Kの理論 「華麗なるブレイクアウト」 Breakout Magnificent.

脱走・・・ただ道は一つ。いつも道に一人。万人は来ない。脱線し続けるサイボーグ社会からの脱出。

ジャスト・ロード・ワン  No.11

2013-09-21 | 小説








 
      
                            






                     




    )  御嶽の沓  Utakinokutsu


  斎場御嶽(せーふぁうたき)まで来る以前の比江島修治には何かが決定的に欠けていた。
  それがやがて「知覚」と「身体」と「行動」、あるいはそれらの「関係」という一連の結び目が固められて現れてくる。これを陰陽寮博士の領分に小生が牽強付会すれば、まさに絶対的関係で新しい比江島修治が出現する。しかし、修治にその着想はまだ芽生えていなかった。ただ、そうした着想の苗床になるべき幽霊体験が斎場御嶽で起きようとしていた。それは修治が三者の亡霊に耳を傾け、三つの雄叫びを同時に聞いたからだ。そして修治の思索の内奥に一体となってこびりついた。
「 知能とは、知覚された領域にひそむさまざまな対象のあいだの関係をとらえる能力のことではないか・・・・・ 」
  日没の闇間よりザワめいて聞こえ届く潮騒を聞きながら修治にはそう思えた。
  そしてまた雨田博士と清原香織とが交わす会話に耳を傾けた。
  深い谷底の青い光りに巻かれながら、定められたごとく自然に二人はそれぞれの闇へと消えたのだ。
「 あれは・・・、やはり鐘の音やわ・・・!。タヌキはんの腹鼓(はらつづみ)やあらへん・・・・・ 」
  階段を上がり切ると、しかし未だ背を曳く花音がやはり不思議である。振り向かされた香織は、火影(ほかげ)の揺れる谷底をじっとみた。
  そして余韻を拾いつゞけると、耳の芯(しべ)をやはり鐘の音はたしかに叩いた。するとその鐘の響きは香織の躰をあかく揺らしはじめた。揺らされると、しだいに胸の蕊(ずい)は何やら赫(あか)い晶(ひかり)のしずくで濡らされる。香織はたゞその湖(うみ)にたゝずむと、美妙に閼伽(あか)く染められていた。

      


「 暁(あさ)の鐘は夜の眠りを覚さはるために、晩(よる)の鐘は心の暗さを覚さはるために敲(たた)かはるものやと、たしかそないうてはった 」
  延暦寺で香織はそう聞いている。あるいは一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)、これは凹凸(おうとつ)詩仙堂の住職より、この世の中に存在するもの全ては、すなわち仏性であり、私達の生きている日常の世界はすなわち仏の世界であるのだと聞かされた。それはあの道元の言葉であった。
「 せやから、あのサザンカはやはり仏はんなんや・・・・・ 」
  山も仏(さとり)であり。川も仏(おぼえ)であり。野に咲く花も仏様(ぶつだ)である。この世の中全て仏様(にょらい)でないものはない。道元禅師はそう説いている。聞き覚えのあるそんな悟りの言葉を脳裏からつまみ出しながら香織は居間へと引き返してはポケットの中のひとひらをそっと取り出した。従来、生体の行動は一定の要素的な刺戟に対する一定の要素的な反応のことだとみなされている。
  それは先ほど茶室の庭で拾った山茶花(さざんか)の一枚である。
「 此(こ)の花、奈良ァ連れて行くんや・・・!。お守りや・・・・・ 」
  そして見終えるとまたそっと胸のポケットに仕舞い納めた。すると自分の胸の辺りで花の白い口が、今日の一日、平安の鐘を鳴らし続けてくれるように思えた。こゝろの芯がほつこりとする。何だか温かな揺り籠にでもくるまれている気がしたのだ。



「 その鐘(さとり)の音といえば、小生にも時々聞こえてくる・・・・・!。これはどうやら血筋のようだ・・・・・。その血は甕(かめ)の中で産まれた・・・・・、そして鐘の血は今日に受け継がれている・・・・・ 」
  阿部丸彦には香織に聞こえた鐘の音が、決して空耳ではないことが判るのだ。鍾の音を聞いた、だから漱石先生は結界に触れた祖先の吾輩を密かに甕の中に入れたではないか。「吾輩は猫である」とは祖の生命が封印される物語なのだ。丸彦はこの轍てつを踏まぬよう用心せねばならない。DNAとは自身の気づかぬ意外と妙なところで顔を出す性癖がある。祖の吾輩にはまことに気の毒なことだが、文学や芸能に深く干渉することに不用心であってはならぬということだ。 このとき丸彦は、すでに御嶽の虎口から這い出して修治の背後にピタリとついていた。
「 黄金餅・・・・・か・・・・・! 」
  寒月は苦沙弥の元教え子の理学士で、その苦沙弥を「先生」とよぶ。なかなかの好男子だが戸惑いしたヘチマのような顔である。富子に演奏会で一目惚れした。高校生時代からバイオリンをたしなむ。吸うタバコは朝日と敷島。朝日は苦沙弥と同じものだ。そんな祖先返りの古い話を思い出した彦丸は、黄金餅の眼で、香織のこしらえた椿餅(つばもち)をじっと見つめていた。
「 川端正面角の甘春堂の椿餅、虎屋黒川の逆さ椿餅もいゝが、香織手造りの椿餅もじつに旨そうではないか・・・・・! 」
  茶の間の円卓の上に京焼、三代道八(どうはち)の青磁があり、その雲鶴模様の大皿には椿餅がつんであった。春を彩る銀沙灘(ぎんしゃだん)のように、大胆にも大盛に椿餅が積み上げてある。
「 香織、おはよう。何かお祝い事でもあるの 」
  というのは、ようやく目覚めて、かんたんな化粧をすませた虎哉の一人娘、今朝は黒いロングスカートの雨田君子である。仁阿弥道八(にんあみどうはち)といえば京焼を代表する窯元であり、明治の三代道八は青花、白磁の製作にも成功し、刷毛目を得意とさせながら煎茶器の名品など多数製作した。その手からなる雲鶴大皿は狸谷の駒丸家より譲り受けた逸品であるが、普段はめったに人目に曝さらされることのない父虎哉の寵愛する蔵品なのである。



