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仏教話のご紹介

2005-09-06 16:07:51 | 宗教
 最近仕事が落ち着いた(ヒマになったw汗)こともあり、ここ3日ばかり海外ドラマ「スターゲイト・アトランティス(STARGATE ATLANTIS)」にハマってるわめですw笑
 進行中のドラマで今日・明日くらいには、海外放送分すべてを見終わりそうですが、それまでブログ更新が難しそうです。<(_ _)>

 よかったらわめの掲示板で、フルナさんと大変よい(と思う)仏教話をしてるスレがありますので、読んでいただけたらうれしいです。^^
 もちろん、どなた様もご参加自由です。(⌒∇⌒)

○試論 釈尊の説かれた縁起の法・空・無我について

○仏教における仏、成仏とは

仏教の死生観について

2005-08-24 00:28:59 | 宗教
最近シナプスさんっちの掲示板「仏教の死生観について」スレで、久しぶりにちょっぴりではありますが議論ができて、ちょっとうれしいわめです^^
議論し合って、自らの誤謬を見つけられたり、互いを高めあっていくことは、大切なことのように思います。
ここを見てくれている皆さんも、よかったら是非ご参加くださいね。^^

投稿する場合の注意点
シナプスさんサイトでは、まずRULEを読んでルールに従った投稿をお願いします。またSESSION(会議室)掲示板ではまず「自己紹介スレッド」に、自己紹介をお願いいたします。

毒矢の喩より

2005-08-21 00:11:22 | 宗教
 皆さんよくご存知のブッダの毒矢の喩(たとえ)ですが、これが以外と現実に生きていく上では活かされていないように感じます。
 この喩は簡単に言うと、毒矢が体に刺さってしまった人が、ああでもないこうでもないと言ってるうちに、毒矢の毒が体中に回って死んじゃいます。肝心なことは、速やかなに毒矢を抜くことだとの喩え話です。

 人が悩んだり苦しんだりすること(以下苦痛)には原因(毒矢みたいな)があるわけで、それを慰めてあげたり同苦してあげて、少しでもその苦しみを和らげてあげようとすることは、その原因(毒矢刺さった)から生じる結果(死)から救うことにはなりません。
 何故ならその苦痛の現れは、肉体的苦痛と同じく、危機(毒矢が刺さったこと)を知らせる人間の円滑な生存維持のための危険信号で、その危険を知らせる苦痛に対し、あれこれ対処(苦痛を和らげる麻酔的なこと)してみても根本的解決にはならないことは明らかです。
 答えは簡単ですね。苦痛の原因(毒矢)を取り除いてしまうことです。^^

 毒矢の刺さった方には、刺さった毒矢の危険性、それを速やかなに抜くことの重要性、そのための苦痛に絶える覚悟を与えることが重要です。
 その上で、抜いた後に残る苦痛を和らげてあげることも大切ですけれど。

・・・ただ一番問題なのは、自分に毒矢が刺さっていることにさえ気付いてない、否、気付きたくもないという方々が多くいるということです。(^^;;
これはもしや毒気深入し、正気を失うという「良医の喩」ですかなw

Libra師匠との語らい

2005-08-20 14:42:07 | 宗教
 わめの目を覚まさせるきっかけとなった人がLibra師匠です。
 それはWeb上に残されたLibra師匠のテキストからでした。言わば過去のLibra師匠のテキストとの出会いからだったわけです。
 それが最近さかなこさんとのご縁で、更にさかなこさんのブログのコメント欄(しかも記事からは大きく脱線w)で、Libra師匠と語らうことが出来たことは、わめにとって至上の喜びでした。

 そのコメントの一々にリンクができないため、他の方のコメントも載ったままリンクさせていただくこと、さかなこさん、コメントされた方、ご容赦ください。m(_ _"m)ペコリ

