妖しい亜熱泰

タイと東京、アジアと和の話題など。
出かけたついでに一枚をつづります。

アニメーション監督 出崎統

2008-07-07 | Weblog
日本最初のラジオ放送は、1925(大正14)年に東京、愛宕山で始まった。場所は愛宕神社の隣で、今はNHK放送博物館になっている。昨年「あたごさま」参りに来たときから気になっていた。
ちょうど、博物館でアニメーションに関する講演があるというので出かけてみた。


子供時分(昭和18年生まれなので)の娯楽といえば貸本屋。特に漫画が好きで、高校生の時に投稿欄に応募したところ採用され、それがきっかけでいくつかのアルバイトの注文が来るようになった。
漫画で食べていこうと思い、大手出版社に売り込みに行ったがすべて駄目だった。
それで、就職していたが、たまたま新聞の求人欄にアトムの絵を見つけたら、「虫プロ」だったので応募したら採用された。後で聞いたところでは、採用担当者が貸本の投稿欄で名前を知っていたからだという。
300人くらいの社員がいたが、すぐに腕前は100番目くらいになった。すると先輩から「ビックX」の絵コンテの仕事を頼まれ、これがきっかけになり絵コンテに夢中になった。高校時代で終わってしまっていた漫画家の夢とアニメーションの仕事ががつながり、進化したという実感。
初の監督作品は「あしたのジョー」。その後「エースをねらえ!」、「天才バカボン」、「ベルサイユのばら」、「宝島」などを次々と世に送り出す。一時、連続テレビアニメから遠ざかっていたが、2005年NHKの「雪の女王」で復帰。絵コンテは色々考えたが、他の人じゃ出来ないだろうと結局すべて自分でやってしまったという。

まだまだ現役バリバリ活躍中の出崎統監督さんのお話でした。