Corugen's Workplace

日常の風景をつづり、社会の非道を断じ、自らの趣味を披瀝するアナーキーな広場

■「赤い疑惑」と白血病と核戦争

2004年05月28日 | 002思い出
前回の続きで「赤いシリーズ」。このシリーズで一押しを上げるなら、やはり「赤い疑惑」だね。

▼大学医学部の教授を務める父(大島教授:宇津井健)の所へ遊びに来た娘(幸子:百恵ちゃん)が、自己に巻き込まれコバルト60を浴び被曝。急性骨髄性白血病に冒される。なれそめは忘れてしまったが、その病院の医学生(友和)と恋に落ちるが、彼は結ばれてはいけない相手であったのだ(彼の父(長門裕之、悪役を熱演)が道ならぬ関係で愛した相手が、大島の妹(岸恵子)で、幸子は実は二人の子供だったという。それを大島夫妻が引き取ったというわけ。大島の妹はパリに住まい、「パリの叔母様」として幸子を影ながら見守る。つまり惹かれ会い愛し合う若い二人は異母兄妹だったという顛末。結局、幸子の白血病は進行し(それを知ってか知らずか記憶朧気)彼と結ばれることなく帰らぬ人となるわけ。

参考:MOMOE WORLD 


▼「白血病」・・・・・・・この死に至る病に当時小学校3年生だった私は恐怖におののいたものである。それはかなり(ビョーキという意味で)重傷で、当時頭痛持ち、アトピー持ち、貧血持ちだった私は、「僕は・・・・もしかしたら白血病かもしれない(ハァハァ)。親は何も言わないが、本当は隠しているかもしれない(ハァハァ)」と危ない妄想の世界を生きていた。「病は気から」この、負のスパイラルで、精神的にも落ち込んで、自分勝手に「僕はあと数ヶ月の命しかない」などと悲劇のヒロインならぬヒーロー?気取りでブツブツ言っていたのを(いやぁ実にお恥ずかしいが)記憶している。こういう記憶こそ忘却の彼方に追いやりたいのであるが、悔しいかな、忘れられないのである。そんな私も何となく37歳のいままで元気に生きています。

▼白血病も骨髄移植や抗ガン剤やらで治癒も可能だとはいうが、やはり難病であることは昔も今も変わっていないと思う。結構、元気な人がなったり、著名な人では渡辺謙もそうですよね。奇跡的な復活を遂げましたが。

▼「白血病」が真に迫る時代背景として、冷戦を抜きにしては語れないでしょう。米ソの核開発競争、それを背景とした映画も作られてきました。主に中学から高校に掛けてですが 「博士の異常な愛情」(1963) 「テスタメント」(1983) 「ザ・デイアフター」(1983)  「The Future War 198X」(1982) 自虐的にもこれらの映画、すべて見ました。

▼また小学3年生の頃「はだしのゲン」で広島原爆投下の実情を知り、また程なく広島に行って平和祈念資料館を見学し、天満屋で開催されていた福井芳郎「あの日から30年展」(彼自身被爆し、以後原爆をモチーフとした油絵作品を残す)の強烈な作品を見る中で、核兵器・放射線障害・白血病・ケロイドといったキーワードが脳裏から離れなくなったところはある。また、手塚治虫「ブラック・ジャック」(秋田書店新書版)9巻に収載されている「絵が死んでいる」のインパクトも大きかったですね。これも南洋の小島でスケッチ旅行をしていたゴ・ギャンという画家が某国の核兵器実験で被爆し、BJのおかげで脳髄以外の全身を他人のものと入れ替え一命は取り留め、画家生活を続けることが出来たが、彼に最後に残された脳髄も放射線に冒され、昏睡に陥るという。同じ手塚の「火の鳥・未来編」も電子頭脳同士の争いが戦争に発展し、人類は超水爆の熱地獄の中に終末を迎えるというストーリー。「アレがヤマトの火だ。あそこには生命はない。原子よりももっと細かい塵になってしまった」というロックの言葉が印象的であり、悲劇的でもあった。

▼核兵器と放射線障害の恐ろしさ・・・・・そしてアンビバレンツではあるが、キノコ雲に死の芸術、終末的光景の壮大さを感じる自分もいる。「the age of the atom(アトムの時代)」(1994年・美術出版社)。これはキノコ雲の写真ばかりを集めた写真集で、私はこれを蔵書として持っているが、おぞましさとため息の出るような美しさが併存する人工的な美。でもその雲の下には無数の死が横たわっていることを思うとき、何とも言えないやりきれなさを感じる・

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