先日、
一羽の鳥が遠くへ飛び立った。
計り知れないほど遠くへ。
よく優しいと言われることがあり、
何故かと問われることがある。
ここで質問がある。
自分を愛していますか?
人を愛していますか?
愛するというのは、
恋人がいるとかそんなことじゃなくて、
自分を大切にして他人を大切にすることで、
とても単純かつ簡単なことだと思う。
人は悲観的になりすぎてしまったら、
どんなことでも悪く考えてしまう。
どうして自分ばっかり。
とか、
なんでできないんだ。
とか、
ありきたりな悲観的な言葉がでてきて態度に現れる。
ここまでなら自分でもなんとかやってけるようなもので、
大半は時が経てば解決してくれるような問題だったりする。
でも、
これ以上の負荷を感じることがある。
でもそれはごく一部で、
大多数に当てはまるようなものではない。
誰の顔も見たくなくなり、
話すことも苦になり、
生きることさえ億劫になって、
全てを投げ出したくなる。
でもそれを表面に出すことは決してしない。
だから自ら時を止める。
どうしてまだ僕らはソレを悪いことだと考えているんだろう。
アメリカの警官は、
事件を担当して銃を撃ったり、
人を撃って傷つけたり、
どんな時間の後でも必ずカウンセリングを受けるらしい。
そこで一定の基準を超えなければ警官に復帰することは許されないそうだ。
あたりまえにカウンセリングを受けるような社会なのらしい。
どうしていじめられた側ばかりをカウンセリングして社会復帰させようとするのか。
なぜいじめた側に何かしらあると考えないのだろうか。
いや、
そもそも人に話すことを躊躇するような環境を作ってしまったのはなぜだろうか。
簡単に人を頼れるようになれば、
悲しくなることは減るのではないだろうかと思う。
だから話をする。
話を聞く。
あなたに相談をする人はあなたを信頼している。
信用ではない。
信じて頼っているのだ。
だからこそ、
心から話してほしい。
あなたの意見を聞きたがっているのだ。
ありきたりな世の中に蔓延っている正解ではなくて。
それが、
人を愛するということではないのだろうか。
自分では気づいていないだろうけど、
あなたは誰かに愛されていて、
誰かを愛している。
欲を言えば愛してる人に愛されていたい。
大切な人に大切にされたい。
でもそんなこと自分ではわからなくて、
相手に聞くこともできないから、
少なくとも自分は愛していようと思う。
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