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自分探しの旅 多磨霊園編

2011-09-30 14:37:00 | 自分探しの旅
話が少しこんがらがってきたので整理、そして自分のために、一応の到達点を再確認。


まず、今回の旅で、ここまでは辿りつきたいと思っていたことが一つある。

5~6年前のことだったかなぁ。

母方のお祖母さんが亡くなりました。
   ↓
葬儀で母親と長兄が、出身地である日本海側のとある県に行きました。
   ↓
その時、母親と長兄は、伯父さんから、意外な話を聞きました。
   ↓
それは「I家のお墓(宗家)が実は近くにあって、現在は無縁仏になっている」つーものでした。
   ↓
母親と長兄は、そのお墓に連れて行ってもらいました。
   ↓
そこは、海が見える位置にあって、確かにお墓は随分さびれていました。

こんな話を聞いたことがあって。


で、実は昨年、新潟に行く機会があり(ま、青春18きっぷの残りで新潟競馬に行っただけなんだけど)、そのお墓を伺おうと、位置関係を母親に聞いてみた。

ところが母親も長兄も、その場所は思い出せない、などと言う。

んで、あれば、伯父さんに寺or霊園の名前だけでも聞いてくんないか、というと、これまた、「そんな所に、母親たちを連れてった記憶がない」なんて答えだったと言うのだ(これは母親からの、また聞きですね)。



なんだか、デキの悪い2時間ドラマのような展開だけど、「母親と長兄は、海の見えるお墓には行ったと思う」とは言っていたので、であれば、何とかそこは探り当てたい、と。

この思いは、当初から頭にあった。



そして、東京都の戸籍上からは、曾祖父・曾祖母にあたる、S郎さん&Rさんに興味津々。
血縁関係を重視して、H家、S家をさかのぼる手もあるけど、ともかく日本海側のとある県に存在するであろう、I家のお墓目指して、行けるとこまで行ってみるか、と。そこがひとまずの目指す地点だな。




さぁ、目標が定まったところで、

今回は多磨霊園。


東京にあるI家の本陣なので、多くの祖先が眠ってるのでは、と思ったのだが。


墓碑、霊園管理事務所の記録から分かったのは、眠っているのはわずかに5人。


若い方から順に、
〈1代上〉私めの伯父さん2人
    (父親については、母親がお墓を作り、そちらに改葬した)
〈2代上〉祖父(Mさん)祖母(Sさん)夫妻
〈3代上〉曾祖母(Rさん)



ここでも、S郎さんのところで記録が途切れてしまう。

そもそも、多磨霊園を目指したのは、
職業までは分からなくても、S郎さんが何歳でどこで亡くなったか、くらいは炙り出したかったため。


それに加えて、今回、
1.一体、S郎さんはどこに眠っているのか!?
2.そもそも、なんで夫婦別々のお墓に入っているのか!?
 (この時代の常識からは、同じところで眠るもんじゃないの!?)
なんつー疑問がプラスされてしまった。


?で混乱状態に陥っていた私めに、管理事務所の方が一つ貴重な情報を。
「あー、Rさんですが、○○墓地から改葬されて来てますね」

んっ!?
つーことは、多磨霊園の以前に、東京のI家の本陣が○○墓地にあったということか…。
S郎さんは、そこに眠っているのだろうか!?
意外と、日本海側のとある県、海を臨む墓にいるのだろうか!?
ただ、ただ、
Rさんだけが改葬されているのは、何だか引っかかる。



いずれにせよ、次の目的地は○○墓地。
そして、少し事前調査した結果、分かったのは、ここの運営母体は都や市ではなく、お寺のようなんですな。うまく行くと、大きな手がかりがつかめる&さらにいくつか代をさかのぼれるかも。しかし、台帳を調べてもらうとして、いくらくらい包めばいいんだ…。まったく空振る可能性もあるのに、う~~む。

自分探しの旅 墨田区編

2011-09-15 15:41:00 | 自分探しの旅
ん~と。何から記せばいいだろう。


まずもって、現実の私めを知ってる人に対して、伝えるならば。


現在、オレは戸籍上、Iという姓を名乗っているけれど、
血縁的には、Iの血がまったく入ってないこと、判明しました。
というより、再認識しました。
(いや、別にこれはオレだけのことではなく、我ら一族みんなそうなんだけれどね。)



まぁ、いうと、I姓のルーツを母親が話す機会に、それらしきことは聞いていた。

母親「お前のおばあさんは、可哀相な人なんだよ」
オレ「何で」
母親「実は曾お爺さんは子持たずだったので、おばあさんは養女としてもらわれて来てね」
オレ「そうなんだ」
母親「しかも、大人になってからは、自分の子ども4人が全員自分より早く死んでしまったので、孤独な思いをしただろうね」
オレ「ふ~ん」


話が、おばあちゃん視点のツライ人生に焦点を絞るためヌケてしまうのだけど、要はIの血縁は4代前で絶えていることになる。

ちなみに、おばあちゃんはS家から0歳のときにI家に養女として迎い入れられ、21or22
歳のときに婿養子としてH家からお爺さん(イニシャルでMとします)を迎えている。