  そうした由緒ある雲鶴の有無を言わさずドンと白い餅が平然と陣取っている。朝の空が白む時刻でもあるから、かぶいた餅の、その胸のすく思いをさせてくれる格好が、君子の眼にはじつに豊潤であった。
「 あ、君子はん。小正月くるし、通し矢やさかい、お祝いしょ思いましたんや。この日ィは女将おかみはん、うちらもお祝いやいうて、よう作らはったんやわ。女将はんみたいにはじょうずにできへんけど今日、奈良行きますやろ。せやから、君子はんに、食べさしてやろそう思たんや。祇園には電話したさかい、午後に初音(はつね)姉さん来るいうてましたから、半分は女将はんとこの分やさけ、姉さん勝手に持っていかはる思う。君子はんは何ィも構うことあらへん。気ィ使わんと部屋にいらしたらよろしおすえ。姉さんには電話でそう念押しときましたさけ。たくさん食べておくれやす。せやけど一つ二つは、仔狸の茄子(なすび)のやわ・・・・・ 」
  通し矢とは、三十三間堂のことである。香織がそういうのを聞きながら、君子は食卓の上をながめ、母もなく誰も節目を祝ってくれた覚えもない少女時代を思い返した。まして小正月など東京の暮らしでは無縁のことであった。
  七草を炊き込んだ七草粥が終わり、京都における小正月の風物詩といえば、やはり「三十三間堂の通し矢」がある。これを弓引き初めともいう。それは、江戸時代にさかんに行われた「通し矢」にあやかるもので、全国から新成人あるいはベテランの弓道者が集まってくる。小正月は、元日の大正月に対していうもので、女正月、十五日正月などともいう。古来民間では、この小正月が本来の年越しであった。
「 日本には古くから祖先野生種のヤブツルアズキという豆がある。阿部家では古くからこの種を大切にし、祝膳には欠かせぬ品としての仕来たりがある。随分、小生も馳走になった 」
  七草粥をくるりと替えた年越しの日は、この豆で小豆粥(あずきがゆ)を炊くことで、その粥の中に竹筒を入れて、筒の中に入った粥の多少で、当年の米の出来高を占っている。
  これらは豊饒を祈る宮廷譲りの慣習である。この手習いがいつしか装いよく椿餅の姿へと変化した。これまでは、父と娘の二人っきりの味気なく侘しい生活に慣れて見過ごしてきたが、白あんの餅に紅をひき、窪みのところに黄色い花粉をあしらう橙皮(とうひ)の粒が色目を立てゝ散らしてある。それを見ているうちに、無垢(むく)だったはずの少女時代がよみがえって、君子は淡い感傷にさそわれた。
「 お父さま、まだ茶室かしら・・・・・ 」
  そういってまた椿餅に眼を盗られると、しだいに仄かに芯(むね)が温かくされる。家内で手作りにされた餅の温かみを感じた体験がない。
「 もう、お上がりにならはッてもよろし時間やけどなぁ。そろそろお食事、しはらんと・・・・・ 」
  その虎哉であるが、眼を見開いたまゝ、やゝ神妙なおももちでまだ茶室にいた。
  客座に散らされた白い花びらは、香織が拾い摘んださゞんかである。花は、それだけしかない。一見、素人の娘が無造作に散らしたようにみえるが、どうもそうではない。すっかりと虎哉の定形が砕かれて、しかしその形骸(けいがい)は井然(せいぜん)とある。
  風にでも散らされた、その自然なせいか黎明の迫る暗い茶室の中に白い小さな宇宙でも区切るかのようにみえた。この野風僧(のふうぞう)な花捌(さば)きの美妙を、利休なら何と観るのか。





