もうすぐ6時になるというのに、空がきれいなすみれ色に光っていますね!
これから一時のあいだ、目に映る「淡くて微妙な色の変化」には
いくつになっても…目を奪われてしまいます。
先ほど、携帯から小さな言葉を送信したあと、「神奈川近代文学館」の
企画展「虚子没後50年記念 子規から虚子へ―近代俳句の夜明け―」
常設展「文学の森へ 神奈川と作家たち」展第1部 夏目漱石から萩原朔太郎まで
を、観てきました。
取り立てて「俳句」に、深い興味があったというわけでもありませんでしたが
芭蕉の流れを汲む伝統的な「俳句の世界」に対して
「新しい俳句」を打ち立てていった方々がいらしたという系譜のようなものや
明治期以降の文人や作家(と書いてみて、どこがどう違うのでしょう???)
の方々の交流やそのつながりなどを、垣間見ることができたような気がしました。
(観たものを言葉にする方法も、いろいろと変わっていくようですし。)
常設展示を観たのは、何度目かですけれど…
私が、ほとんど気づかずにいた新しい発見がありました!
(多くの皆さんにとっては、きわめて自明のことかと想いますけれど…)
一般の方は、良くわかりませんけれど…
当時の「作家の方々」は、「道ならぬ恋」やら「許されざる恋」などが
とても身近な問題で、それが小説の大きなテーマになっていたんですね。
どうも、私自身は、色っぽいお話には、縁遠いといいましょうか…
さらに、最近のお若い方々の恋愛事情などにも、トンと疎いので
なおさら、それらの小説を愉しむことから、足が遠のいてしまうのかもしれませんけれど
「書かずにはいられない…さらに書くことで、何かを変えていこう」という意思が
言葉を洗練し、物語というカタチになって感動を呼び起こすのでしょうか?
また、その人が何に関心を持っているのか、どんな考え方を持っているのか?
によって、描かれる対象も描き方も、ほんとうに千差万別ですし…
作家といわれる方々の内に秘めているエネルギーのようなものを強く感じました。
お話がどこやらへ迷走してしまいましたが、先日お話した
山本周五郎著「季節のない街」の舞台が、横浜だったのも驚きでした。
帰りがけ、岩波文庫の高浜虚子著「回想 子規・漱石」を、手にとったところ
漱石先生が子規宛に書いたお手紙の文章が、とっても人間くさく感じられて
ついつい買ってしまいました。
ゆっくりと展示を観てから、外に出て「芸亭の桜」を、橋の上から眺めて
海の青さを確かめてから
ローズガーデンのバラが、きれいに剪定されて
赤い新芽が出揃ってきているのを、ゆっくりと観察しました。
それから、バス停の前にある「ゲーテ座記念岩崎博物館」に、初めて入りました。
ちょうど「林恵理子展」を開催していますし、(あまり広くはありませんが)
エミール・ガレなどのアールヌーヴォーのガラス工芸品が展示されていました。
(そこには、東洋と西洋の接点となるような人物の存在があったとか。)
それにしても、新しいものと古いものや様々な違う文化が
交錯する街があるんでしょうね。
桜の古木に咲いている花を見上げながら、石畳の歩道を降りていきました。
すると「江戸千代紙 いせ辰」の看板があります。
「こんなところに、千代紙のお店があるなんて???」と、ついつい気にかかって
右手の日本家屋の方に降りていきました。
ちょうど桜の季節にぴったりの、千代紙や和物の小物がたくさん並んでいます。
平日ということで、人出も多くなくて、5センチ四方の千代紙を下さいましたので
ひとしきり、お店の方とお話をさせていただきました。
60年ほど前に建てられた日本家屋で、以前は普通のお住まいだったとのことです。
本店は(先日、私も歩いた)谷中にあり、元旦以外はお店を開いているそうです。
千代紙の版木は、硬い桜の木を使っているそうで
いまも残っている版木を使って、谷中の方で刷っていらっしゃるとのこと。
坂の上から横浜の海を見わたせる頃の、建物の風景を描いた版画のことなど
丁寧にお話してくださいました。
ふと入ったお店の方から伺うお話は、私には得難い宝物のように感じられました。
ゆっくりと坂道を下って、地下鉄経由横浜駅で、本屋さんに寄り道をして…
(「青春と読書」4月号を見つけました!!)
