えりこのまったり日記

グダグダな日記や、詩的な短文、一次創作の書き物など。

右腕の記憶⑨

2018-03-01 07:36:34 | 書き物


火事現場を離れた私たちは、課長の許可を得てそのまま直帰した。
脚に力が入らない私を気遣って、高橋くんはタクシーを呼んでくれた。
そして、土日の休みの間自分の部屋にいた方がいいと言う。
「1人でいると、考えなくてもいいことを考えちゃうから。美樹ちゃんは普段からそうだし、今日は尚更」
普段からのくだりは余計だけど、確かにそうかもしれない。
現に今だって、窓から入り込んで来る炎の映像が、繰り返し頭の中で流れてる。
火事現場の書店から、タクシーで高橋くんの部屋までは、40分くらい。
くっついて座って手をぎゅっと繋いだ。
でも、どこからかあのゴーっと言う音が聞こえる気がしてならない。
たぶん、怖い記憶が聞かせる音なんだろうけど…
目を瞑ってそれに耐えていると、彼が耳元でもう少しだから、と何回も言ってくれる。
左手を彼の手に、右手で腕を掴み肩に顔を埋めて。
繰り返される『もう少しだから』を聞いているうち、遠くから聞こえていた轟音は止んだ。
彼の部屋で、シャワーを浴びて着替えて、昼間の火事場の臭いを消した。
ゆったりしたTシャツとショートパンツに着替えて、ソファに座って水を飲んでいたら、いつの間にかうとうとしていたらしい。
目を開けたら、まだボディーソープの香りのする彼に、もたれていた。
「あ…ごめんね、私寝ちゃってた?」
「うん、ちょっとうとうとしてたみたいだね」
顔を起こして彼の目を見ていたら、思い出した。
「お礼を、言わなきゃいけなかったのに、忘れてた。」
「え?何のお礼?」
「助けてくれたお礼」
「お礼なんて…本当に何事も無くて良かった」
「もうひとつお礼があるんだ」
「ええ?もうないでしょ」
「私を、泣かせてくれたこと」
「泣かせたって…ああ、そうか」
「10歳の時、なんでだか分からないけど、こんな怪我したのに我慢して我慢して、泣かなかったの。今から考えると、子供なのになんで我慢したんだろうって思う」
「今日はた…敦が、受け止めてくれたから全部吐き出せたの」
「…いま、高橋って言いかけた?」
「あ、わかっちゃった?まだ慣れてないんだから見逃して~」
「…別に急がなくてもいいよ。結局言ってくれたし」
ちいちゃくふふ、と笑うと安心した声で彼が言う。
「笑ってくれて良かった。助けられて良かった。5歳の時は何も出来なかったけど…」
彼にお礼を伝えられてホッとした。
ホッとした途端、まぶたが重くなってきた。
「ねむい。もう寝よう」
「うん、明日は土曜日で休みだし、目覚ましかけないで寝よう」
すぐ隣にいてくれるから安心出来たけれど、それでも深く眠りに入ると、その夜は夢を見た。
今日の火事じゃなくて、子供の頃の火事。
走っても走っても追いかけて来る炎。
右腕になめるように襲いかかってくる所で、目が覚めた。
彼が私の顔を覗き込んでる。
「夢、見てたの。前の火事の夢」
「…そう。うなされてたから、気になって見てた」
「いつ止むのかな、これ」
「きっと止むよ、大丈夫」
それから、母のお腹に入るみたいに、彼の腕の中で丸まって眠った。
頭の上から規則正しい寝息が聞こえて、すーっと眠りに落ちた。

月曜日、会社に行くとみんなから労られ、課長からはもう少し休めばと言われ、正直こそばゆい。
結局、怪我はしていなかったのだから。
火事の時のことについては、私の精神的なダメージを察してくれたのか、そこまで詳しくは聞かれなかった。
そのかわり、また普通に営業の仕事に戻った私と高橋くんに、みんなからの遠回しな質問が飛んで来た。
「火事のとき、高橋くんすごく小山さんを、労ってあげたんだってねえ」
課長はやんわりと。
「二人とも、やけに仲いいなって思ってたんだよね」
前に一緒に仕事をしてた先輩は、オレ分かってるぜ的な。
最終的には、休み前の金曜日に高橋くんと二人で、岩田さんにご飯に誘われ、洗いざらい聞き出されることに。