「 かさねの奴(やつ)、花びらを相手に茶など点てさせて・・・・・ 」
  と、散らされた花を客人に見立て、一通りの茶道の形を終えた虎哉は、花びらとの独り点前に、たゞしずかに茶碗を差し出すと、幽かな影に揺らされ息を吸い込むような動きをみせながら、逆に、何んと無垢な点前かと、観念に近い吐息に似たものを洩らした。
「 散り終えた花のひとひらに生き終えた花の襞(ひだ)がある。その散り際の白さとは此(こ)の花の足音なのであろう。それは唯一、此の花だけが持つ白い音(さとり)だ。それはまた、此の花が見続けた月の跫(おと)でもあろう・・・・・ 」
  茶道をたしなむと、侘びた可憐な花にたゝみこまれた奥行が、虎哉にふと、自分をみつめることを促したりする。虎哉には駆け巡る月の跫(あしおと)が聞こえた。たしか以前にもこれは一度聞いた。そう気づいたのは、いつのころであったか明確な記憶はない。もう40年近く茶の湯に親しんでいるが、有りそうであって、そうそうには無いような気もするのだ。だがそう意識したとして到底人の手で整うはずもない。
  花の蕾(つぼみ)とは、いつとはなく襞(ひだ)のほどけて、咲ききってしまうまでの間に、頑(かたく)なゝものを綻(ほころ)びさせてゆく時間があろう。たゞじっと己(おのれ)を縛られたかにみる白さゞんかの、その時間の長さと深さとが虎哉の胸に強くしみた。
  82歳になる現在、年に一度、年齢が避けようもなく加算される日が、このように繰り返し来ることなど信じがたい事実のように、それも花の綻ぶ襞の深さに例えられることなのであろうかと考える虎哉は、六時半にはもう朝食を終え、ひとり書斎の窓辺にいた。
  そうして深くソファーに腰を沈めると、全くあてどない老船に積み残して岸壁を茫然と振り返るような思いが去来した。
「 あれはM・モンテネグロと見た、七年前の、あの空の景色なのか?。いや・・・そうじゃないなぞ。もう少し深く遠くにありそうな藍のような色にも思える。これはもしか赤児のときに産湯から初めてみた奈良の青さではないか。いやその十月十日前の、卵胎生(らんたいせい)としてこの世に芽生えようとした胎盤を丸くくるむ密やかな景色、その星空ではないのか。しかし独楽(こま)のように回る、この笛の音は!、一体どうしたことか。これは、たしかどこかで同じリズムを聞いたことがあるぞ・・・・はて・・・・・ 」
  たしかに深層に刻まれた響きだ。しかも青い光りを伴って感じられる。虎哉はどこで見たのかも思い出せない青い空のことを考えていた。脳裡に延々と残り消えないでいるから、それも人生の真実には違いない。そこに笛の音、これは何かのきっかけを待っていた自分に、今回の奈良行きが、何か思いがけない変化を訪れさせるのではないか。笛の音、それが何かはまだ分からないが、70年も忘れようとして拒みつゞけた奈良である。もう二度と近づくまいとした。その、干ひからびた奈良の裏面に、何か大切なものが沈めこまれているような気がする。それは明確な不安となることもあれば、新たな喜びをもたらしてくれことなのかも知れぬのだが、しかし、いずれにせよ判然としないモノはこゝにきて未明の淵に置き去ることが出来なかった。虎哉はそろそろ観念すべきことは潔く、素直に観念することの心構えを芽生えさせていた。
「 観念するとは、失念ではない。東亜同文書院を卒業するときにそう学んだではないか。そう、あの時代の観念に・・・・・ 」
  虎哉は冥土への入り口が眼に映るようになっている。
「 かさね、そろそろ発とうか。君子は・・・、その大きな荷物を宅配で奈良ホテルまで送っといてくれ。途中、寄り道のため少し歩かねばならない用事があるのでね。いつもの黒猫で頼むよ・・・。生モノは一つ、一乗寺中谷(なかたに)の、でっち洋かん。まあ、そう気遣う必要はないが・・・・・ 」
  と、そういって黒いステッキを香織に持たせた虎哉が、コートの袖に手を通しながら居間の窓をうかがうと、ようやく外の敷地が仄かに白みはじめていた。修治も療養の折に度々博士の山荘まで足を運んだことがあるが、冬場この白々と明ける京都の趣には心打たれたものだ。



「 博士はあの笛の音を聞いた。さて・・・・・小生も、一緒に出立だ・・・・・! 」
  旅立ちに、月は有明にて、という。これより二人は出発する。面白くなりそうだと丸彦は眼を輝かせた。
  白河の関越えんと、しかしこゝろ定まらず田一枚植えて立ち去る。そうして風騒(ふうそう)の人はあの関を越えた。しかしこの行く春の哀しみを騙(かた)りはじめる「おくの細道」という俳諧は後、数年の長い時間の中で推敲の手が加えられている。机の上に置かれ灯(ひ)に曝(さら)した言葉とは、すでに生々しい人間の声では無いのだ。田を一枚植える時間、松尾芭蕉は旅空間を独自の言語でそう数式化した。
  その芭蕉は西行ゆかりの遊行柳に心を寄せ、そして細道の序に立ち止まる。
  虎哉は何度か訪れたことのある那須町芦野の、旅立ちにふとその北へと眼差した。
「 しかし、やはり、あの、俳諧の矢立てのようにはうまくゆくまい・・・・・ 」
  芭蕉はそうであれ「 あゝ、私の今日の覚悟とは、何やらその田植えにも等しい、どこかへの手向けの花でも必要であろうか 」と、田一枚植える間が無性に気にかゝる虎哉がいた。故国とは生々しく、柳の精に遊行するような物見遊山の気隋な旅ではないのだ。
「 阿部富造(あべのとみぞう)・・・・・・! 」
  するとそこに虎哉は、一人の影の名を泛かばせた。虎哉はこの影を出迎えたのだ。奈良へ向かうということが虎哉をそうさせた。どうしても意識させられる人影である。今の山荘に暮らすようになってから、この人物の影に度々出逢うようになったのだ。
「 あれは闇間を濡らす雨夜であった。剃髪の仏頂面に肩首から丹(あか)い半袈裟(はんげさ)を吊るした、ちょつとあやしいネクタイ姿の老人が坂道を上がろうとしていた。私は下ろうとした。それが富造・・・なのだ!。想い起こさねばならぬ日がようやく訪れた・・・・・ 」
  眼に泛かびくるその夜、虎哉は都内三王社跡の山門に立つ高札を訪ねた帰り道のことだが、遅刻坂と呼ばれる小さな坂道の半ばで、阿部富造という男と、奇妙な一言交わして、奇遇な別れ方をした。数ある坂にあって、これほど印象深く残る坂道は他にない。

