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妖しい亜熱泰

タイと東京、アジアと和の話題など。
出かけたついでに一枚をつづります。

2009年 世田谷梅まつり

2009-02-22 | Weblog
うっかりしていた。この2年ほど梅の開花が2週間以上遅れていて今年も2月下旬か、3月上旬あたりにいけばよいだろうと予想していたのだが、1月下旬あたりから続々と梅の便りが入ってきたからだ。

いつも訪れているのは世田谷区にある羽根木公園で、種類の多さ、数、枝の高さなど梅見にちょうどよい。ところが、数年前に剪定をしたのでこの2年くらいは満開になってもちょっと寂しい感じだった。

ポカポカ陽気に誘われるように出かけてみたのだが、開花率80%にしてはちょっと花が少なかった。開花率は一本の木に一輪でも咲いていればカウントされるので、開花率80%と八分咲きは一致しないないためだ。紅梅、白梅、ピンクとそれなりに可憐な花を咲かせていて、木の下ではお弁当を広げている人たちも大勢いた。 花見だとドンちゃん騒ぎになるが、梅だとそうはならないのがいい。でも、来週ぐらいのほうがもっと花を楽しむことができたかな、と思ったりした。

ところが、前方をぞろぞろ列をなして歩いている一隊を見つけるや前言撤回。実はこの日で大正解。行列の先頭にいたのは撮影会のモデルさんたちだったからです。

花より団子、よりも梅娘、じゃあなくて、やっぱり梅見は羽根木公園に限る、のでありました。

万仏節

2009-02-21 | Weblog
タイでは陰暦3月の満月の日はワンマーカブチャー(万仏節)という仏教の祝日になる。仏陀の弟子1,250人が仏陀から入道儀式を受け、悟りの境地に達したことを祝う日だそうだ。

この日は多くのタイ人がワット(お寺)に詣でる。タイ人の友だちも参拝に行くというので連れて行ってもらった。向った先は王宮内にあるワットプラケオ(エメラレルド寺院)で、観光客も大勢訪れていたがそれを上回るタイ人たちでごった返していた。

あらかじめ蝋燭、線香、花(蓮が多いが他の仏花でもよいようだ)を用意しておいて、境内に入ったらこの3点セットを手に携えて本堂に沿って時計回りに3周歩く。それが終わると、蝋燭、線香に火を灯し花を供えてお祈りをする。

本堂に入るのはこの後だ。エメラルド仏にお参りをすませて外にでると、ちょうど本堂の扉が閉まるところった。通常なら夕方まで参拝可能なのだが、この日は特別な儀式があるため、午後になると中に入れなくなるのだ。境内の混雑はいつのまにか緩和されていた。たぶん、午前中にお参りを済ませておこうという人たちが多かったせいだろう。いずれにしても、到着があと10分遅れていたら堂内には入れなかったわけで、ラッキーだった。

ちゃんとお参りが出来たおかげで、今回の旅は何ごともなく無事に帰ることができた。

ただ、凡人の観光客にはいささかアンラッキーな一日でもあった。というのは、この日はお酒を飲んではならないとされ、コンビニでもビールは販売中止だし、ネオン街のバーも休業となりひっそりしていたからだ。

とはいえ、部屋に戻るや冷蔵庫にストックしておいた缶ビールでぐびっとやっていたのでありますが…

タイ式婚礼の儀

2009-02-17 | Weblog
「お坊さんが来ましたよ」
タイでは縁起のいい数字は9。だから婚礼の際に呼ばれたお坊さんも9人だった。集まった人たちは、お坊さんに托鉢をする。この日は結婚式なので、お坊さんが持ってきた入れ物はテーブルの上に置かれていて、新郎新婦を先頭に順にお金や食べ物などを入れていく。私もカオニャオ(もち米のご飯)を分けてもらって托鉢をした。

お坊さんたちは、横一列に並んでその向かいに二人が座る。手前の一番えらいお坊さんがお経を読んで、最後に小さな箒のようなもので二人の頭に水をかけて終わった。神聖な儀式だと予想していたがこの水をかける動作がどうみても大雑把。それでも近所の人たちや親戚など水掛のおすそ分けをいただこうと、お坊さんの前に殺到してきた。「頭が洪水になっちゃった」と一同大笑い。儀式がすむと、お坊さんたちは食事を取って、帰って行った。

午前8時過ぎ、新郎だけが呼び出されて数百メートル離れた親戚の家へ。私は新郎側なので一緒についていった。一本道を歩いていると、収穫を終えた田んぼのなかでのんびり牛が草を食んでいるのがみえた。
しばらく待機していると、突如音楽隊の演奏が始まった。ラッパにギターなど本格的、その上最後尾には2つのスピーカーがついたリヤカーもついているから、村中に響き渡っているだろう。行進が始まると続々と人々が集まってきた。踊りながら歩き、話し、みんなとても楽しそうだ。行進は時々止まっては時間調整をしていた。
そして、9時ちょうどに花嫁の実家前に到着。ここで一行はとうせんぼをされる。新郎がお金を渡して中に入れてもらう。これも儀式のひとつだ。

