妖しい亜熱泰

タイと東京、アジアと和の話題など。
出かけたついでに一枚をつづります。

ガムランの響き

2009-02-28 | Weblog
10年以上前、初めてバリ島を訪れたときのことが、未だに強く印象に残っている。ホテルのロビーで演奏されていた音楽だ。ゆったりとした打楽器が奏でる音は初めて聞くものなのに、懐かしい感じがした。そう、なんとなく沖縄の音楽に似ていたからだ。

だからガムランをやってみたいという人も多いのだろう。毎年、東京音楽大学でガムランの社会人講座が開かれている。そして講座の年度末には発表会が行われる。
ジャワから取り寄せた楽器で、本格的なガムランを聞くことができる貴重な機会だ。

演奏が始まると、忘れていたバリの音楽が、踊りが、記憶の引き出しをひとつひとつ開けていく。

この旋律は、きっとずっとずっと昔の日本人も聞いた調べだろう。

屏風と現代アート

2009-02-24 | Weblog
泉屋博古館の「近代の屏風絵」展が展示替えになっているのを思い出して、出かけてみた。前期の入場券の半券持参で、後期の入館料が半額になるからだ。

今回の展示で一番目を引いたのが、第一展示室入ってすぐの、「二条城行幸図屏風」だ。17世紀の作品なので、平安絵巻のような優雅さはないが、これでもかこれでもかというほど人物一人一人を丹念に描いていて、雅の世界とはまた違った華やかさをかもし出していた。続いて入った第二展示室には人だかりができていた。運良く、展示解説の終盤に間に合ったのだ。大正期の香田勝太の作品は屏風絵にしては珍しく油絵で、さらにプラチナを用いているなど、解説がなかったらわからなかったような話を聞くことができて有意義だった。ここでの注目は、ポスターにも採用されている木谷桜谷の「柳花図」だろう。やわらかい緑と白い桜の対比が絶妙だ。

近代の世界をのぞいた後は、アークヒルズの前を通って六本木ヒルズへ。結構時間がかかります。特に交差点手前の坂はきつかった。以前は逆方向から歩くことが多かったので気づかなかった。

六本木ヒルズの40階にある、六本木アカデミーヒルズ40で行われていたのは、東京工芸大の卒展。いやぁ、豪華な施設を借り切ったものだ。入学志望の学生たちも訪れていて、それなりの宣伝効果が表れていたようだ。学生集めも大変ですね。
写真、映像、デザイン、メディアアート、アニメーションの各学科で個人、グループによる実演、展示をやっていて、動かしてたのしい、見てたのしい作品が多かった。
テレビの時代から、ネット、ゲームの時代ではこうした学生のような資質を持った人たちが広告や番組、映像作品の担い手になっていくのだろう。

変わらない芸術、変わっていくアート、100年足らずの間に色々とあるものだ。

2009年 世田谷梅まつり

2009-02-22 | Weblog
うっかりしていた。この2年ほど梅の開花が2週間以上遅れていて今年も2月下旬か、3月上旬あたりにいけばよいだろうと予想していたのだが、1月下旬あたりから続々と梅の便りが入ってきたからだ。

いつも訪れているのは世田谷区にある羽根木公園で、種類の多さ、数、枝の高さなど梅見にちょうどよい。ところが、数年前に剪定をしたのでこの2年くらいは満開になってもちょっと寂しい感じだった。

ポカポカ陽気に誘われるように出かけてみたのだが、開花率80%にしてはちょっと花が少なかった。開花率は一本の木に一輪でも咲いていればカウントされるので、開花率80%と八分咲きは一致しないないためだ。紅梅、白梅、ピンクとそれなりに可憐な花を咲かせていて、木の下ではお弁当を広げている人たちも大勢いた。 花見だとドンちゃん騒ぎになるが、梅だとそうはならないのがいい。でも、来週ぐらいのほうがもっと花を楽しむことができたかな、と思ったりした。

ところが、前方をぞろぞろ列をなして歩いている一隊を見つけるや前言撤回。実はこの日で大正解。行列の先頭にいたのは撮影会のモデルさんたちだったからです。

花より団子、よりも梅娘、じゃあなくて、やっぱり梅見は羽根木公園に限る、のでありました。

万仏節

2009-02-21 | Weblog
タイでは陰暦3月の満月の日はワンマーカブチャー(万仏節)という仏教の祝日になる。仏陀の弟子1,250人が仏陀から入道儀式を受け、悟りの境地に達したことを祝う日だそうだ。