                              

「 あの坂の・・・あの笛の音、まさしくあれが一期一会・・・・・ 」
  それは二人が逢い初めた夜である。そして二人が最期に別れ合った夜であった。
  わずか三分に満たない時間、それを交流と呼び合えるはずもないが、しかし二人はたしかに濃密な時間を過ごした。じつにたしかに虎哉にはそんな実感がある。そこで交わした言葉といえば虎哉の一言、富造の一言、この二言でしかなかった。
「 そうだ、博士、そう二人はやはり戦友であり、すでに親友なのだ。時間の長短が問題ではない。あの坂で二人は共通の親しみを感じたはずだ。一言の問答を交わすことで互いは永遠に絆を結んだ・・・。何よりも博士、あなたはあの沖縄の安里52高地を鮮やかに記憶しているではないか。あのとき二人互いに、52高地の2㎞圏内にいたのだ。そして二人して同じ流血の惨状をみた。そこで眼に沁みた赤い血とは、語らずとも互いを引き寄せる霊力となる・・・・・ 」
  博士が今眼に泛かばせている富造は、小生とは密接な間柄、博士と同じく富造もまた旧帝国陸軍の指揮官であった。二人の交感に二人は互いに気づかぬが、たしかに交感はした。阿部秋子からの指令で小生が沖縄へと向かったのは、これより十年後のことであった。
「 富造とは、小生の主人であった阿部秋一郎の三男である。どうやら雨田博士は、よほど富造との出逢いを奇遇だと感心しているようだ。あの夜、虎哉は文京区音羽の鼠坂(ねずみざか)から山王社へと向かったのだ。博士の自宅は鼠坂にある。ふゝん、運命(さだめ)とはそういうことなのだ!。そしてさらに二人に加わって数奇な宿命を共に運ぼうとする男がいずれ現れる。小生にはその予感がする・・・・・! 」
  山荘の裏には毎日花が手向けられて切らされることのない石の小塚がある。虎哉はじっとその石塚の方をみた。この塚下に「栗駒一号」を納める京焼の甕(かめ)を埋葬した。虎哉はその棺(ひつぎ)の甕にそっと耳を澄ました。
「 クルグルック~、グル。クルグルック~、グル・・・・・ 」
  と、そう虎哉には聴こえる。そして眼には往年の一翼、耳奥にはその音羽が泛かんでくる。するとその翼は奈良の故国を空高くめぐるようだ。そして何やらその羽の音が夢の浮橋を引き出してくる。小生の耳にもその甕の音羽は聞こえた。小生はこの埋葬に立ち合っている。
  御嶽のここで、潮騒の遠鳴きを聞く比江島修治に、意識と身体のあいだにひそむパースペクティブのようなものがはたらいていた。しかもそれらは、どこか相互互換的であり、関係的で、射影(profil)的だった。そして、それを中心にいて取持っているのがスペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスだった。少なくとも修治にはそう見えた。
  そして丸彦は、背後よりその修治の肩を叩いたのだ。その手は心身二元論を決定的に刺戟するものであった。そしてその刺戟は、修治が眼に描きだした幻想が、自身の知覚や意識の中にあるはずだということを予感させた。この錯覚のような現実は、何かの「陰」に対して浮き上がってきた「陽」であったのだ。
「 アッ、この姿は、あのキホーテではないか・・・・・!。そうか、俺が、キホーテなのだ・・・・・! 」
  哲学とはおのれ自身の端緒がたえず更新されていく経験なのである。これは偶発的な動向から生まれた単なる神話ではない。どうやら御嶽の神は、セルバンテスの死亡後に、彼の生涯プログラムを消去したスペースに、もう一人のセルバンテス・データを書きこんでくれたようだ。これで修治が御嶽を立ち去る最後まで、ドン・キホーテの生体を作動させることが確認できれば、修治が生きてきたその全てのプログラムは消去させられるか作動禁止のロックがかけられる。そうなると比江島修治は、世界でたったひとつの自分だけのセルバンテスIDを所持するモンスター・キホーテの所有者となれるのだ。
  戦禍に伏せた沓音(くつおと)を鎮める御嶽の海に鳴る鍾音を聞いた修治は、すでに翔出そうとする青馬に跨っていた。









