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妖しい亜熱泰

タイと東京、アジアと和の話題など。
出かけたついでに一枚をつづります。

ミュージックベルを聴く

2008-12-20 | Weblog
教会の鐘を打つ練習用に開発されたハンドベルは6オクターブ、73音でるが、全部揃えると、600万円もするそうです。もっと手軽に楽しめるようにと25年前に日本で開発されたのがミュージックベルで、こちらは2オクターブ、27音。値段は6万円ちょっとなのです。

昨年ハンドベルを聞いたので、ベルが聞けると見に行ったところ、今回はミュージックベルでした。ベルの大きさが均一で子供でも持てる重さです。

オクターブが出ないためか、ベル単独ではなく、シンセサイザーやピアノも入っての4人構成。ハンドベルが重厚でクラシックな感じなのに対して、手軽でポピュラーな響きです。

とはいっても、基本的な動作はハンドベルと同じなので、奇術師のようにベルを取替えたり、別の場所に移動したり、隣の人が置いたベルをとったり、一度に片手で2つも3つも持って鳴らしたりという、超人的な技術が必要とされます。手元を見ていると目が回りそうです。

構成も凝っていて、語りを入れたり、間奏の間に人が入れ替わったりと色々と工夫されていました。
時節柄クリスマスソング中心でしたが、魔法使いサリーとか冬のソナタ、モーツァルトなどもあって、久しぶりにたっぷりと音楽を聴いたひと時でありました。

トランプで神経衰弱をやったら、絶対彼女たちには勝てませんね。

捨てる神あれば…

2008-12-18 | Weblog
賞与の支給がありました。またしても、予想を大幅に上回る減額幅に唖然。
泣きたくても、涙もでない。いっそ、冬眠したい。

これではローンと生命保険を払ってしまうと全然残らない。否、残らないのではなく、足りない。
先月のタイに行った際の旅費がカードからまだ引き落とされてないのですね。それに、年末の分もカードで先払いしているし… もうこれ以上考えたくない。

そんな惨状を知ってかどうか。
家に帰ると宅配便が着いていた。「ご当選おめでとうございます。」
クリアアサヒ1ケースが当ったのだ。助かります!これで、2ヶ月はビール系飲料の心配をしないで済みます。アサヒビールさん、ありがとう。

願わくば、この運を年末ジャンボまで引きずってくれますように…

横浜の博物館を歩く

2008-12-14 | Weblog
みなとみらい線、日本大通り駅の階上は1929(昭和4)年に建てられた「旧横浜市外電話局」の重厚な建物になっていて、現在は「横浜都市発展記念館」として活用されている。

ちょうど「横浜ステーション物語」という企画展をやっていた。日本最初の鉄道開通から、神奈川県の鉄道の歴史を紹介している。横浜駅は2回移転していたのですね。最初の駅は桜木町にあったのだが、東海道線の開通により、素通りされてしまうのを恐れて、昭和のはじめに現在地に移ったそうです。その間に、京浜電鉄(京急)や東横線が開通して東京横浜間は、当時から主要交通路として発達した。
シュウマイの崎陽軒はなんと昭和3(1928)年から販売を始めているのですね。
京浜急行は当初は前身の湘南電鉄時代に、三浦半島を一周して鎌倉まで計画されていたとか、神中線と呼ばれていた相模鉄道も、当初は海老名から大山を通って平塚に南下する計画があったとか、なかなか面白いことがわかります。
同じ建物の二階は、「ユーラシア文化館」になっている。展示品は騎馬民族説で有名な江上波夫氏の寄贈によるもの。奥に進んでいくと、「タイの山岳民族コーナー」があって、民族衣装が展示されていて嬉しくなった。