家の中に入ると結納品の授受があった。このときお金を一枚一枚かぞえて円形に並べ、最後に金額が公表される。日本とは違うなぁ。
続いて長老による儀式が始まる。どうやらここからがハイライトのようだ。新郎新婦の頭と小さな木を太い糸で結んで、長老がお経のようなものを延々と唱えている。それが終わると、二人の手首に糸を巻きつける。長老の仕事はここまでだ。あとは親戚や村の人たちがひとりひとり歩み出て、二人の手首に糸を巻きつけていく。子供たちも窓ごしに中をうかがっていて、昨晩とは違った人だかりができていた。中に戻るとすでに糸を巻きつけてきたおばあちゃんに手招きされた。近づくと私の手首にも糸を巻いてくれた。しわしわで、細くて真っ黒だけどその手からとてもあたたかい気持ちが伝わってきた。すると次々にそばに座っていた人やら先ほどの長老に呼ばれて、私の手首は糸でぐるぐる巻き状態になった。

全員が糸を巻き終わると、記念撮影をしてすべての日程が終了した。
カラオケセットもいつの間にか片付けられて残ったのは大きなテントだけになった。あっという間にのどかな農村風景に戻ったのだ。

迎えの車がやってきた。たった2日間だったが、時の流れはそれ以上に長く感じた滞在だった。
車が動き始めると、子供たちが手を振りながら追いかけてきた…

東北タイ 農村の宴

2009-02-14 | Weblog
「あれ、もしかしてスピーカーじゃない?」
一瞬眼を疑った。道を挟んで家の向かいにある少年野球ぐらいならできそうな広場の奥に、巨大なスピーカーが山積みになっていた。
「つまり、あれがカラオケのステージなわけ?」
「そうだね。でも、でかいな、でかすぎ…」
地方周りの歌手が使う本格的なステージセットが並んでいたのだ。

舗装道路から脇道に入ってしばらく行くと、白い明かりが見えてきた。ここは、空港から2時間、最寄の市内からも30分くらい離れていて、あたりは田んぼと荒地しか見えない。まさに、田んぼの中の一軒家だ。

日が暮れてくるにつれ、大スピーカーから流れる音楽に誘われるようにどこからともなく親類や近所の人たちが集まってきた。実は、私たちが到着する前から宴会自体は始まっていたのだが、盛り上がってきたのは19時を回ってからだ。
「さあ、歌う人はいませんか?誰でもいいですよ。」
親戚のおじさんが司会を買って出てきて、ひとりまた、ひとりと大きな舞台に上がってカラオケを歌っていく。やがて、子供たちもカラオケに挑戦。これがうまい。すかさず大人たちが舞台袖まで走ってきてご祝儀をわたす。子供たちが次々と登場。途切れた辺りで、私たちのテーブルで一緒に飲んでいた親戚の奥さんが登場。数曲歌いまくる。ご主人はしばらく我々と飲んでいたのだが、いつの間にかステージでマイクを握っていた。プロのような慣れた感じでいつの間にか司会に納まっていた。このあとのプログラムをすべて仕切ってしまった。奥さんもすごいがご主人は、もっとすごい。

家の裏手では、朝に絞めた牛の解体、料理が続いていてそのそばにも人の輪ができていた。
ステージ前の広場手前には、竹で作った縁台が置かれていて、ここは子供たちの特等席になった。子供らにとってもお祭気分が楽しめる特別な日のようだ。

歌が始まると、誰からともなく踊りだす。歌っては踊り、踊っては歌う。
さあ、明日は結婚式だ。飲んで、食べて、歌って踊ろう。

月がきれいに輝いていた。タイ東北地方の村の宴は深夜を過ぎて、まだ続いていた。

アーツ&クラフツ展

2009-02-04 | Weblog
地下鉄駅に貼ってあるポスターが気になっていた。そのアーツ&クラフツ展の入場券が手に入った。解説に寄ると、伝統的な手工芸の復活と質素な生活への回帰や日用雑貨デザインの改良へとかあるが、よくわからない。とにかく会場の東京都美術館へ。

発祥は、19世紀後半のイギリス。ウイリアムモリスという人が広めたのだそうだ。展示してあるテープル、椅子、タペストリーなどを見ているとなるほど今でも十分に使えそうなアンティークといったものばかりで、堅苦しい解説を読むよりも、実物をどんどん見て行った方が面白い。いずれも豪華さとか装飾よりも使い勝手を考えながらデザインされたものばかりだった。しかも実用品がほとんどで、部屋の一角を再現したコーナーなど、現在の部屋にも応用できそうだった。

ヨーロッパに広まったこの流れは日本にもやってきて、柳宗悦らによる民芸運動という形に発展していく。其の象徴的な存在が、三国荘という1928年の博覧会用展示品を大阪に移築したもの。会場では、洋室と和室が再現されていて、こちらのほうはどちらかというとやや贅沢品の趣だが、見ていて飽きがこない。

ふだんだと美術展は30分もあればひと回りできるのだが、この日は40分かけてひと通り見たところで閉館時間になってしまった。内容が充実していただけに、もう少し時間がほしかった。
閉館時間が17時というのは早すぎやしないか。せめて、週末だけでもあと1,2時間延長してほしいものだ。