                                      

                        
       



 ダイナミック琉球






ジャスト・ロード・ワン  No.10

2013-09-21 | 小説








 
      
                            






                     




    )  山茶花  Sazanka


  秋風に鈴の音が運ばれてくる。  
  風が南へと変わると、チリン、チリンとその鈴の音が聞こえてきた。
「 ああ、そうか、和歌子はんは、この風向きを待っていたのか・・・・・ 」
  世の中は一粒の音が接近しただけで変わることがある。それを天人相関という。天上は何かの出現をもたらすのだ。そのとき地上で天上を扱っているともいうべき神を祀る人の上に神託が降り、天上はその神人の望みに相応しい神託をもたらした。星ヶ城の高みから阿部和歌子が家伝の「咤怒鬼・たぬき」の鈴を揺らしはじめた頃合をみて、丸彦は一度コクリとうなずいた。
  すると丸彦は、白浜山を下りて土庄港のある西へと向かった。
「 小豆島には世界で最も幅の狭い土渕海峡がある・・・・・ 」
  小豆島は一つの島と思われているが、そうではない。小豆島とは土渕海峡が隔てる二つの島である。しかし二つの島は、古くから橋で陸続きであり、すっかり小豆島とは人知れず1つの島としてみなされている。
  二つの島の、小さい方の島(海峡を挟んで西側の島)を前島(まえじま)という。
  近寄れば土庄港に流れこむ何の変哲も感じさせない普通の川として映るこの海峡は、全長約2.5km、最大幅は約400m、最狭幅は9.93mで、最狭部分に永代橋(えいたいはし)が架けられている。10mの橋巾なら猫の足でも一跨ぎほどのありふれた小橋なのだ。
「 たしか、世界一幅の広い海峡は、ドレーク海峡。最も狭いところでも650km・・・・・・ 」
  土渕海峡はその6万5千分の1、ドレーク海峡がどこにあるかも分からないそんな数値をおとぎ話か神話のごとく丸彦は、かって阿部秋子から聞かされたことがある。真意を確かめるべくこっそり図書館で調べたのだが、南アメリカ大陸南端のホーン岬と南極大陸との間の海峡なのだ。南極海の一部でもあり、世界でも最も荒れる海域の一つ。見たいとも行きたいとも思わないが、ただ丸彦は和歌子が鳴らす鈴の音を拾いながら世界一最短の永代橋までくると、橋のたもとで立ち止まり西の秋空をそっと窺った。
「 伊勢、奈良の三輪、そして九州の島原、さらに琉球・・・・・か。永代橋はその結界なのだ・・・・・! 」
  そして慎重に橋を渡りつつ、丸彦の脳裏には一筋の遥かな白い道が泛かんでいる。
  それは白糸のごとく長い長い細道であった。そのつるりとした白い輝きは、ペコンとした空腹にグ~とひどく堪えた。
  小豆島そうめんは、伊勢参りに行った小豆島の島民が、奈良の三輪そうめん作りを学び、島独特の手延べそうめんとして作り上げた。その40年後、肥前島原で発生した島原の乱で、多くの農民が殺害されたため、小豆島からも島原半島南部に島民の移住が行われる。その際、手延べそうめん技術も島原に移入され、それが南島原の手延べそうめんとなっている。またさらに、阿部家が伝える古文書によると、南島原に風待ちのため寄港した阿部家の北前船が、島原の手延べそうめんを琉球に運んだとされる。
                          
「 それが阿部家の第十二代阿部清之介の、龍田丸か・・・・・!。そして、そうめんの道・・・・・! 」
  手延べそうめんを積んだ一隻の白い帆船が泛かぶと、丸彦はその航跡を調査していた阿部富造の面影が偲ばれた。
  さて、永代橋を渡ると丸彦は前島の最西端、戸形崎へと急いだ。土庄港から逆時計回りに前島の西海岸を行けば、亀神社を過ぎてほどなく小瀬集落の船泊りとなる。阿部家の伝えでは、この小瀬の港を瀬戸内を往来する北前船の寄港地とした。そして港の端にこんもりとした小さな雑木林があるが、ここが前島の最西端・戸形崎である。
  播磨灘を西に越えて目の前に小豊島がみえた。この最西端の尖がりこそが、六道の辻とソリューションする出入り口なのであった。和歌子はその虎口の扉を開くために、小豆島で最も標高の高い星ヶ城から家伝の咤怒鬼鈴を振っていた。
「 天人相関は、特に天変地異が際立ち、旱魃・地震・津波などで地上が動いたときに活発になる。そのとき神託を預かる神人は、陰陽寮博士たちであったのである。そして今もまた、やはり「神々の加護」を旗印に阿部家の面々は何事かと闘おうとしている・・・・・ 」
  丸彦の前にある虎口の扉は沖縄に向かって開かれている。そこに、数百年にわたって沈静していた神話的な力がにわかに復活することになるのだ。虎口からそうした風潮が吹き上がるのを感じた丸彦は、そう感じた瞬間、緑の玉が光りを放ちながら潮騒を揺らす虎口へと消えた。






