2014/3/30
「東海道53次歩き旅①(旅行社主催1回・2回)京都三条大橋~大津宿」 東海道53次歩き旅
3月1日に「東海道五十三次・街道をゆく」という旅行社主催の「歩き旅」第1回がスタートした。
旅行社主催第1回のコース
京都・三条大橋(スタート) → 粟田口 → 蹴上 → 日ノ岡峠 → 山科 → 追分(解散地)
(この日の万歩計歩数は19769歩でした。)
あれから約一ヶ月が経過。
本日(3月30日)第2回に参加してきた。天候は午前中は厳しい雨で大荒れだったが、午後1時ごろから小雨になり、傘をしまうことができた。やはり雨が降らなくなってからは、楽だった。
旅行社主催第2回のコース
追分(スタート) → 逢坂峠 → 大津宿 → 瀬田唐橋(解散地)
(この日の万歩計歩数は26386歩でした。)

蝉丸の歌(百人一首)「これやこのゆくもかえるもわかれては知るも知らぬも逢坂の関」【ある資料による意味=これはまぁまぁ、京の都からはるか東国へ行く人も、東国から都へ帰ってくる人も、ここで別れては出会い、知り合いの人も、まったくお互いを知らない人も、会っては別れていることだ。その名前のとおり「あふさか」(会う坂=逢坂)の関だなぁ。】に歌われている「逢坂峠の関所址」。私は(歩いては)初めての訪問だったので、感激した。「おお! ここが逢坂(おうさか)の関なんだ!」と周りの人に聞こえないように叫んでいた。

雨中の街道歩きはやはりつらいですね。江戸時代の人はなおさらたいへんだったことでしょう。

後ろの寺は「義仲寺(ぎちゅうじ)」。木曽義仲が葬られたところ。寺の名前も彼の名から。

背後の水面は琵琶湖。膳所城跡(公園)の桜は5分咲きで、小雨の曇天にもかかわらず、美しかった。

ところどころの電柱に「旧東海道」の標示があった。

到着地=本日の解散地 瀬田唐橋(西詰)

膳所城跡(公園)の桜は5分咲きだった。今回も参加者多数。

「旧東街道」は国道や線路などで寸断されているので、ときどき陸橋を渡ったり、遠回りすることになる。
旅行社主催第1回のコース
京都・三条大橋(スタート) → 粟田口 → 蹴上 → 日ノ岡峠 → 山科 → 追分(解散地)
(この日の万歩計歩数は19769歩でした。)
あれから約一ヶ月が経過。
本日(3月30日)第2回に参加してきた。天候は午前中は厳しい雨で大荒れだったが、午後1時ごろから小雨になり、傘をしまうことができた。やはり雨が降らなくなってからは、楽だった。
旅行社主催第2回のコース
追分(スタート) → 逢坂峠 → 大津宿 → 瀬田唐橋(解散地)
(この日の万歩計歩数は26386歩でした。)

蝉丸の歌(百人一首)「これやこのゆくもかえるもわかれては知るも知らぬも逢坂の関」【ある資料による意味=これはまぁまぁ、京の都からはるか東国へ行く人も、東国から都へ帰ってくる人も、ここで別れては出会い、知り合いの人も、まったくお互いを知らない人も、会っては別れていることだ。その名前のとおり「あふさか」(会う坂=逢坂)の関だなぁ。】に歌われている「逢坂峠の関所址」。私は(歩いては)初めての訪問だったので、感激した。「おお! ここが逢坂(おうさか)の関なんだ!」と周りの人に聞こえないように叫んでいた。

雨中の街道歩きはやはりつらいですね。江戸時代の人はなおさらたいへんだったことでしょう。

後ろの寺は「義仲寺(ぎちゅうじ)」。木曽義仲が葬られたところ。寺の名前も彼の名から。

背後の水面は琵琶湖。膳所城跡(公園)の桜は5分咲きで、小雨の曇天にもかかわらず、美しかった。

ところどころの電柱に「旧東海道」の標示があった。

到着地=本日の解散地 瀬田唐橋(西詰)

膳所城跡(公園)の桜は5分咲きだった。今回も参加者多数。

「旧東街道」は国道や線路などで寸断されているので、ときどき陸橋を渡ったり、遠回りすることになる。