地震にしても災害にしても人災にしても、社会的な災害には重要な意味があります。突然ビルが倒壊したりとか、橋桁が落ちるという、いわゆる手抜き工事はもちろん人災ですから、これは設計者なり工事を担当した会社なり、工事を認可した行政などに責任があります。
しかし、地震や台風などは、自然災害と言われます。甚大な被害が出ても、だれかに責任を転嫁することはありません。自然の災害に人間はどうすることもできないのです。
近年、地球規模の温暖化の問題が浮上し、同時に世界的に自然災害はますます猛威を振るうようになりました。そのため、自然の異常による災害は、人間社会が温暖化を促進したことが原因であるという考え方を、テレビなどのキャスターなどが煽るようになりました。その一つの大きな原因は、化石燃料の消費がもたらすCO2の排出だというのです。
たしかに地球規模のエネルギー連鎖を考えれば、そういうことも言えなくはなく、自然災害の原因が、人間社会が生み出した地球規模の温暖化にあるという説も一般化しつつあります。
しかし、ほんとうにそうでしょうか?
いえ、ほんとうにそれだけが問題なのでしょうか?
私も少しは考えました。その結果、というと大げさになりますが、自然災害にしても、家の中でおこる問題にしても、社会で起こるトラブルにしても、「原因は地球の温暖化である」というような表面的なレベルとは異なる、人間存在の隠された次元に、問題を引き起こす原因があるのではないだろうかと考えるようになりました。
そういうと、何だかおどろおどろしく毛嫌いしたりする人々が大勢います。あるいは、せせら笑ったり、小馬鹿に見下すような人もいます。いずれにしても、こういう問題に人は、社会は、まっとうに向き合おうとしません。
しかし、サブカルチャーとして飛ぶように売れているアニメやマンガ現象を支えているものは何だろうとあなたは思いますか? 人気を博しているもののなかに、たくさんのオカルティズムがあります。小説にも音楽にも絵画にもあります。いや、それは、オカルティズムではなくて多重な表現芸術だとあなたは言うかもしれません。しかし私は、芸術こそはオカルティズムの神髄であると思うようになりました。
そして深刻な社会問題を引き起こす自然災害もまた、オカルティズムの作用で引き起こされるのではないかと思うようになったのです。
しかし、地震や台風などは、自然災害と言われます。甚大な被害が出ても、だれかに責任を転嫁することはありません。自然の災害に人間はどうすることもできないのです。
近年、地球規模の温暖化の問題が浮上し、同時に世界的に自然災害はますます猛威を振るうようになりました。そのため、自然の異常による災害は、人間社会が温暖化を促進したことが原因であるという考え方を、テレビなどのキャスターなどが煽るようになりました。その一つの大きな原因は、化石燃料の消費がもたらすCO2の排出だというのです。
たしかに地球規模のエネルギー連鎖を考えれば、そういうことも言えなくはなく、自然災害の原因が、人間社会が生み出した地球規模の温暖化にあるという説も一般化しつつあります。
しかし、ほんとうにそうでしょうか?
いえ、ほんとうにそれだけが問題なのでしょうか?
私も少しは考えました。その結果、というと大げさになりますが、自然災害にしても、家の中でおこる問題にしても、社会で起こるトラブルにしても、「原因は地球の温暖化である」というような表面的なレベルとは異なる、人間存在の隠された次元に、問題を引き起こす原因があるのではないだろうかと考えるようになりました。
そういうと、何だかおどろおどろしく毛嫌いしたりする人々が大勢います。あるいは、せせら笑ったり、小馬鹿に見下すような人もいます。いずれにしても、こういう問題に人は、社会は、まっとうに向き合おうとしません。
しかし、サブカルチャーとして飛ぶように売れているアニメやマンガ現象を支えているものは何だろうとあなたは思いますか? 人気を博しているもののなかに、たくさんのオカルティズムがあります。小説にも音楽にも絵画にもあります。いや、それは、オカルティズムではなくて多重な表現芸術だとあなたは言うかもしれません。しかし私は、芸術こそはオカルティズムの神髄であると思うようになりました。
そして深刻な社会問題を引き起こす自然災害もまた、オカルティズムの作用で引き起こされるのではないかと思うようになったのです。