  そして同時刻の沖縄がある。日没の時間を静かに見計らっていた比江島修治の眼には、そろそろと、琉球の落日が赤の淡い濃淡で御嶽(うたき)の淵を揺すろうとしていた。そこに揺らぐ光の飛沫(しぶき)は、丸彦の消えた虎口に通じる、またまことに緑(あお)い潮騒でもあった。
「 御嶽には、アマテラスこのかた女の執念のようなものが宿っている・・・・・ 」
  現在までノロの神仏思想は、琉球の神話を確信して天理の将来に加担した人間の宿命のようなものを、黒々と描いてきた。そして赤々と映し出してきた。またあるときは青々と見えた。琉球の神託をえたノロは、世の人々の顔色を変えるそんな性癖をもっている。阿部富造のいう五色の虹とは、社会があまりに究極の姿を求めるときにしばしばあらわれるノロに祈祷られた悲喜劇的な色彩事象なのであろう。こうして琉球の吉凶が暗示された。
「 そこには琉球の普遍的なタブーが宿っている! 」
  沖縄における一つの忌まわしい現象というのは、基地問題の事件・事故のような血なまぐさい動向が、さも宿命のごとく人々の意識下や水面下で不人情な忌まわしきを天上から切り離して動かしているといってよいだろう。以前には、天理により琉球の風景は、四六時中眺めていればじゅうぶんに幸福になれるように仕組まれていたはずだ。時代は本質としてあるべきその天理を破壊しようとする。
「 ノロはその祈りが、人の本質や核心に迫るための「気孔」のようなものだということを知っている・・・・・ 」
  そう考えると比江島修治はかって自身でも体験した不思議な光りの霊気が思い出された。
  そしてその光りを誰よりも数多く身に沁みさせていたのが雨田博士であり、清原香織だったはずだ。陽が落ちるとしだいに潮騒の揺れが激しくなり、御嶽の周りに闇が囲むようになった。御嶽の岩間から日没の海をみつめる修治の眼には、新しい月光が揺らめき、そこに連なるようにして京都で体験した比叡山の天衣が撒き散らす静謐な光景が広がっていた。






  古都は、まだ冬のつゞきである。
  昼のあいだ吹き荒すさんでいた北風は、昏(くれ)から夜半になると急にとだえて、それまで空をうずめていた幽くらい雲の群れが不思議なほどあっさりと姿を消していた。
「 こんな夜にかぎって、奈良の空は高く澄み、星がいっそう輝いてみえるのだ・・・・・ 」
  大声をあげたいような歓びが湧き上がったわけではない。70年も以前の老人の遥かな追憶であるのだから。けれども、胸の奥が凛りんとひきしまり涼しくなるような、この清々しさときたらどうだろうか。たしかに当時、佐保山さほやまからながめ仰ぐ宙いえの中は、さわやかな星々でいっぱいだった。
「 あゝ、やはり氷輪(ひょうりん)は現れた。どうやら天の配剤はそこで完結されたごとく、あれ以来そのまゝのようだ・・・・・。今年も佐保川の桜は、また此の花を美しく咲かすのであろう・・・・・ 」
  そうした今も眼の奥に遺る星々の綺麗なつぶやきが、果たして佳(よ)き花信となってくれるのであろうか。すでにそんな動きが故国にあると考えねばならない。
「 だが、そこはすでに干(ひ)からびた土地でしかない・・・・・ 」
  京都八瀬の別荘でそんな故里(ふるさと)の夢を懐かしくみせられた雨田虎哉(とらちか)が、七年ぶりに来日したM・モンテネグロの泊まる奈良ホテルを訪ねたのは、2002年が明けた仲冬の土曜日、ぼたん雪の降る乙夜(いつや)のことであった。
「 家族とは最初から有るものではない。共に力を固くして創るもので、此(こ)の一族は、闇を貫く光りの結晶なのだ。絶やしてはならない。そのための密約なのだ、とそう彼は語った 」
  奈良へと向かうその朝の、比叡山四明ヶ嶽(しめいがだけ)の西麓は地の底まで冷えこんでいた。しかし、そうであるからこそ例年通りの京都なのである。京都山端(やまはな)の人々は、この比叡ひえ颪(おろし)を安寧(あんねい)な循環の兆しとして知りつくしている。そうしてまた虎哉の山荘も真冬の中にたゞ安らかに寂しずまっていた。