「お疲れさまでした」
3人でビールで乾杯して笑い合う。
先週の金曜から1週間たったなんて、嘘みたいだ。
「美樹ちゃん、体調はもういいの」
「大丈夫です!ほら、ビールも飲んでるし」
岩田さんに向けてグラスを掲げ、笑って見せた。
正直、体調が悪い訳でもないのに、お酒はあんまり、だった。
それはまだ、1日おきくらいに火事の夢を見るから、なんだろうか。
「それにしても、まさかあの書店のビルで火事が起きるなんてね」
「そうですよね。出火元は飲食店みたいですけど」
確かに、あの時まさかあそこで火事なんて、考えもしなかった。
「高橋くん、よく美樹ちゃんのいるとこに駆けつけたね~」
岩田さんが、ほとほと感じ入ったように言う。
「書店の木村さんが言ってくれたんですよ。飲食店の真下が倉庫だって」
このことを、初めて彼に聞いた時は、本当に有り難かった。
私は腰が抜けてたし、敦が早く来てくれたお陰で助かったんだから。
「あ、そういえば。宮崎さん、営業に移るの止めたみたいだよ」
「え?そうなんですか。初耳…」
横の彼を見ると、びっくりしている。
彼にも言ってないんだ…
「なんだか、研修してみたけど、向いてないと思うので、って本人が言ったみたい」
助け出された後の、私を見る悲しげな目が思い出された。
宮崎さんなりに、気持ちの整理がついたのかな。

「ねえ、美樹ちゃんがお手洗い行ってる間に、聞いていい?」
「なんですか?」
「美樹ちゃん、ちょっと口数が少ない気がする。ほんとに大丈夫なの?高橋くんから見て、どう?」
「そうですね…まだ、1日置きくらいにうなされてて」
「あれっ…もう、二人は一緒なの?」
口を滑らせたからか、敦は思わず苦笑い。
「いや、土日だけのつもりが心配で引き止めてしまったので」
「そうだったんだ…」
「でも、少しずつ悪い夢は見なくなってるみたいですよ。仕事も出来てるし、ちょっとずつ、元に戻ると思います」
「高橋くんがいれば、ね」
「そうだったらいいなって思ってます…。まだ言ってないんですけど、もう一緒に住もうかって思っていて」
「は~高橋くん、そりゃ心配もあるだろうけど…とにかくみきちゃんが大好きなんだね」
「岩田さん、ストレート過ぎます。まあ、大好きですけど」
「高橋くんだって、ストレートじゃない。でも、良かった。美樹ちゃんにこんな素敵な彼が出来て安心したわ」

私がお手洗いから戻ると、岩田さんがニヤニヤしていた。
「岩田さん、何ニヤニヤしてるんですか。ねえ、何か言ったの?」
前半は岩田さんに、後半は彼に尋ねる。
「内緒だよ。ねえねえ、あの書店への転職話はどうするつもり?」
「あぁ…興味はあるし半分決めてたところもあるんですけど…少し、考え中です」
「書店自体は営業してるんだっけ?」
「一部閉めて、営業はしてましたよ」
実は昨日の木曜日、行って来たのだ。
買い付け担当の木村さんには、ものすごく心配されて「お誘いはまだ有効ですから」と、言ってくれた。
行きたい気持ちが大きいけれど、今は考えることがたくさんあって、決めかねていた。

じゃあ来週、と言って岩田さんと別れた。
当たり前のように、敦の部屋への最寄り駅で降りた。
このまま、一緒に住んでもいいかなあ…
前に言われたときは、すんなりそう思えなかったけど。
でも、今夜は…


右腕の記憶⑧

2018-03-01 07:34:37 | 書き物

金曜日の朝は、自分でもどんよりしてるなと感じてはいた。
それは、会社に着いてからも直らなくて。
おはようございますと挨拶した直後に、
「大丈夫ですか?今日1日終われば週末だから、パキッとした顔で行きましょう」
と、高橋くんに突っ込まれたのだ。
どうせ、パキッとしてない顔ですよ、と言いたい所だったけれど、我慢した。
こんな時の高橋くんの突っ込みは、ほぼ正論だったから。
宮崎さんが来て、
「今日はよろしくお願いします」と、挨拶してくれる。
体はこちらに向いているけれど、私の方を見てない。

