ホーフブルク王宮観光の入り口となるミヒャエル門。この青銅のドーム下から観光コースが始まります。ハプスブルク家の重要な儀式の際に儀礼用の馬車が必ず通った門です。エリザベートとフランツの挙式の際も、そしてフランツが亡くなった時の葬儀の列もここを通過しました。中は結構天井が高いです。今は自由に観光客が通り抜けることができます。
中にカフェ・ホーフブルクもあり、見学を終えたあと遅い昼食を取りました。 . . . 本文を読む
ウィーンのアウグスティーナ教会。ホーフブルク王宮の敷地内にあります。
14世紀に創設されたアウグスティン派の教会です。17世紀にハプスブルク家の儀式が行われる宮廷教会となりました。マリアテレジアとフランツ1世、ナポレオンとマリールイーズ、フランツヨーゼフとエリザベートの結婚式などが行われました。心の納骨堂には、ハプスブルク家当主の心臓が納められています。これだけ大物たちの結婚式を行った場所にも関 . . . 本文を読む
ウィーンにあるハプスブルク家夏の宮殿シェーンブルンの南側、庭園を抜けて歩くこと約30分。小高い丘の上に立つギリシャ風パビリオンがグロリエッテです。1757年のプロシア戦との勝利を祝い、戦没者の霊を慰める意味を込めてマリア・テレジアが1775年に建てました。当初はここに宮殿を建造するはずでしたが、財政難から断念せざるを得ませんでした。現在グロリエッテの中は喫茶店です。ここからウィーンの街並みを背景 . . . 本文を読む
10月20日から全国公開している話題のミュージカル映画「ヘアスプレー」を見てきました。日頃めったに映画館に行きませんが、「ドリームガールズ」の時もそうだったように、ミュージカル映画は絶対大スクリーンと良い音響スピーカーのある映画館で見ないと感動が薄れます。迫力が違います。
1960年代、人種差別が色濃く残るアメリカ・ボルチモアが舞台。髪の毛をヘアスプレーでカチカチに固めた太った少女トレーシーが . . . 本文を読む
ホーフブルク王宮の入り口でもらえるパンフレット類と、ミュージアム・ショップで買ったものを並べてみました。
前列左より:エリザベートの肖像画を用いた絵葉書。ハンガリー女王戴冠式の様子、有名なエーデルワイス形のダイヤモンドの髪飾りをつけたドレス姿、若き日の姿が描かれています。ウィーンの街中を歩いていたら、プレイガイドに置かれていた2005年秋~冬のミュージカル「エリザベート」公演のチラシ。写真は喪 . . . 本文を読む
ウィーンのホーフブルク王宮。ここは600年以上、ハプスブルク家の居城でありました。部屋数2,600ですが、そのうち公開されているのは20数室。観光客は皇帝の部屋・シシィ博物館・銀器コレクションの3箇所を見学することができます。今、公式ガイドブックを広げながら訪れた時を思い出しつつ、これを書いています。
フランツ皇帝の執務室には、窓辺に置かれたデスク真正面に、楕円形のシシィの肖像画が立てかけて . . . 本文を読む
ウィーンのシェーンブルン宮殿。1683年、皇帝レオポルト1世が、ベルサイユ宮殿を凌ぐ宮殿を建てるように命令。1713年完成。部屋数1441の夏の宮殿となりました。外壁は金を塗ろうとしたところ、マリア・テレジアが財政の状況を考慮し、黄金に近い黄色にしました。(彼女が好んでいた色というわけではない。)
見学者コースには皇帝フランツの執務室、エリザベートの化粧室、フランツが息を引き取ったベッドがあり . . . 本文を読む
(2)で紹介したマーチャーシュ教会内の、小さな階段を昇った先にあったエリザベートの像。こうした像が残されていることから見ても、ハンガリーでは今もなお彼女が愛されていることがわかります。ウィーン宮廷に対する反感が、一層彼女をハンガリーに近づけたようです。戴冠式ではフランツ・リストが新曲「戴冠ミサ」を披露。エリザベートは異国の地にいる時のほうが人々に愛され、安らげたのでしょう。 . . . 本文を読む
ハンガリーの首都、ブダペストにあるマーチャーシュ教会。
この教会はブダ王宮の丘に立つ聖母教会で、13世紀ベーラ4世によってゴシック様式で建築されました。マーチャーシュが教会を増築し、ここで2度結婚式を挙げたことから、後世マーチャーシュ教会と呼ばれるようになりました。歴代のハンガリー王がこの教会で戴冠式を執り行いました。エリザベートはハンガリーびいきで、オーストリア人の大物たちを食事に招待したこと . . . 本文を読む
19世紀末のオーストリア。滅亡にひた走るハプスブルク宮廷に背を向け、自由を求めてヨーロッパ各地を旅した皇妃エリザベート。彼女の人生はミュージカル化され、日本でも多くの観客を虜にしています。伝記も数多く出版されており、私も何冊か読みましたが、そのなかでも特に写真の朝日文庫「エリザベート 美しき皇妃の伝説 上下巻」(ブリギッテ・ハーマン著)が一番等身大の皇妃の姿を描いているように感じました。そして彼 . . . 本文を読む