それから、「あさひ市民活動フォーラム」主催の
「イベントで なぜか人が集まるチラシづくり講座」に参加して
「エセナおおた」(NPO法人男女共同参画おおた)の指田祐美さんのお話を
伺いました!
(「はじめのい~っぽ!」の場合は、当面のところ
チラシ等でこちらから積極的に宣伝して、ご参加いただくというよりは
「いま、必要のある方に、その存在を知っていただいて、良かったら…
無理なくご自分のペースに合わせて、ご参加いただければ良いなぁ…」という
スタンスで臨んでおりますので、方向性は少々違っているかとは想いますが)
今後の展開の可能性の中で、
もっと多くの方に直接的なアプローチをすることがあるとしたら…
知っておいて損はない…強力なスキルの一つになるかもしれないと思いました。
いろいろと参考になるポイントを、たくさん教えていただけて勉強になりました。
ほんとうに、ありがとうございました!
時間と資金に余裕ができたら、スキルアップ講座に参加したいと想っております!
(時間ができたら、もう少し詳しくブログでもご紹介できますように!)
それにしても、3月に入ってからも、何やらバタバタと立て込んでおりましたので
アタマの中の記憶の引き出しも、整頓できないままにゴチャゴチャになって
とうとうあふれ出したり、零れ落ちそうになったりしています。
もともと、キッチリと焦点を当てて、考えていく「分類思考」というよりも
「芋づる式に、アッチとコッチがつながって…
不意に、あのことを思い出して、寄り道してみたり」というような
どこか「系統樹思考」に似た書き方をするところが、私にはあるかもしれません。
もしかしたら「迷路に入ってしまって、出口は一体どこだ~?」と
お感じになる方もおいででしょうか?
マァマァ、それはそれとして、お許しいただけましたら、嬉しいです!!
kirikouのことも、時おりアタマのどこかを、チラッとよぎりますけれど
「彼には彼の世界が、少しずつでも広がっていきますように~!!」
私も、時に応じて「少しずつ距離を取りながら…」見守っていけますように!!
皆様も、風の静かな「春の宵」を、お気持もゆったりとお過しくださいね…
これから一時のあいだ、目に映る「淡くて微妙な色の変化」には
いくつになっても…目を奪われてしまいます。
先ほど、携帯から小さな言葉を送信したあと、「神奈川近代文学館」の
企画展「虚子没後50年記念 子規から虚子へ―近代俳句の夜明け―」
常設展「文学の森へ 神奈川と作家たち」展第1部 夏目漱石から萩原朔太郎まで
を、観てきました。
取り立てて「俳句」に、深い興味があったというわけでもありませんでしたが
芭蕉の流れを汲む伝統的な「俳句の世界」に対して
「新しい俳句」を打ち立てていった方々がいらしたという系譜のようなものや
明治期以降の文人や作家(と書いてみて、どこがどう違うのでしょう???)
の方々の交流やそのつながりなどを、垣間見ることができたような気がしました。
(観たものを言葉にする方法も、いろいろと変わっていくようですし。)
常設展示を観たのは、何度目かですけれど…
私が、ほとんど気づかずにいた新しい発見がありました!
(多くの皆さんにとっては、きわめて自明のことかと想いますけれど…)
一般の方は、良くわかりませんけれど…
当時の「作家の方々」は、「道ならぬ恋」やら「許されざる恋」などが
とても身近な問題で、それが小説の大きなテーマになっていたんですね。
どうも、私自身は、色っぽいお話には、縁遠いといいましょうか…
さらに、最近のお若い方々の恋愛事情などにも、トンと疎いので
なおさら、それらの小説を愉しむことから、足が遠のいてしまうのかもしれませんけれど
「書かずにはいられない…さらに書くことで、何かを変えていこう」という意思が
言葉を洗練し、物語というカタチになって感動を呼び起こすのでしょうか?
また、その人が何に関心を持っているのか、どんな考え方を持っているのか?