この日は多くのタイ人がワット(お寺)に詣でる。タイ人の友だちも参拝に行くというので連れて行ってもらった。向った先は王宮内にあるワットプラケオ(エメラレルド寺院)で、観光客も大勢訪れていたがそれを上回るタイ人たちでごった返していた。

あらかじめ蝋燭、線香、花(蓮が多いが他の仏花でもよいようだ)を用意しておいて、境内に入ったらこの3点セットを手に携えて本堂に沿って時計回りに3周歩く。それが終わると、蝋燭、線香に火を灯し花を供えてお祈りをする。

本堂に入るのはこの後だ。エメラルド仏にお参りをすませて外にでると、ちょうど本堂の扉が閉まるところった。通常なら夕方まで参拝可能なのだが、この日は特別な儀式があるため、午後になると中に入れなくなるのだ。境内の混雑はいつのまにか緩和されていた。たぶん、午前中にお参りを済ませておこうという人たちが多かったせいだろう。いずれにしても、到着があと10分遅れていたら堂内には入れなかったわけで、ラッキーだった。

ちゃんとお参りが出来たおかげで、今回の旅は何ごともなく無事に帰ることができた。

ただ、凡人の観光客にはいささかアンラッキーな一日でもあった。というのは、この日はお酒を飲んではならないとされ、コンビニでもビールは販売中止だし、ネオン街のバーも休業となりひっそりしていたからだ。

とはいえ、部屋に戻るや冷蔵庫にストックしておいた缶ビールでぐびっとやっていたのでありますが…

タイ式婚礼の儀

2009-02-17 | Weblog
「お坊さんが来ましたよ」
タイでは縁起のいい数字は9。だから婚礼の際に呼ばれたお坊さんも9人だった。集まった人たちは、お坊さんに托鉢をする。この日は結婚式なので、お坊さんが持ってきた入れ物はテーブルの上に置かれていて、新郎新婦を先頭に順にお金や食べ物などを入れていく。私もカオニャオ(もち米のご飯)を分けてもらって托鉢をした。

お坊さんたちは、横一列に並んでその向かいに二人が座る。手前の一番えらいお坊さんがお経を読んで、最後に小さな箒のようなもので二人の頭に水をかけて終わった。神聖な儀式だと予想していたがこの水をかける動作がどうみても大雑把。それでも近所の人たちや親戚など水掛のおすそ分けをいただこうと、お坊さんの前に殺到してきた。「頭が洪水になっちゃった」と一同大笑い。儀式がすむと、お坊さんたちは食事を取って、帰って行った。

午前8時過ぎ、新郎だけが呼び出されて数百メートル離れた親戚の家へ。私は新郎側なので一緒についていった。一本道を歩いていると、収穫を終えた田んぼのなかでのんびり牛が草を食んでいるのがみえた。
しばらく待機していると、突如音楽隊の演奏が始まった。ラッパにギターなど本格的、その上最後尾には2つのスピーカーがついたリヤカーもついているから、村中に響き渡っているだろう。行進が始まると続々と人々が集まってきた。踊りながら歩き、話し、みんなとても楽しそうだ。行進は時々止まっては時間調整をしていた。
そして、9時ちょうどに花嫁の実家前に到着。ここで一行はとうせんぼをされる。新郎がお金を渡して中に入れてもらう。これも儀式のひとつだ。

家の中に入ると結納品の授受があった。このときお金を一枚一枚かぞえて円形に並べ、最後に金額が公表される。日本とは違うなぁ。
続いて長老による儀式が始まる。どうやらここからがハイライトのようだ。新郎新婦の頭と小さな木を太い糸で結んで、長老がお経のようなものを延々と唱えている。それが終わると、二人の手首に糸を巻きつける。長老の仕事はここまでだ。あとは親戚や村の人たちがひとりひとり歩み出て、二人の手首に糸を巻きつけていく。子供たちも窓ごしに中をうかがっていて、昨晩とは違った人だかりができていた。中に戻るとすでに糸を巻きつけてきたおばあちゃんに手招きされた。近づくと私の手首にも糸を巻いてくれた。しわしわで、細くて真っ黒だけどその手からとてもあたたかい気持ちが伝わってきた。すると次々にそばに座っていた人やら先ほどの長老に呼ばれて、私の手首は糸でぐるぐる巻き状態になった。

全員が糸を巻き終わると、記念撮影をしてすべての日程が終了した。
カラオケセットもいつの間にか片付けられて残ったのは大きなテントだけになった。あっという間にのどかな農村風景に戻ったのだ。

迎えの車がやってきた。たった2日間だったが、時の流れはそれ以上に長く感じた滞在だった。
車が動き始めると、子供たちが手を振りながら追いかけてきた…