さかなこさんっちでLibra師匠との語らいリンク

信仰とその周辺スレから「筏の喩え」について

2005-08-17 00:10:35 | 宗教
何だか読んでて面白かったので下記リンクより抜粋^^

信仰とその周辺No13~22
仏典の「筏(いかだ)の喩えの法門を知る人は,法さえも捨てなければならない.法でないものはなおさらである.」
『たとえば街道を歩いてゆく人があって,大水流を見たとしよう.そしてこちらの岸は危険で恐ろしく,彼方の岸は安泰で恐ろしくないとしよう.しかもこちらの岸からかなたの岸に行くのに渡船もなく,また橋もないとしよう.そのときその人は,草,木,枝,葉を集めて,筏を組み,その筏によって手足で努めて安全なかなたの岸に渡ったとしよう.

宗教の教えというものは,悩める人間を導く手段であり方便である.目的を達し,その役目を果たしたならば,その筏は捨てられなくてはならない.そしてさらに先へ進む・・・といったようなこの教えは,宗教というものを固定化してはいけないことを説いていますが,「宗教」を「価値観」と読み替えてもいいかもしれませんね.

仏教を見回すと『摩訶止観』には「破法遍」とありますし、臨済禅師等はショック療法的に「仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。」「...始めて解脱を得ん。」(~とはこうであるとか~とはこうでなければならないという固定観念にとらわれるなということ)といっていますね。
時には筏を陸で担いで訓練と称することがあるのかもしれませんが、激流を渡ること(悩める人間が導かれる)が目的とすると、筏を陸で担ぐことをやったとしてもそれはあくまでも訓練に過ぎないと思いました...

-----ここから
「筏を捨てない人には、いかなる困難にも負けない強さがある。 しかし、筏を失えば、人生は闇だ。」
「筏を担いで、前へ、また前へと進んでください。後ろを振り向かないで。 すべては「筏担ぎ」です。いつも「筏担ぎ」なのです。」
「立場等ではない。”筏担ぎに生きる”人が、”本物の筏担ぎ”なのである。 また、一流の筏担ぎは一流の筏担ぎを見抜くものだ。」
「人生は、「筏担ぎは無理だ」とあきらめる自分「筏担ぎはこれくらいでいいだろう」 と妥協しそうになる自分との戦いである。「断じて筏を下ろさない」「断じて筏を担ぐ」と 筏担ぎに勝ちゆくことだ。」
「筏は、逃げれば逃げるほど追いかけてくる。犬のようなものだ。 だから、筏を担ぐしかない。」
...筏先生の指導より。
-----ここまでは、何やらLeoさんの○○学会に対する皮肉ですな?笑
わめ的には、「筏は己心にある、だから逃れようがない!」とまで引っ張って欲しかった....ボソ

cocoしゃんの
「宗教の教えというものは,悩める人間を導く手段であり方便である.目的を達し,その役目を果たしたならば,その筏は捨てられなくてはならない.そしてさらに先へ進む・・・といったようなこの教えは,宗教というものを固定化してはいけないことを説いていますが,「宗教」を「価値観」と読み替えてもいいかもしれませんね. 」
と、宗教を捉えられるとしたら、わめの宗教嫌いも治るかもしれません^^ でも人間ってそう簡単に深く信じたものを捨てられない....。 いえ、cocoしゃんのこのようにおっしゃることが、宗教の捉え方の常識となるならそんな心配も要らないのかもしれませんね。 でも常識となってない現状では、今んとこわめは、信じることは「思考停止」、「一元論は認知不能と、当分は言い続けていかないとだめみたいだなw

選挙活動は、活動の根本の根本?

2005-08-14 10:12:19 | 宗教
お題通りなんですが、衆院選挙のため予定されていた8月度の座談会が中止になりました。
「座談会は創価学会の活動の根本です。」と創価公式Webサイトには載っているが、活動の根本である座談会を中止してまで行なう選挙活動は、根本の根本なのでしょうか?