妖しい亜熱泰

タイと東京、アジアと和の話題など。
出かけたついでに一枚をつづります。

香港的生活回顧 7 ワンチャイ

2004-10-26 | Weblog
香港島にワンチャイというところがあります。昼間は山側の露天市場が賑わいますが、夜になると海側にネオン街が出現します。ネオン街ですがふだんはがらがらです。ところが年に数回アメリカ軍の艦隊がやって来ると様子は一変、ものすごい騒ぎとなります。このネオン街はベトナム戦争以来アメリカ軍によって支えられているのです。

ワンチャイには日本人はほとんど来ません。在住邦人たちが接待とか自分たちで飲みにいく場合は隣町のカラオケが多いようです。日本式でフィリピン人がいて、歌い、騒ぎ、裸踊りをした挙句、両脇を同僚に抱えられて帰宅するという、まるでそこは新橋か上野かという日本みたいなところです。同胞としては見るに耐えられない光景なので、見学だけで遠慮させてもらいました。

ワンチャイで働いている女性は意外にもチャイニーズは少なく、タイ人やフィリピン人が圧倒的に多いです。フィリピン人のほうが若くてスタイルもよく当然英語ぺらぺらです。が、ビザの関係で滞在は半年だけ。したがって金にならない私のような客はそっぽを向かれてしまいます。一方、タイ人はもともとタイレストランやメイドとして香港に来たものの、稼ぎのよさに引かれて移ってきた人が多く、年齢も高めで英語もうまくない人がかなりいます。しかしながら人当たりはよく、ビール1杯しか頼まなくても、自分たちが買って来たお菓子や果物を分けてくれたりします。

プーケットやバンコクに旅行してタイ自体好印象を持っていたので、ワンチャイのタイ人と知り合いになるにつれ、次第にタイ、タイ人が好きになって行きました。そんなわけで香港にいながら広東語も話せず、邦人ともあまりつきあわず、タイ人とばかり話をしているというへんてこな日本人になってしまったのです。



旧古河庭園

2004-10-24 | Weblog
台風の合間を縫って、北区にある旧古河庭園を訪ねてみました。
香港に住んでいると気候の変化が少ないので日本のように季節を肌や目で感じることが出きません。そんなわけで、帰国してからは季節の花を見に行って、日本の四季をもう一度再確認したいと思うようになりました。

旧古河庭園はもと陸奥宗光の別邸だったものを、大正年間に古河財閥が洋館、洋風・和風庭園として整備したものです。谷を含む丘が敷地となっていて、谷底部分に和風庭園、斜面には洋風庭園、丘の上に洋館がそびえ立つ構造になっていますが、下の和風庭園からは洋館が見えないのでうまく
バランスが取れています。
庭園では「秋のバラフェスティバル」が開催中で週末には「ローズガーデンコンサート」をやっています。この日はハープとギターの演奏が洋館を背にした芝生の中で行われました。

ふだんは味気なく感じることの多い東京の町ですが、よく探してみるとこういった心の落ち着ける
場所があるものです。

香港的生活回顧 6 長洲島 その2

2004-10-23 | Weblog
長洲島は漢字の「人」みたいな形をしていて真ん中の西側がフェリー埠頭になっています。
港から一本奥に入ったところにあるメインストリートは幅2~3mの細い道でこの道の両側に小さな店が立ち並んでいます。北へ進むとグランドに突き当たり、子供たちがサッカーをしていていて
その隣には北帝廟があって老人たちや観光客が参拝に訪れます。この廟の傍らではいつ行っても木陰で老人たちがマージャンをやっているのを見ることが出来ます。

北帝廟から南へ少し戻り、港と反対側に曲がると2,3分でもう東側の海岸に出ます。東湾、観音湾と続く東側は砂浜になっているので夏は海水浴客でいっぱいになります。
5分と歩かないうちに漁港、商店街、廟、砂浜と景色がどんどん変わっていくので散歩しているだけでも面白いです。観音湾へ向う途中には古代人の書いた絵らしきもの(線刻)もあって覗き込む人も多いです。観音湾海水浴場裏手の丘にはヨットを模したカフェがあり、一休みするには絶好の場所なのでいつも立ち寄ることにしています。ここでは軽い食事も出来ますが、おなかがすいていても我慢、我慢。

というのは、長洲島に来たからには海鮮料理を食べて帰るのが最大の楽しみだからです。フェリー埠頭から岸壁沿いに北に歩いていくと軒先に水槽を並べた魚屋が並んでいます。
この魚屋の何軒か(店によって品揃えが違うので最初の店で全部買うと後悔します)で、海老、蟹、魚、貝など量り売りで調達して、あとはその先にこれまた何軒も続いているオープンカフェ風のレストランに持ち込み調理してもらいます。言葉が通じなくても問題ありません。そこそこ繁盛していそうな店を見つけたら店の外か中かのテープルを選び、店員がやってきたら調達してきた食材をビニルごとその店員に渡すと適当に調理してくれます。もちろんリクエストも可能です。ガイドブックの写真を見せて蟹はこんな風にと身振り手振りで説明すれば、その通りにやってくれます。店のメニューには他の海鮮類もありますが、自分たちで持ち込む場合は野菜と、飲み物、ご飯を注文するだけでオリジナル海鮮ディナーが味わえます。レストランの会計はメニューのオーダー分のほかに持込品の調理代が加算されますが、香港島の海鮮レストランよりは全然安いし味もはずれがないので、絶対お得です。蝦蛄をばりばり音をたてながら頂くなんて、最高です。

