のらりくらりSEVEN ART☆

40歳からのぼちぼち人生

2015年度表彰式☆

2016-03-07 22:54:39 | 日記


日曜日に
2015フットサル県リーグ表彰式にルコックのジャージで出席させて頂きました(笑)






やがて38歳

ドリブルもできず
パスもひっかかり
シュートも枠外
体力も落ち
筋力も落ち
判断力も落ち


あるのは
ベテランという名の疑惑の経験値と若手を走らせる要領とちょっとの負けず嫌い(笑)




ただこの年齢で授賞出来た事は有り難いです。
仲間に感謝。



























2009年は
フットサル九州リーグ1部で得点王になりました。
そして九州リーグ1部選抜に選出されました。
その時のユニホームですがもう着ることもないでしょう(笑)




センスのかけらもないこの僕が九州リーグ得点王。詐欺以外のなんでもないね(笑)



ちなみに2009年の表彰式には行ってません(笑)
九州リーグ選抜の試合には参戦しました。


とさ!



まぁ過去のしょぼい話でした。




さぁ
フットサルマスターとして頑張っていこう!


某記事抜粋☆

2016-03-07 12:26:56 | 日記
例えば、

悪循環
 子供視線で見る 「嫌いな大人像」 を考えてみよう。
 子供の頃の自分を思い出せば良い。
 割と 「嫌だった言われ方」 をしているもんだ。
 すると、子供は言うことを受け取ろうとしない。

経験が残る
 体力と経済力は大人に敵わない子供。
 体力と経済力を盾に言うことを聞かせる事で、「恨み」 と 「妥協」 を経験させることになる。
 妥協を経験した個は、チカラに屈する個になる。
 恨みを経験した個は、意地悪になる。


某記事抜粋☆

2016-03-07 12:25:30 | 日記
順調に行っていても、急に弱気になることがある。

緊張をかき消しても、完全に無くなった訳じゃない。
苦手を避けて通っても、苦手が克服できた訳じゃない。

「頑張ること」と「我慢すること」が苦手な現代の子供達のままじゃ、
「意志」や「覚悟」に辿り着くことはできない。

挫折からの逆転は、挫折するからできるのだ。
近道や平坦な道を選ぶ事は、挫折しにくい道を選ぶ事。

競争の必要性の解釈は、
他人との競争の中で、「本来の敵は自分の中にある」と気付くために必要。


順調に行っていても急に弱気になることがある。

自分の進んできた道を振り返った時、自信の根拠を持っているかが問われる。
後悔を頭で実感するのはゲームが終わった後だが、ゲームが始まる前に心は後悔する。
「もっとやっておけば良かった」

不安とは、「事前の後悔」という矛盾の産物だと感じている。
この厄介な「悔やむ」という怪物は、頑張った根拠を持っている人にも挑戦してくる。
努力してきたのに撥ね返せず、「できなかった」と思ってしまう人もいる。

撥ね返す人は、実感を持っている。

「体験」と「経験」の違いを説く人がいるが、現象をそのまま受け止める行為と、
現象を受け止め、良くくしようと自ら動いた行為の違いがある。

運転して旅に出るのと、助手席に乗って旅に出る違いだ。

能動的な取り組みが、実感として体や記憶に刻まれる。
受動的な取り組みは、実感が残らない。

実感が、要所の危機と好機を教えてくれる。
主体的な努力を実感した人は、自信の根拠を持てるのだ。

 どこでやるかじゃない、どんな風にやるかだ。
 少年期に最も大事にしているのは、取り組み方だ。
 やるのは本人、親やコーチの意思じゃ変えられない。

事ある毎に言ってきたがその理由は、こんな事。

私自身は、今年も深く実感したことが多々ある。
人の数だけ主役がある。
誰かの指示の通り生かしては、自分の人生なのに主役じゃない。

子供の頃に、
甘やかさない。
大人の思惑通りにさせない。
逃げ道を教えない。

まとまらないが、今日も自分のやるべき事をがんばる。
そして、経験を積み上げる。

積み上げるためには、底に蓋(ふた)をする。
逃げない意志(蓋)を持つ子供に育てなければ、積み上がらない。

そんな子に育てるために、我々は何度挫折しても諦めない。
我々のこの姿勢(背中)も子供達には影響するのです。

まずは、自分から。。。