  京の冬は紅葉の後にきっぱりとやってくるのだ。鉛色の空から降る冷たい雨に雪がまじるようになると京都で暮らす人の腹はきちんと据わるようになる。襟元を正しては悉皆(しっかい)と冬を懐ふところにする。
  新春の山野はすがれてはいるが、しかしよく見ると、裸になった辛夷(こぶし)など、ビロードに包まれた花芽をおびただしく光らせている。山が眠る、などということは無いのだ。つねに冬山は不眠で生きている。芽吹く日の光りを湛え、継ぎゆく血を蓄えている。ことさら洛北山端の冬は、枯れて黙したような身の内に、木々は深く春を抱くのである。
  虎哉に、遠い奈良の星々がよみがえるように見えたのは、そんな朝まだき午前四時であった。
「 あゝ、胸奥に沈むようにチクリと隠されて、かるく痺(しび)れる、この香りは、白檀(びゃくだん)と、たしかこれは丁字(ちょうじ)だ。静かに小さな春でも爆(は)ぜるような快さではないか・・・・・ 」
  ほんのりと寝顔をまきつゝむ快哉な香りを聞かされながら、血流をしずかに溶かされた虎哉はゆっくりと目覚めさせられていた。
「 沈香(じんこう)の他に、これを加えてくれるとは、かさねの奴も、ようやく香道(こうどう)を手馴れてきたようだ。しっとりと肌に馴染まさせてくれている。わずか二年足らずでこれを、おそらく天性のものであろうが、能(よく)したものだ・・・・・ 」
  今朝の香りには、しずかなやさしさがあった。虎哉は人間としてのふくらみを感じた。暗い眼では香木の形はとらえられてはいないが、焚(た)かないでも香る香木を取り合わせた、なるほどあの娘の手にかゝるとこうなるのかと、いかにも清原香織らしくあるその香りは、虎哉のこゝろの襞(ひだ)の上に、着なれた衿合せでもさせてくれたかのごとく、普段通りの躰(からだ)できちんと納まっている。
  大きな山茶花(さざんか)の一樹に隣り合わせた虎哉の寝室は、こんもりとした茂みが庇(ひさし)のような影を障子戸に映して一段と暗い。そうなるように天然の配剤で闇夜をつくりだす寝室の設計がなされていた。毎年、冬にさしかゝる時期はどこか、太陽が遠くなる心細さがあるが、すっかり真冬になってしまえばそこに寂しさが勝るようになるものだ。
  加齢するにしたがい、脚の痛みはその木枯らしに急せかされるように増してくる。いつの間にか、そんな虎哉にとって眠りは厳(おごそ)かな真剣勝負のようになっている。日常の脚あしの痛み止めの薬を一錠でも少なく控(ひか)えて痛みを抑えるために、虎哉の睡眠には墓の中のような暗闇と、無音の状態が必要だった。また以前には常用であった睡眠薬を控えるために、就寝時には鎮静作用のある香物を焚きしめた芳香が、今の寝室には欠かせないものとなっていた。そんな漆黒(しっこく)の未明から目覚めた虎哉の、あたりのすべてが虚空(こくう)である。六徳と清浄のあわいに座るとはこのことか。
  虚空蔵菩薩は虚空すなわち全宇宙に無限の智慧と功徳を持つ。京都において十三参りが行われ、子供が13歳になると虚空蔵菩薩を本尊とする西京区東山虚空蔵山町の法輪寺に参拝する習慣がある。明星が口から入り記憶力が増幅したというが、虎哉はその虚空蔵にでも抱かれているようであった。 暗闇と芳香とで繰り返したしかめる日常の、そんな虎哉にはあたりまえの話だが、虎哉はこの虚空がいちばん親しいのだ。時がまき戻るような、まき返せるような何事をも空暗記(そらんじる)ごとくの安らぎだ。今朝も寝室の四方八方、虎哉の親しい虚空がみしみしと満ちていた。
「 かの天竺(てんじく)のガンジャというものも、もしか、このようなモノであったのではあるまいか・・・・・。たしか空海は「 乾坤(けんこん)は経籍の箱なり・・・宇宙はお経の本箱 」といった。私はその乾坤で眠りながら虚空の音を聞いていたのであろうか。そうであれば逆らわずに応じたい・・・・・ 」
  芳香につゝまれて目覚め、虚空の層の厚さを感じると、肉や骨の重みがどこからどこまでがどうと、よく判らないけれど実に軽いのである。それは血が鎮められた重さか、気が冷まされた重さか、暗さと芳香とがもたらしてくれる芳醇な安眠が、適当に与えてくれる虎哉の寝室にいる身の重さとは、能(よく)した傀儡師(くぐつし)により計算し尽くされたように、なかなか、よくできていた。どうやら佐保川の桜の芽吹きが、わざわざそのことを告しらせにきたに違いない。
  そうしてうっとりと眼をみひらき、暗闇に何をみるともなく辺りをながめる。やがて次にその眼の持ち主が何者であるかを自覚できると、ようやく虎哉の一日が始まるのであった。そんな虎哉は、虚空の時間からふと一呼吸はずして、ムートンの上に横たわる老体をおもむろに反転させると、うつ伏せのまゝベットの脇に手をのばし、居間の呼び鈴に通じるコールボタンを軽やかになった指先でそっとプッシュした。
「 老先生・・・・・、起きはッたんやな・・・・・ 」
  そのころ居間で炭点前(すみてまえ)の準備をしていた清原香織は、床下の炉に用いる練香を入れた陶磁器の小さな蓋(ふた)を重ねて棚の上にしまい終えると、これが朝餉(あさげ)の仕度の次ぎにする日課なのだが、居間のカーテンを全開にして虎哉の寝室へと向かった。茶の湯では炭点前が終わると香を焚く決まりがある。その炭点前とは、茶を点てる前に湯を沸かす炉や風炉に炭をつぐことであるが、風炉は夏季、冬季は床下の炉で、種々の香料を蜜で練りあわせた練香を焚くことに決まっている。この冬の炉は何かと手間暇をくう。




