7月21日、22日、24日~27日にかけて北海道独特の輸送システムとそれにかかわる仕事
人たちの生活手段であった駅逓所で、建物が現存する主たる数ヶ所を見学した。
移動手段は、日ごろ家庭菜園に使用している軽トラの荷台にキャンピングテント一人用
を張って三泊四日の日程で総走行距離1,600キロ余りを走り切った。荷台にはすのこを
敷いてその上にクッション材、テント内の床にはにクッションを、さらにエアーマット、
そこに寝袋をセットすると、わが家の寝具より快適!
温泉や道の駅、知床では「国設 知床野営場」でのんびり就寝し快適に?走行した。
北海道の旧駅逓所
北海道独自の駅逓所は、北海道開拓時代初期の頃に最も多い時期には238駅を数えた。
その主な役割は、人馬継立、宿泊、貨物運送、郵便物扱などを行った。
全道のほぼ一郡に一駅逓所が設置され、駅間の距離は4~5里(10数キロ)で、その中間
距離は近くに0.22里から遠くには16里の遠距離もあった。
238駅に配置された駅逓所には2,835頭もの馬が配備されていた。江戸時代に運上屋や会所
などの制度があったが、明治維新(明治5年)になって廃止。
それに代わって駅逓所制度が設定され、その管理運営は取扱人と称された半官半民の請負人
が当たり、経費は北海道開拓使り支給され、土地や建物、馬などが貸与された。
道内各地をつなぐ国道が開通して、鉄道が敷設されてからは駅逓所の使命が終焉をむかえ、
1946年(昭和21年)にこの制度も廃止された。
廃止後に解体され、碑や案内板で旧駅逓所を表示するもの、北海道開拓の村へ移設された
もの、解体復元され資料館として保存されている建物、一般の民家やアパート,農家の倉
庫として利用されている建物などがある。
外部からの見学のみで、内部非公開としているものもある。
*運上家(運上屋)
商人が商い場所として経営を請け負う制度で、その商い場所に設置された出張所を運上屋
という。いわゆる、アイヌの人たちとの交易所であった。
これだけの数の駅逓所が廃止になった理由は国道の開通や鉄道の普及にある。
大量の荷物を高速で運搬できる。しかし、いまのJRが行っている不採算線の廃止提案を
みれば歴史の変遷のなかでは予測されたことだ。本来、鉄路が普及した経緯は石炭の輸送
にあった。国の政策で石油が石炭にとって代わり、モーターリゼーションの急速な進展、
マイカーを所有することで乗客数が、自動車輸送により貨物取扱量の減少、自然災害、
諸々の事故、地方の過疎化によるローカル線の乗車率が激減した。こうなることは自明
の理だ。
以下、建物が現存している数ヶ所の旧駅逓所(その面影すら残らない建物もある)を順次
投稿しようと思う。
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