によって、描かれる対象も描き方も、ほんとうに千差万別ですし…
作家といわれる方々の内に秘めているエネルギーのようなものを強く感じました。
お話がどこやらへ迷走してしまいましたが、先日お話した
山本周五郎著「季節のない街」の舞台が、横浜だったのも驚きでした。
帰りがけ、岩波文庫の高浜虚子著「回想 子規・漱石」を、手にとったところ
漱石先生が子規宛に書いたお手紙の文章が、とっても人間くさく感じられて
ついつい買ってしまいました。
ゆっくりと展示を観てから、外に出て「芸亭の桜」を、橋の上から眺めて
海の青さを確かめてから
ローズガーデンのバラが、きれいに剪定されて
赤い新芽が出揃ってきているのを、ゆっくりと観察しました。
それから、バス停の前にある「ゲーテ座記念岩崎博物館」に、初めて入りました。
ちょうど「林恵理子展」を開催していますし、(あまり広くはありませんが)
エミール・ガレなどのアールヌーヴォーのガラス工芸品が展示されていました。
(そこには、東洋と西洋の接点となるような人物の存在があったとか。)
それにしても、新しいものと古いものや様々な違う文化が
交錯する街があるんでしょうね。
桜の古木に咲いている花を見上げながら、石畳の歩道を降りていきました。
すると「江戸千代紙 いせ辰」の看板があります。
「こんなところに、千代紙のお店があるなんて???」と、ついつい気にかかって
右手の日本家屋の方に降りていきました。
ちょうど桜の季節にぴったりの、千代紙や和物の小物がたくさん並んでいます。
平日ということで、人出も多くなくて、5センチ四方の千代紙を下さいましたので
ひとしきり、お店の方とお話をさせていただきました。
60年ほど前に建てられた日本家屋で、以前は普通のお住まいだったとのことです。
本店は(先日、私も歩いた)谷中にあり、元旦以外はお店を開いているそうです。
千代紙の版木は、硬い桜の木を使っているそうで
いまも残っている版木を使って、谷中の方で刷っていらっしゃるとのこと。
坂の上から横浜の海を見わたせる頃の、建物の風景を描いた版画のことなど
丁寧にお話してくださいました。
ふと入ったお店の方から伺うお話は、私には得難い宝物のように感じられました。
ゆっくりと坂道を下って、地下鉄経由横浜駅で、本屋さんに寄り道をして…
(「青春と読書」4月号を見つけました!!)
それから、「あさひ市民活動フォーラム」主催の
「イベントで なぜか人が集まるチラシづくり講座」に参加して
「エセナおおた」(NPO法人男女共同参画おおた)の指田祐美さんのお話を
伺いました!
(「はじめのい~っぽ!」の場合は、当面のところ
チラシ等でこちらから積極的に宣伝して、ご参加いただくというよりは
「いま、必要のある方に、その存在を知っていただいて、良かったら…
無理なくご自分のペースに合わせて、ご参加いただければ良いなぁ…」という
スタンスで臨んでおりますので、方向性は少々違っているかとは想いますが)
今後の展開の可能性の中で、
もっと多くの方に直接的なアプローチをすることがあるとしたら…
知っておいて損はない…強力なスキルの一つになるかもしれないと思いました。
いろいろと参考になるポイントを、たくさん教えていただけて勉強になりました。
ほんとうに、ありがとうございました!
時間と資金に余裕ができたら、スキルアップ講座に参加したいと想っております!
(時間ができたら、もう少し詳しくブログでもご紹介できますように!)
それにしても、3月に入ってからも、何やらバタバタと立て込んでおりましたので
アタマの中の記憶の引き出しも、整頓できないままにゴチャゴチャになって
とうとうあふれ出したり、零れ落ちそうになったりしています。
もともと、キッチリと焦点を当てて、考えていく「分類思考」というよりも
「芋づる式に、アッチとコッチがつながって…
不意に、あのことを思い出して、寄り道してみたり」というような
どこか「系統樹思考」に似た書き方をするところが、私にはあるかもしれません。
もしかしたら「迷路に入ってしまって、出口は一体どこだ~?」と
お感じになる方もおいででしょうか?
マァマァ、それはそれとして、お許しいただけましたら、嬉しいです!!
kirikouのことも、時おりアタマのどこかを、チラッとよぎりますけれど
「彼には彼の世界が、少しずつでも広がっていきますように~!!」
私も、時に応じて「少しずつ距離を取りながら…」見守っていけますように!!
皆様も、風の静かな「春の宵」を、お気持もゆったりとお過しくださいね…
風待人さんのお話は、
迷路に入ってしまってなんかいませんよ~~
出口もちゃんとわかっていらっしゃいますよ~~
[普通のお話] の、範囲内で~~~す。
フレー フレー 風待人さ~ん。