お陰様で、生かされている日々を、丁寧に過ごしています。ご縁に感謝します。

作家、看護師の岡本理香、肺がんの母を看取り、自身のリンパ性白血病ステージⅣ診断。活動休止、コツコツ療養しています。

口で言えば忘れる、教えれば記憶に残る、実際やらせれば身に付く

2010年09月20日 | 摂食障害
口で言えば忘れる、教えれば記憶に残る、実際やらせれば身に付くという諺。
ざわざわ方針は、これが根源。
子育てを指すが、自分育ても同じや。


昨日の講習会。
成長過程の彼女たちが、講師になる時間。
おおお・うちのコピーがおる。
そのコピーは、講師になることで、自分の身につく。
コピーではなくなる。

母娘バトルの時間。
それぞれのパワーを引き出すのが、私の役目。

当人が親に求める一言。
皆、同じやと知っている。

「ごめん」という言葉が欲しい。
一歩引いて、わざと負けてほしいとも言えるか。

母親も守りに入る。
娘も意地になる。

私が抱きしめるとこちゃうで?と思いながら、思わず手が出る。


気づいた人もいたか?
「宝物・・・」愚本の中の父の言葉で、私は過去をすべて清算して、今と言う時間を親子3人で共有した。
父の言葉が見せかけであると分かっていても、それでいい。

じわじわと、皆気づいたか?

時間軸の整理をするのは、自分自身なんや。
自分の時間軸やさかい。
自分でするんやって。

守りに入る母親たち。
実は怖がり。
繊細過ぎる線の細さ。

鎧兜盾を身にまとい、壁を作って、崩れそうな自分を守る。

「大阪のおばちゃん」という防御壁は、攻撃は最大の防御なり、そのまんま。

境界線は、各自が各自の感覚に応じて、また時と場合や人によって、引き方が変わる。
境界は、融通がきく、柔軟性なものでなければ、壁になる。
壁はコミュニケーションの断絶を意味し、境界と壁はまったく異なるものである。
幼少時の万能感を抱いたままで現実感がない人は、限界と境界の区別がつかず、壁で自分を守っている。
境界線は、産まれてから大人になるまでの成長過程で作られていくものである。

親密という捉え方を間違えると、境界が混乱し「相手も自分と同じ価値観でいてほしい、行動してほしい」や「同じ気持ちでいるはずだ」と考えてしまう。

自分を壁で守るのに、相手の領域には侵入するというとんでもない器用さがある。

境界線が各自明確であれば、壁を作る必要はない。
外堀、内堀も不必要。

秀吉は、金ぴか大好き、派手な飾りが大好きやった。
守りも、大好きやった。

そう、裸になるのは怖かったんやろな。

人を信じることができない。
これは自分を信じていないから。


そうそう。
我が家は、門がない、草木もない。
どうぞどんどんお入り下さい状態。

が、その筋の人に言わせれば、盗人たちは、絶対に入らない家。


頼もしいトトロたち、数十名が留守番してるし。
入っても手に取る宝物はないし。

宝物はすべて手放しているさかいね。


口で言えば忘れる、教えれば記憶に残る、実際やらせれば身に付く。
私は、身に付きまくったさかいね。

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