Corugen's Workplace

日常の風景をつづり、社会の非道を断じ、自らの趣味を披瀝するアナーキーな広場

■自爆テロ&華氏911

2004年07月07日 | 003批評・書評
自爆テロのニュースが後を絶たない。今の日本からすると自爆テロも北朝鮮の金正日体制も常軌を逸したものと報道されているが、それはかつての日本の姿だったのでは?


神風特攻隊もありゃ自爆テロだ。戦前の天皇制や軍部独裁だって主体思想に近いものがある。テロルとウルトラナショナリズム。幸いにも他人事に見られる今日ではあるが、すべてにおいてそれでいいのかという疑問もある。おい、特にマスコミ、もうちょっと頭ひねってくれよ。いずれにしても命を懸けてテロを行い、本人は勿論死んで、標的も死ぬ。目を覆わんばかりの惨劇であることには変わりない。何故彼らがそこまでやるのか、宗教的ヒステリーとアメリカは見ているのか?民主主義は一律でアメリカに大義があると確信しているのか?もう少し考えてみて欲しいものである。

そして余談だが、昨今話題のマイケルムーアの「華氏(ファーレンハイト)911」この映画の見方も注意を要する。ムーアのブッシュ告発(というか風刺的暴露)は結構だが(そして私も共感を覚えるが)、自論結論ありきの映像<作品>であることを。実際の映像を再構成はしているが、普通のドキュメンタリーとはちょっと異質である。「全部信じるな、でもよく見よ、そして考えよ、自分の足下を」といったスタンスか。自分がそんなアホな彼に何を許しているのか、それを考えれば自分が次になすべきことが自ずとわかってくるはずである。アメリカは良きにつけ悪しにつけ、メディアが高度に発達し過ぎている。そしてメディアを美味く使って対外的には戦争を、国内に到っては政治劇が進行している。<プロパガンダ>が横行する社会、そして誰かが儲けているという構造。「言った者勝ち」「論争に勝ったものが正義」というゆがんだ風潮。国内外の数多の識者が指摘するところである。そういうメディアの死角をどこまで見据えることが出来るか、自分としての判断を誤りなきものにしていくか、それが大切である。

まとめになっていないかもしれないが
・アメリカという国や思考風土に対して、それが幻想ではないか?いいところばかり、自分や自国に都合のいいところばかりで解釈していないかということを再考する。それには自分にとっての倫理って何なのかを振り返って考える必要があるだろう。自分にとっての譲れない一線、コンプライアンス(この場合は法令遵守ではなく、自分を取り囲む社会規範としてあるべき姿)

・これは対アメリカに限らずであるが、メディアや政治といった名実ともに権力として存在するものに対する批判的精神(批判だけをせよということではない。ちょっと斜に構えて自分としての判断を誤らないような熟視とでもいおうか。)

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