続いては海のほうに向ってしばらく歩いて、旧英国領事館の敷地に建つ「横浜開港資料館」へ。横浜開港の歴史を、図、絵、模型などで簡潔に紹介している。ペリー提督やハリス総領事とか歴史で習った人物が出てきて懐かしい。西洋人を描いた浮世絵やカラー版の瓦版などの資料も興味深い。
外国人居留地は1899(明治32)年まで存続し、約5400人が住みそのうち3分の2が中国人だったそうです。中華街の発展はこの辺りから始まっているのでしょうね。
特別展「港町百花繚乱」では、横浜と植物についての特集。海外から西洋植物が輸入される一方、日本からもユリ、花菖蒲などが輸出されていたそうです。

山下公園に行くとあたりはすでに薄暗くなっていた。冬の浜風は肌にしみる。
おっと、そろそろ中華街に急がねば。
1年ぶりの中華街での食事会が待っている。

カザフスタンな1日

2008-12-10 | Weblog
開演のブザーが鳴ると、青い民族衣装を身につけた楽団の人たちが続々と入ってきた。女性は青いドレスに紺に金色の模様をあしらったカーディガンのようなものを羽織り、羽根のついた三角帽をかぶっており、男性は女性のカーディガンと同じデザインのズボンとやはり同じデザインの丸帽をかぶっている。
オティラルサジというカザフスタンの音楽会の始まりだ。

トンブラ(二弦のギターに似た楽器)やコビス(二弦の小さなチェロのような楽器)など民族楽器中心に構成された楽団で、2分から3分くらいの短い曲を次々と演奏していく。オカリナのような笛奏者が真ん中にいて、柔らかい音色やホーミーのような音を出していて独特な音色が響いている。男性歌手やベージュの民族衣装を着たソプラノも入ったりして、とても面白い内容だった。弦楽器のゆったりした調べは草原を彷彿とさせ、打楽器の軽いリズムは馬の走りを連想させる。

カザフスタンの人たちの顔立ちは様々だ。西洋人に近いほりの深い男性や、目がパッチリした中東系に近い女性、日本の田舎の農家にでもいそうな細面の男性など、いくつかの民族の血が混ざり合ってきた歴史を感じさせている。

目黒区でのコンサートが終わると、次は六本木へ移動。ベルサール六本木での「カザフ歴史・美術に関する展覧会」を見学した。シルクロードに位置する国だけあって、馬具やバックル、カーペット、金銀の宝飾品が目を引く。先ほどの音楽会で女性がかぶっていた三角帽はサウクレというらしい。ひとりしかいない受付の女性が親切に説明してくれるが、時折英語ではない言葉、カザフ語かロシア語が混じるのでよくわからない。しばらくして「ミスター」と声をかけてきて、展示している画家の肖像がデザインされている記念硬貨を「記念品よ」といってプレゼントしてくれた。ありがとう。

やっぱりこの国もアジアなんだな。少し距離が縮まったような気がした。

新江戸川公園の紅葉

2008-12-08 | Weblog
やっぱり半コートを着て来ればよかった。それぐらい寒い。当然である。もう12月なのだから。ところが木々の色づきが年々遅れて、都内ではようやく先週あたりから紅葉の時期になった。

都電の早稲田電停の先から神田川を渡ったところに新江戸川公園がある。古くは芭蕉が関口芭蕉庵を結んだ場所のすぐ近くにあり、その裏山一帯は椿山荘の敷地が広がっている。ここ、新江戸川公園は、元細川越中守の屋敷跡にあり回遊式泉水庭園という形式だ。以前から、雪吊がほどこされていることは知っていたが、この日まで訪れる機会がなかった。

やはり大名庭園である。六義園や小石川後楽園と比べると規模は小さいが、池に映える紅葉と雪吊のシルエットがきれいだ。鳥たちもたくさん来ていた。池畔を歩いていると、初老の男性が手招きしている。
「ほら、対岸のあの枝の上、瑠璃色が見えるでしょう。セキレイですよ。珍しいなぁ。ここは何度も訪れているが、初めてですよ。」
あまりに感動したので、思わず誰かに伝えたかったのだろう。おじさん、ありがとう。

神田川沿いは、サクラの名所にもなっているようで、これはちょっとした穴場を発見したようなうれしい気分の一日でありました。