埼玉県所沢市の西武園ゆうえんちが昨日リニューアルオープンした。
テレビは大勢の人が訪れ賑わう様子を映し出していた。
これを誰も批判しないのが不思議。
関東一円で感染が広がっているのは「現在」の話。
死者が出ているのも「今」
一方でまだ始まってもいないオリンピックは「国民の命を犠牲にするのか」と批判の嵐。
これはおかしくないか?
西武園ゆうえんちに嬉々として行く国民の気の緩みには「しょうがないよね、ずっと我慢してきたんだから」と寛大さを示しながら、そうした国民の予防意識の欠如を棚に上げて、オリンピック開催を否定する矛盾に気づかない滑稽さ。
オリンピックを批判するなら、今、西武園ゆうえんちをリニューアルオープンさせることも批判すべき。
人が死んでいるのは「いま」だ。
西武園ゆうえんちで感染する、感染させる危険性よりオリンピックでの危険性が高いというのは感情的印象でしかなく、科学的根拠はない。
感染者がいれば、そこはいつも危険地帯。
感染るか感染らないか。
その確率は、いつも2分の1なのだ。
国民が開き直らずに自粛し、それでも感染が収まらないなら、オリンピックはやるべきではないだろう。
だがそれは我々の努力を示してからだ。
都会では相変わらず路上飲みが絶えないらしい。
こういうバカ共を許しておいて、アスリートたちが過ごしてきた努力の日々を奪うことは許し難い。
年間140回も行われるプロ野球でも一喜一憂する国民がいる。
4年に一度のオリンピックに感動しないわけがない。
路上のバカ共は、そうした国民が得られるはずの感動を奪うことになるということにも気づかない。
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