帰りは同じフェリーに乗って香港島に帰るわけですが、夜風に当たりながらほろ酔い気分を楽しんでいるといつのまにかビクトリア湾の夜景が見えてきて、ちょっとした船旅は終わりに近づくのです。

香港的生活回顧 5  香港の台風事情

2004-10-20 | Weblog
今日は日本にすごく強い台風が来ているので、香港の台風についての思い出を書いてみましょう。
香港も日本同様、台風に狙われやすい場所です。太平洋の真ん中で発生した台風がどうしてちっぽけな日本や香港をピンポイント的に狙ってくるのはよくわかりませんが、香港では日本以上に台風に対する警戒が必要です。

台風が接近するにつれ気象台は警報を段階的に発令します。警報ははじめ1が出され接近するにつれ2、3と上がり3の次は一気に8になり最高では10を経験しました。シグナル(警報)が発令されると全ての駅、ショッピングセンター、大規模アパートの入り口、玄関にシグナル表示が広東語と英語で掲示されます。シグナル1から3までは注意しましょう、程度です。しかし、シグナル3の場合シグナル8になるか予想を立てて行動しなければなりません。なぜならシグナル8になると2時間の猶予時間を持って、銀行、証券取引所などが閉鎖になり、ほとんどの民間企業が休業になり、商店もコンビニとスーパーの食品売り場の一部を除いて閉店になってしまうからです。
たとえば、午前10時にシグナル8になると正午までに学校はもちろんほとんどの会社が閉められ、午後は街の機能が完全といっていいほど止まってしまいます。
交通機関も離島航路が真っ先に運休となり、ついでバスが路線により止まり、最後に地下鉄、鉄道が動かなくなります。シグナル10の時は香港全域で走っているのは地下鉄の香港島を走る路線だけ、という状態になりました。こうなるとタクシーもまず休みますし、幸運にも捕まえたとしても通常の2、3倍の運賃を請求されます。
被害は香港島よりも大陸側の九龍サイドのほうがいつも大きく、冠水した道路を船で救助に向うレスキューの姿が毎回ニュース映像のメインになります。
でも、休みになると香港の人たちはすることがないので近所のショッピングセンターなどに出かけてわずかに営業しているマクドナルドなんかでたむろっていることも多いです。
こんな台風ですが、香港の人たちは一年に2,3回あるかないかの災害に備えてお金をかけて対策を施そうという気がないらしく、いつも被害地域は限られています。

シグナル10になり、オフィスの中は常駐の警備員と私だけではないか、という状況になったときはさすがにちょっとあせりました。ほとんどの日系企業は現地時間で働いていますが、自分の勤務先は日本時間で動いているので、台風だろうとなんだろうと日本の会社が機能している限り早帰りや休業はないのです。

香港的生活回顧 4 長洲島 その1

2004-10-17 | Weblog
長洲島は車も走っていない小さな島。なのにスーパーマーケット、コンビニ、化粧品店など香港島にあるチェーン店の支店がそろっている。船を降りたあとは埠頭周辺は大変な人出になりごった返す。少し歩いていくとこじんまりとした船着場があってサンパンと呼ばれる小船が係留されていて、オバちゃんたちが呼び込みをしています。
ここですぐに乗り込んでしまうと、オバちゃんの思う壺。乗る前に運賃交渉をします。100円を60円くらいに値切るわけですが、このあたりからなんとなく香港風モードになっていきます。

サンパンの最後のお客さんはなんと犬です。わずか数分で目的地西湾に着きますがワンちゃんは実におとなしくしてました。西湾へはほとんど湾内を航行していくのですが、その間に広がる光景は停泊している船で生活している人々です。物資を積み込んだり、食事したりしているのですが、なぜか犬が多い。船で犬も一緒に暮らしているのです。昔の香港はこうゆう生活をしている人たちが多かったようです。

西湾は島の南端部分に突き出た半島のくびれ部分にあり、半島自体が自然公園になっています。坂を上っていくと張保洞という岩に穴が開いたような小さな洞窟があり若い人の人気スポットになっています。海賊が宝を隠したという言い伝えがあり狭く暗い中を懐中電灯照らしながら潜り抜けるだけなのですが、お化け屋敷的な面白さが受けているようです。ただ、ここでも香港らしいのは、懐中電灯のレンタル屋がいてしっかり商売していることです。しかし、私たちは懐中電灯を持った人の後についていったのでお金は払うことは免れました。
この洞窟を出て南側斜面を降りていくと南シナ海がひろがる南西側にでます。香港島からも海が見えますが対岸の中国大陸が間近なので海というより川みたいで、ここに来ると障害物が全くない海らしい景色が展開していて、ようやく島に来たぞぅ、という気分になります。

帰りは呼び込みのサンパン避け、隣の桟橋まで少し歩き公営のサンパンに乗ります。というのもオバちゃんのサンパンは乗客が満杯になるまで出航しないからです。人影を見つけると今にも出航するぞと見せかけエンジンを全開にしてまだ、2,3人乗れる場合は客を乗せてからまたエンジン出力を下げる、というせこいことを繰り返します。ほんとに商売熱心です。

同じコースをたどってフェリー埠頭に戻ると岸壁では魚を積んだ漁師が岸越しに魚の直売をやっていました。

平凡な言い方になってしまいますが、長洲島は古き良き時代の香港の姿を残しているところです。