相互批評の饗宴――幻想史学と仲間たち

 これは幻想史学の提唱から15年経った仲間たちとの相互批評と詩と写真による饗宴である。

書評ー室伏志畔著『筑豊の黙示―〈非知〉への凝視』(深夜叢書社) 神山睦美 

2011年09月20日 | 書評
>室伏・グラフト国家論の背景――神山睦美
 
 室伏志畔は、長く吉本隆明に私淑して独自の古代史学を打ち立ててきた。だが、吉本から引き継いだのは、対象を根底から思考するという姿勢であって、思想そのものについては、それほど接点があるとは思えない。この度上梓された『筑豊の黙示』を読んで、この見当に大きな狂いはなかったことをあらためて確認した。「吉本隆明論」「谷川雁論」「埴谷雄高論」「モーセ論」「パウロ論」「聖徳太子論」「形骸論」の七章からなるこの評論集の要を為すのは、「モーセ論」以下の四章であって、前三章はその序章として、いかにして室伏幻想論がかたちづくられたかの思想過程を示したものといっていいだろう。
 集中の白眉は、「モーセ論」である。フロイト晩年の「人間モーセと一神教」について本質的な言及を行ったのは、私の知るかぎり柄谷行人と室伏志畔である。フロイトについて批判的なかかわりを根底から進めてきた吉本隆明に、この書についての言及が一切ないということ。そこに、フロイトの幻想論と吉本の幻想論との根本的な相違が浮き彫りにされる。そのことを自覚的に引き取って、晩年のフロイトから「死の衝動」と「良心」としての「超自我」という理念を引き出したのが柄谷行人であり、そのことについての自覚は別に、「父殺し」と「グラフト国家」という理念を抽出したのが、室伏志畔なのである。
 なぜ室伏は、柄谷のように吉本思想からの訣別ということを行うことなく、フロイト幻想論を解き明かすことができたのか。理由は、二つ挙げられる。「マチウ書試論」において展開されているような近親憎悪と対抗衝動にフロイト的な父殺しの原型を読み取り、ここから国家成立の原理を導き出そうとしたこと。同時に、そのようにして打ち立てられた父権国家が幻想の強化を進めるためには、近親憎悪の対象とされた原国家を接ぎ木することが必須であったとみなしたこと。室伏幻想論は、これをどこまで実効あるものとなしうるかという問いをモチーフにかたちづくられてきた。柄谷ならば、吉本国家論の失効を前提とするところ、室伏は、あくまでもそこにはらまれたグラフト機構の問題性を足がかりとするのである。
 南船北馬説というのは、室伏古代史学のキー・コンセプトといえる。これを古代史の文脈というのをすべて括弧に入れたうえで言ってみるならば、南島を起源とする母系国家が列島に成立してから後、大陸からやってきた父権国家がこれを打ち破ることによって、そこにはらまれていた制度の仕組みを、そのままに模倣するというものだ。これが、吉本国家論から導き出された理念であることはまちがいない。だが、吉本の場合、政治権力と祭祀権力を兄弟と姉妹によって分担することで共同幻想の安定化をはかった母系国家のエートスは、大陸からやってきた父権国家によってどのように接ぎ木されようと、列島に生きる日本人の無意識のなかに生きつづけるということになる。これに対して、室伏においては、父権国家のグラフト(接ぎ木)が一度は、母系国家を壊滅させることによって、そのことに対する贖罪のようにしてあらたな国家形成がおこなわれるとされるのである。
 室伏にあって吉本に認められないのは、壊滅と贖罪という機構にほかならない。そしてこの壊滅と贖罪こそが、フロイトから室伏が受け取った重要な概念なのである。
 たとえば、「人間モーセと一神教」において、フロイトは、モーセが実はエジプト人であったという荒唐無稽な説を唱えたのだが、そこでいわれる「エジプト」という表徴には、この壊滅と贖罪を表象するものがあるのではないか。そう考えたうえで、室伏はこのモーセエジプト人説を、以下のように条理を尽くして説明するのである。
 フロイトは、「父殺し」の起源に何があったのかを尋ねていった末に、紀元前十四世紀におけるエジプト王イクナートンと太陽神信仰に行き着いたのだが、実はこのイクナートン王も太陽神信仰も、壊滅させられたものとしてはじめて歴史にすがたをあらわすものであった。正確に言うならば、人間と人間の、共同体と共同体の、さらには異なる政治党派との、血で血を洗うような憎悪と抗争とを平定する事によって、太陽を神とする一神教を打ち立てたイクナートン王の事跡が、にもかかわらず、彼らの手で消し去られ、旧に復するように打ち立てられたのが、その後のエジプト王制なのである。
