another common round of life

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突然の電話

2006-05-31 | Weblog
突然長い間音信不通の人から電話がきました。
といっても特に仲が良かったわけでもなく、
学生時代もほとんど口も聞かなかったようなひと。
それなのに日曜に会いたいと聞かないので断固拒否しました。
だってアヤシイだろ。
学生時代のほかの仲間たちにこの件をメールしてみると
同じ電話を受けてる人が多数いました。
仲間たちとの話し合いや、周囲に相談した結果、
こいつは絶対宗教かセールスだという結論に達しました。

たぶん学生時代のサークルの連絡網とか使ってんだろな。
こういう連絡網って仲間内を信用して作ってるもんなのに
勧誘に使うなんてな~。
もともと難ありの人だったのでほかに連絡うけた人たちも
お断りしたみたいなんで被害はなさそうだけど…。

でも、もしこれが差し障りの無い友達だとしたらどうなったかな。
私たぶん「会おうよ」と言われたら行っちゃったかも。
友達だから信用してるし。

宗教とかセールスとかの勧誘する人って心底その行為を
善いことって信じ込んでるんで、
迷惑をかけてるとか相手を傷つけてるとかいう自覚無いんだよな…。
しかもそういう勧誘に限って、自分ひとりじゃなくて
もう一人の信者みたいな人を従えて多勢に無勢状態にしてくる手口が多い。

人が何を信じようと勝手だもんで、友達が何を信じていても
仲がよければつきあっていくけど、
人の信心に踏み込むようなことをしてくるならもう友達じゃねー。
ほんとに友達だと思うなら、自分の思い込みの幸せを押し付けるんでなく
ありのままの友達の幸せを願ってくれ。
それに、勧誘して断られるほうも傷つくんだろうけど、
友達と思っていた人に押し売りされた挙句、
自分から絶交を言い渡さなければならないような羽目になる相手の
気持ちも考えてくれ。

私は何かに拝んだから幸せになれるなんて到底思えないです。
宗教は願いを叶えたりするもんじゃないし。
心のよりどころなだけなんだからさ。
だから「これを拝めばいいことあるよ」といわれると
鼻で笑ってしまう。
いいことがあるとすれば自分の行いの見返りであることが多いです。
もちろんそう断言できないところもあるけど
あとは運次第かな。
神様は戒めのために存在してると思ってます。
でもあれだな、必死な時はなんとなく
神様を思ってることはあるけど(笑)。
あれって何かにすがるときの習性なのかな。
神様でなくても死んだおばあちゃんとか。
おばあちゃんも困るわな、いきなり頼られても(笑)。
とにかく私にとっての宗教はそんなもんです。