お陰様で、生かされている日々を、丁寧に過ごしています。ご縁に感謝します。

作家、看護師の岡本理香、肺がんの母を看取り、自身のリンパ性白血病ステージⅣ診断。活動休止、コツコツ療養しています。

今を知ると、人間、穏やかになる

2010年02月27日 | 
母の書類関係諸々、これをいい加減と言わずになんと表現しようか?
保留するものも多々。また後日。

入院中の3階のエレベーターを降りると、ナースが
「岡本さん、すみません」と。

ナースの一言に、母が興奮している、激怒している・・・

いつものこと、他人が何をしても気に入らない。
母は、まだ30歳代の気分。
現実は75歳。

「ご迷惑をおかけします。今を生きていないので、ないものばかりに文句を並べ、人をとことん見下すのが癖で。申し訳けございません」
入院が決まって1か月。
私はどれくらい頭を下げ続けただろう?とフト。
それもいつものことか・・・
先日は「あんた、ちゃんとせんかったら、首や」と、私にも。

娘を首?これは凄い発想だと感心した。

幼少時は、見捨てられると捉える。
大人の私は、どこからくるのか?この発想、そして子どものやな、母はと。

大きなお店の恋さんの母は、一流の学校も首席で卒業。
が、大病を繰り返し、家庭の事情で、医者になるのを諦め、年の離れた弟に大学進学を譲る。
終戦は10歳、疎開生活も苦痛だった。
自分の横にいた女の子が頭を撃たれて死んだ記憶も。
知ろうとしない母。
感情のコントロールができないのも気づいていないな。

大人になった娘は淡々と母を観る。


罵声の中を育った私は、逃げ道のない幼少時は、病気を味方にした。
それを知った私は、今は私を確立して、堂々と私が生きている。
自分が味方だ。

先日、父に初めて語った。
母が包丁を持って、父に向っていったシーンを、鮮明に覚えているよ。
とんでもないことが起きたと幼い私は閉ざしたと。

父「ワシも怖かった」
私「理香が見ているやないかっ、と親父が言った言葉。私の前に立ち目隠しするように動いたのも鮮明」

さり気ない数秒の会話は、なかったように流れた。


丁度ドクターと面談。
今の状態では、抗がん剤は無理。
本人の気持ちと周囲の状況で外出は可能。

退院や外泊も数日なら可能だが、
父「どんな罵声を浴びても、最期はワシが実家に戻っていい」
だが、母は即効却下。

最期だからこそ、父に感謝の言葉がでるかもしれない期待。
最期まで、今のまま、そっとしておきたい希望。

最期の表情や言葉が、残った人の心に永遠と映る。

亡くなった相手とは修復が難しいのは、私自身が姉で体験済み。
修復が叶わなくても、父が生きている限り、私がフォローはできる。

最期に、自分と向き合う時間を設けていただき感謝していますと、私は再度ドクターに伝えた。
病棟のスタッフには、本当にご迷惑をお掛けしていますと謝罪。
関わっていただけたこと、このご縁は母の心に確実に何かを贈っていただけたと思います。

「3月いっぱい」
今年は暖かい。
桜も早いかな?
母の望みの最期の桜、見ることが叶うかな?

外出は、せめて1回でも。
現実を知ろうとしない母は、今の状態を拒み続けるので、外出では・・・

たぶん、また激怒するのかな?

今を知ると、人間、穏やかになる。

おかげ様で、今の私は苦悩も穏やかに知って、そのまんまで歩いています。


今を知ると、人間、穏やかになるよ。
ママ。

今を知ると、人間、素直になるよ。
ママ。

知足が、自然に感謝を呼びます。
知足が、自然に帰してくれます。