 そして、モーセとは、そういうイクナートンと太陽神信仰を一身に背負って、捕囚されていたユダヤ人たちをこの欺瞞に満ちた王国から脱出せしめたものであった。そのモーセが、イクナートンの運命をさらに過酷になぞるがごとく、近親憎悪と対抗贈与をやめることのないユダヤ人たちによって殺害され、その贖罪であるかのようにユダヤの王が呼びもとめられるということ。
 ユダヤの王とは、いうまでもなくメシアとしてのイエス・キリストにほかならない。だが、このイエスもまたモーセと同様、壊滅させられたものとしてその贖罪の対象とされるのである。「パウロ論」に展開されるのは、イクナートンにおいてもモーセにおいても、歴史の闇の中に隠されてしまった贖罪の仕掛け人を明るみに出すことといっていい。そこで、パウロとは、近親憎悪と対抗衝動からのがれることができず、父殺しに手を貸さざるをえなかった無数の背信者たちを象徴する存在としてあらわれるのである。
 「聖徳太子論」においては、パウロにあたる人物は特定されることなく、壬申の乱と大津皇子暗殺を通して権力を握っていった藤原氏による天皇制国家の確立とそれを象徴する存在として『日本書紀』に記述された聖徳太子像が語られる。そこでもまた、壊滅と贖罪の機構が見え隠れにはたらいていたというのが、室伏の言わんとするところなのである。
 このような室伏古代史学の独自性を認めたうえで考えてみたいのだが、なぜ吉本は、みずからのグラフト国家論において、壊滅と贖罪という機構を採用しなかったのだろうか。古代史を決定づける征服ー被征服の論理が、壊滅と贖罪の機構を怨望と報復の機構へと変貌させてしまうことに対する危惧からといっていい。吉本からするならば、フロイトのモーセ・エジプト人説もまた、父殺しの奥深くにかくされた怨望と報復から自由になっていないということになるのである。
 吉本が用意したのは、接ぎ木された国家や共同体の幻想は、接ぎ木した権力によっては決して壊滅させられることなく、母斑のように生きつづけるという論理だ。父権国家とも天皇制とも決して交差することなく、海上はるかかなたに揺曳し、いわば地上二メートル以下のところを伝播していくもの。近年の重要著作ともいうべき『母型論』において、吉本が語ろうとしたのはそういうことなのである。
 私の考えでは、このような吉本幻想論はポリネシア、ミクロネシアという地域性と旧石器という歴史性を考慮に入れたとき、大きなリアリティをもつものといえる。だが、いったんユーラシア大陸から東アジアという地勢図と、新石器という歴史時間を射程に入れた場合、フロイトの「父殺し」と父―母―子における対抗贈与という理念が、普遍的な意味をもって現れる。そして室伏古代史学が、後者に根拠を置いていることはまちがいないので、そのことを明示するためには、何が必要かということが最後に問われなければならない。
 たとえば、ヤスパースは、『歴史の起源と目標』において、人間と人間、共同体と共同体はなぜたがいに壊滅と贖罪、怨望と報復を繰り返してやまないのかと問いかけた上で、このことについて考え抜いた思想家が、紀元前五〇〇年を前後して、ユーラシアからアジアをまたがる地域において輩出したという意味のことを述べている。孔子、仏陀、ザラトゥストラ、イザヤーエレミヤ、ソクラテスープラトンがそれなのだが、彼らを特徴づけるのは、みずからは滅び去ることも辞せずにそのような事態に対峙したということである。これを、ヤスパースは軸の時代の思想家と名づけたのだが、フロイトが問題にした、イクナートン、モーセが彼らの前身ともいうべき存在であり、さらにイエスや聖徳太子、親鸞や西行といった存在が、そういう軸の時代の思想を身に帯びて現れたものであることはまちがいないのだ。
 ヤスパースはそのことについて明言しないものの、彼らが等しく「父殺し」の憂き目を見ることによって、国家や共同体の「父」として祭り上げられていることもまた真実なのである。フロイトが「人間モーセと一神教」において、真に言おうとしたのはこのことなのである。室伏志畔の古代史学は、今後、この問題をさらに深みから実証していくであろうというように、本書は書かれているといっては言い過ぎになるだろうか。(「唯物論研究」より)

※大芝英雄講演 2011年10月9日(日)pm2時 泉北すえむら資料館(旧泉北考古資料館


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