客先を回って行くうち、だんだん宮崎さんも慣れて来たようだ。
ただ、何か指示を仰ぐ時に、私を見ないで高橋くんに聞いてくる。
気に入らないのは分かるけど、仕事中にそれはちょっとと、モヤモヤしてきた。
そして、例のお誘いを受けた大きな書店に入った。
納品を済ませ、商品のディスプレイの相談をし、担当の人と一緒にポップの内容を、考えることにした。
「紙やペンのストックってありますか?色々試しに書いてみたいので」
担当の木村さんに聞くと、同じフロアの奥の倉庫だと言う。
「私、分かりますから持って来ますね」
「すみません、じゃあお願いできますか」
「はい」
そのやりとりを聞いていた高橋くんが、
「小山さん、1人で大丈夫ですか」
と聞いてくれたけど、狭いところに大勢行ってもしようがない。
「私1人で大丈夫。他の準備をしてて」
急かされているわけでもないのに、私は小走りで倉庫に向かった。
遠くで、サイレンが聞こえる。
消防車…?

館内で、火災報知器の甲高い音が鳴り響いた。
「木村さん、火事ですか」
「そうみたいですけど…どこだろう。あっ」
内線を取り、何かやりとりしている。
ガチャンと受話器を置き、早口で
「高橋さん、この上の階の飲食店から出火したそうです。避難したほうがいいかもしれません」
「上ですか…上のどの辺です?」
「あっいけない」
「え、どうしました?」
「ちょうど倉庫の上辺り…」
「さっき、小山が行った倉庫ですか!?」
「そうです!見に行かないと!」
「僕、行きます。宮崎、木村さんと避難して!」

倉庫の中程の棚に、台紙やサインペン、蛍光ペンなんかのストックがあった。
ちょうど、窓の近くで明るくて助かった。
窓を背にして、色々と見ていると変な音が聞こえた。
低い、ゴーッと言うような…
これ、炎が広がる音に似てると思って、すぐに窓から1メーターほど離れた時。
広く空いた窓から、音をたててなめるような炎が、入り込んで来た。
信じられない物を見た恐怖で、ペタンとしりもちをついてしまい、動けない。
あっという間に入り込む炎が、大きくなって来る。
お尻をついたまま後ずさろうとするけれど、恐怖で腕が動かせない。
「誰か…助けて…敦…」
叫ぼうと思っても小さな声しか出なくて、目は涙でぐちゃぐちゃになってきた。
「みきっ!」
私の名を呼ぶ、聞きなれた声。
バタバタっと足音が近づいてきて、高橋くんにすぐさまかかえられた。
「みき!大丈夫!?」
「大丈夫…」
高橋くんにしがみつき、気づくとぶるぶると震えていた。
「さあ、避難しよう」
ほとんど抱え上げられたまま倉庫を出て、近くの避難用の階段を降りた。
外に出ると、避難した人たちの中に木村さんと宮崎さんがいた。
宮崎さんは、不安そうに私を見て、木村さんはさっと駆け寄って声を掛けてくれた。
「小山さん、大丈夫ですか。倉庫に火は廻ってたんですか」
私は頷くだけで口をきけず、高橋くんがかわりに状況を説明してくれた。
「倉庫の窓から炎が入り込んで来てました。ちょうど、取りに行ったものが窓の近くだったようで」
立ったままだった私は、思わずへたりこんだ。
その私を、高橋くんが膝をついて抱き締めてくれる。
高橋くんの首もとに顔を埋めて、声を出して泣いてしまった。
また炎に焼かれるのかと思った恐怖が、なかなか去ってくれなくて、
「こわかった…熱かった…」と、泣きながら何度も訴えた。
その度にうん、うん、と返事をしてくれて、頭や肩や腕を擦ってくれて。
「もう、大丈夫」
そう、高橋くんのやわらかい声が頭の上から降りて来る。
そうしてるうち、ようやく落ち着いてきた。

一時間ほどたち、ようやく1人で立てた。
高橋くんが、そっと肩を抱いてくれていたけれど。
「宮崎、先に帰社して課長に状況を伝えてくれる?」
「…はい。分かりました」
宮崎さんも呆然としていた。
けれどもう、私を見る目は挑戦的じゃなくなっていた。
振り返って私たちを見たとき、悲しげではあったけれど。
心の中で宮崎さんに話しかけた。
あなたの幼なじみを奪ってごめんなさい。
でも、もうこの人とは離れないから。