そう、だから血縁的にはオレの家系はH姓なんだよね。


ここまでは、ある意味、予想通り。
そしてH家も日本海側の農業県だから、自身のルーツがここにあるのも想定の範囲内。



ただ、ただ。
戸籍上からは一つ大きな疑問が。

S家から養女をもらった曾お爺さん。イニシャルとって、仮にS郎とします。
S郎さん(周囲を含め)の道程・指針みたいなものが、今の常識からするととっても理解・想像できない。

1.整理すると、S郎さんは、おばあちゃんを養女にもらい、さらにMさんを婿&養子縁組している。そこまでしてI家を存続させる理由があったのだろうか。

2.ここでもう一人キーパーソンが。S郎さんは、実は後妻と思われる人をもらっている。相手は37歳後家(いや、オレの曾おばあちゃんなんだけどね)。ちなみに、2人が入籍しているのは、おばあちゃんが17歳のとき。そんな多感な時期の娘を持っている(しかも養女!)男と、今であれば37歳はGirlのチョイ上くらいだけど、この時代は正直、女としての賞味期限が過ぎたと思われる女が、所帯を持つ。これって一体、どういうことよ。

3.も一つ。この曾おばあちゃん。こちらも仮にRとします。戸籍上に残っている父親の名前はいかにも時代だなぁと思わせる、M衛門(ひょっとして武士!?)。そして、これも現代からは想像もつかない夫婦(!?)別姓。



もう、S郎さんRさん夫妻に興味深々よ。



さぁ、さらなる歴史・情報を、なんだけんど、
そこで、いきなりシャッターが。

というのは、
昭和20年の東京大空襲で、S郎さんの戸籍が消滅してしまっていたのです。
(ちなみに、見ていたのはMさんの戸籍ですね)

東京都の戸籍上からは、S郎さん経由のI家の歴史をさかのぼることはできません。




う~ん、後は日本海側の農業県の戸籍をあたるか、なんて思いながら、墨田区の戸籍を眺めていたとき、素朴な?が。

Rさんは墨田区で亡くなっているのだけど、S郎さんについては死亡年月日はあるのだけど、どこで没したのかはまったく記されていない。


次なる手がかりは、お墓だね、多分。
I性の祖先が眠る多磨霊園がサンクチュアリのようで。

自分探しの旅プロローグ 早速出たよ…

2011-09-07 08:43:00 | 自分探しの旅
この歳(来年50)になると、色々思うことがあって。

そのうちの一つ。

実は、私めは幼い頃、父を亡くしていて。
そのため、母親は仕事(メシ屋)に必死だったのかなぁ。
また、長兄も家業を継いでいて、
あまり自分たちの〝家〟について、意識的でなく。

みんな1度や2度は経験あると思うのだけど、
自分の家系とか祖先とか、オレから3代上の人についてすら、
まともな話を聞いたことがない。

要はなにかというと、
自分の氏・素性をほとんど知らんのですわ。


オレは一体、何者なんだ!?


これから2ヶ月少し自由になる時間が多くあるのだけど、
それを少し調べてみっか、と。
※いや、この2ヶ月は、この後の10年を送る上で、
スゴく大切な期間になるのでは、という予感めいたものがあって。
その本線も考えつつ、この支線も辿っていくのだけど、
いつか本線と結び付くことがあるのか、ないのか。
そんな楽しみもあったりして。


ま、ね。結論としては、
柳沢吉保の末裔だったとか、辿ってみると葛飾北斎の血がわずかに入っていた!
なんてドラマチックなことは、さらさらなく、
明治のころに初めて戸籍を登録した百姓の子孫、
てことだと思うんですわ。母親の経歴を考えても、父親方の姓を考えても。

ただ、それが分かるだけでも、自分にとっては発見だし、
以前、自分のルーツを研究してる知人からも
「調べると意外な事実が出ることあるよ。親族の中に犯罪者がいたり、絶縁された人もいたり」なんて、ありがたくないアドバイスもあったけど、それはそれで自分を考える上(今後の10年を含め)で、貴重な事実だと思うんだよね。





え~、前置き長くなりましたが、
早速、
自分探しの旅、スタートです。
(ちなみに、自分にとって不都合な事実で固められたような場合は、このテーマ、突如ストップすると思うので、その際は悪しからず)



まずは、区役所で自分の親の戸籍を取ってみたのだが、
早速もって矛盾点が。

・既に亡くなっている父親の誕生日、これが母親から聞いていた日付と違う。
・母親は三姉妹の長女と聞いていたのだが、戸籍上は次女。

まぁ、ね、前者は、4月生まれと聞いていたのが8月生まれというレベルではなく、2~3日のズレだからね。加えて、自分たちの家族について意識的な人たちではないから、こんなこともあるかと。
後者は、波風立たないように考えれば、昔は乳児が死亡するケースが多かったため、実質長女として育てられ、それがデフォルトとなった。訝って見ると、勘当などのドラマがあったのか!? ってことになる。これについては、母親の出身地の農業県に行かないと分からないから、現時点ではペンディング(ま、恐らく、乳児の頃にのパターンとは思うけど)。


加えて、一つ気づいたことを。
長兄は、今の日赤産院で生まれていた。逆にオレは地元の民家だから、近所のお産婆さんに取り上げられた、と推察できる。
この差!
昭和の時代の(というか日本の歴史的に、か)、長男&第一子とそれ以外の子との期待度を象徴するような事実だよね。


そんなこんなを読み取りつつ、
次は現在の区に転入する前の、親の戸籍がある墨田区へ。