼしたものは自分で拭ける」「食後は親に言われなくても自分で歯を磨ける」「自分から勉強を始められる」「次の日の支度を自分でできる」。親たちが漠然と思っている自立とはこういうことです。毎日同じことを親に言われなくても、こういった生活習慣的なことが自分でできることを自立と呼んでいるのです。

もちろんこういったことはすべて自分でできたほうがいいです。できるに越したことはありません。でも、実は子どものときにできなくてもそれほど心配することはありません。なぜなら、大人になって本人がその気になれば、その人なりにできるようになるからです。

親がやってほしいこと」ではない

子どものうちに伸ばすべき本当に大切な自立とは、こういったものとはまったく別のものです。それは、自分がやりたいことを自分で見つけてやっていくということです。言い換えれば「自己実現力」です。主体的な生き方といってもいいでしょう。

それができる人が本当に自立した人間です。そして、これから到来するAIの時代をたくましく生きていける人なのです。でも、これは大人になって急にできるものではありません。子どものうちから、そういう生き方をさせてあげることが大切なのです。

いちばん肝心なのは、「自分がやりたいこと」です。「親がやってほしいこと」ではないのです。「朝自分で起きる」とか「自分で顔を洗う」など、親たちが挙げるものはすべて親がやってほしいことです。

親はみんな、自分がやってほしいことを子どもが進んでやってくれることを自立と呼んでいます。それは自立というより自動化あるいはロボット化と呼んだほうがいいかもしれません。親たちの望みどおりに動く、親たちにとって都合がよい、手のかからない育てやすい子にすることを自立と呼んでいるのです。

そして、問題はこういった親が望むことができない子がたくさんいて、その子たちは自分がやりたいことを優先して生活しているので、その結果毎日叱られ続けているということです。「また○○してない。ちゃんとやらなきゃダメでしょ。何度言ったらできるの。自分がやりたいことばっかりやってないで、やるべきことをやらなきゃダメでしょ。そういうずるいところを直しなさい」「そんなことはやめて、これをやりなさい」などと叱られ続けているのです。

それで直るかというと、先ほど書いたように直ることはほとんどありません。それどころか、叱られ続けた子どもは「どうせ自分はダメな子だ」と思い込むようになり、自己否定感にとらわれた状態になってしまいます。そして、「自分がやりたいことを自分で見つけてやっていく力」、つまりいちばん大切な自立の芽も摘み取られてしまいます。

子どもの頃からさんざん叱られ続け、「そんなことはやめて、これをやりなさい」と言われ続けて大人になり、そこで急に「あなたは何をやりたいの? 自分のやりたいことを自分で見つけて主体的に生きなさい」と言われてもできるはずがありません。


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