梅雨が明けた。久々に大和路を歩いてみようと思った。
バス停を降りて5分も経たないうちに汗だくになる。自動販売機で水を補給し、歩くこと数分、目の前には大きな陵墓が姿を現した。
初めて奈良に来たのは、中学生時代のクラブ活動の合宿だった。今はなくなってしまった夜行列車「銀河」に揺られて京都まで、そこから奈良線のディーゼルカーに乗り換えて最初にやってきたのが、このウワナベ、コナベ古墳だった。近くに高台がないので、前方後円墳という●と▲を合わせた独特の形状は確認できず、池に囲まれた、立ち入り禁止の島という印象だけが残っていた。
奈良、大和路といえば大仏さんだったり、法隆寺だったり、鹿だったりを連想するのが普通だろうけど、私にとっては、この観光客が訪れることがあまりない、佐紀盾列古墳群という難しい名前のついた一角が、是非とも再訪したい場所だった。ずっとずっと以前に訪れた場所なのにあまり周囲の風景が変わっていないような気がした。時折地元の人が自転車で通り過ぎるだけ、後ろは住宅が点在している古墳さえなければただの地方の風景の中である。逆にそのほうが、この古墳が造営された1500年前を思ってみるには、ふさわしいような気もした。
バス通りに戻って少し歩くと道端に海龍王寺の入口が見えた。どうかすると通り過ぎてしまいそうなくらい地味な入口だ。かつての大伽藍も今は本堂ほかわずかの建物が残るのみで、ひっそりしていた。参拝客は誰もいない。本堂には重文の仏像が安置されていた。ひととおり拝んで堂内を見回して、あれっと思った。国宝が見あたらないのだ。入口でもらった栞を読むと、五十小塔は西金堂にあるとのこと。脇の西金堂をのぞくと、模型のような小さな五重塔だけが安置されていた。こんな小さな古刹のなかで、よくも千年以上も大切に守られてきたものだ。
静かな境内を出ると、また強い日差しが差し込んできた。今年の大和路は暑い。
バス停を降りて5分も経たないうちに汗だくになる。自動販売機で水を補給し、歩くこと数分、目の前には大きな陵墓が姿を現した。
初めて奈良に来たのは、中学生時代のクラブ活動の合宿だった。今はなくなってしまった夜行列車「銀河」に揺られて京都まで、そこから奈良線のディーゼルカーに乗り換えて最初にやってきたのが、このウワナベ、コナベ古墳だった。近くに高台がないので、前方後円墳という●と▲を合わせた独特の形状は確認できず、池に囲まれた、立ち入り禁止の島という印象だけが残っていた。
奈良、大和路といえば大仏さんだったり、法隆寺だったり、鹿だったりを連想するのが普通だろうけど、私にとっては、この観光客が訪れることがあまりない、佐紀盾列古墳群という難しい名前のついた一角が、是非とも再訪したい場所だった。ずっとずっと以前に訪れた場所なのにあまり周囲の風景が変わっていないような気がした。時折地元の人が自転車で通り過ぎるだけ、後ろは住宅が点在している古墳さえなければただの地方の風景の中である。逆にそのほうが、この古墳が造営された1500年前を思ってみるには、ふさわしいような気もした。
バス通りに戻って少し歩くと道端に海龍王寺の入口が見えた。どうかすると通り過ぎてしまいそうなくらい地味な入口だ。かつての大伽藍も今は本堂ほかわずかの建物が残るのみで、ひっそりしていた。参拝客は誰もいない。本堂には重文の仏像が安置されていた。ひととおり拝んで堂内を見回して、あれっと思った。国宝が見あたらないのだ。入口でもらった栞を読むと、五十小塔は西金堂にあるとのこと。脇の西金堂をのぞくと、模型のような小さな五重塔だけが安置されていた。こんな小さな古刹のなかで、よくも千年以上も大切に守られてきたものだ。
静かな境内を出ると、また強い日差しが差し込んできた。今年の大和路は暑い。