  虎哉は毎朝、ひとり点前を行っていた。
「 あとは・・・?、そうや、お花や。奈良のォ荷物、大きいのォはもう準備すんどるし。せやさかい後は、小さいのだけや。あゝ、今日は何や、てんてこ舞いやわ 」
  と、もろもろの仕度に追われる香織は、昨夜のうちに朝餉の下ごしらえは済ませていた。毎日がこういう具合に、香織はいつも午前二時半には起きている。
「 明けたァ思たら、もう月末くるし、新しい曲また選らばなァあかん。次何がえゝんやろ・・・・・ 」
  松の内はすでに過ぎて、早もう小正月が過ぎようとしている。しかし虎哉の寝室はまだ新年を寿(ことほ)ぐかのような調べである。虎哉は何よりも雅楽の序・破・急を通しで演奏する「一具」の調べを好むのだが、「越天楽」を平調と盤渉調で聴き比べてくれなど純邦楽の難題な文句に振り回されると香織には目眩(めまい)すら覚える一大事、不慣れなそうした楽曲を月毎(つきごと)に変えては寝室用のBGMを収録することも香織の大切な務めの一つであった。 そうして虎哉の寝室のドア前に立つと、ノブ下に備えられた、新春は琴の音が室内に小さくゆるやかに流れる音響装置の、手動スイッチをONにキッと押し上げた。
「 せやけど、毎日こないするん、ほんに面倒やわ 」
  寝室に入るとき虎哉は、ドアをノックすること、ドア越しに声をかけないことの二つを固く禁じていた。もしそうされたとしても不機嫌さを残さないために、外部との遮音壁が分厚く周到に施されて、多少の音も虎哉の耳には届かないのだが、それほど安眠を損なわぬ厳重な施工がなされていた。
  しんしんと身を刺すような廊下に、京都の女なら「冬は、早朝(つとめて)という」少しお説教めいた虎哉の習い事通りの張りつめた気構えで香織はピンと背筋を伸ばし、しばし間合いをうかがうように立ち尽くしながら、虎哉がカチリとさせてくれるまで、たゞしずかに電子ロックの解除音を待つのである。
「 老先生、おはようさん。・・・・・お目覚めどないどすやろか?・・・・・ 」
  静かに部屋に押し入りつゝ、笑みて香織はさわやかな声をかけた。まだまだ修業中の身ではあるが、爽やかな笑顔だけは、苦にせずともいとも簡単にできる香織なのである。
「 あゝ、おはよう。おかげでぐっすり眠れたよ。ありがとう 」
  虎哉はそう満足気にうなずくと、ステッキで躰を支えながらも椅子から軽やかに立ち上がった。その軽やかな姿を確かめるために香織は毎日未明には起きて見守っている。虎哉は今朝も軽やかに立ち上がってくれた。
「 そうどすか、よろしおした 」
  そうたしかめてみる虎哉が安らかに返す言葉の揺らぎは、香織が毎朝ホッとして息を下げる安堵の瞬間である。厚い遮音壁に内部の物音がすっかり遮られるために、深夜にさせる虎哉の息遣いがいつも心配になる。香織は溜息をし尽くして朝を待つのである。
  老いた主人への、万全なその配慮と気の配りが常に香織には課せられてあった。そう用心することが最も大切な奉公人としての心棒なのである。深夜から未明にはいつも気と眼を寝室に向けて研ぎ澄ませていた。そんな香織は、のっぴきならぬ用事が今朝も起きなかったとばかりに、ふう~っと肩から一息を軽く洩らした。このとき一夜の溜息が消えるのだ。
「 せやッたら、もう窓ォあけて、空気入れ替えても構いませんやろか? 」
「 あゝ、そうしておくれ。最近あまり使わなかったが、丁字もなかなかのものだね。いつもより爽やかに感じる 」
  虎哉がそういう丁字とは、南洋諸島で生育するチョウジの木の花のつぼみを乾燥させたもので、強烈で刺激的な香りをもつことから、世界中で調理のスパイスとしても重宝されている。クローブともいう。大航海時代にはスパイス貿易の中心的な商品の一つ。この甘く刺激的な香りは、当時、さぞや日本人に異国情緒をかきたてたのであろう。これは日本人にも案外なじみ深く、江戸時代からビンツケ油や匂い袋の香料として、あるいはウスターソースのソースらしい香り付けにも使われている。江戸時代、阿部家の北前船はこの香料を琉球から運んだ。薩摩藩の承諾をえた内密な商いであったが、無印の帆船は琉球と上方とを頻繁に往来した。
「 うちも丁字ィすう~として、えゝ匂いや思う。せやけど、うち、あの香り聞くの辛うて、たまらへん。何やえろう悲しい花やしてなぁ~。それ知ると、ウスタぁソース好きになれへん。店で見かけてもな、手ェ伸びまへんのやわ。そないしてると、いつも醤油しょうゆ買うとる。洋食の献立、つい和食に変えとうなるんやわ 」
  ずしりと胸にきたのか、泣くような小声で香織はそうしょんぼりといった。丁字は、つぼみのときが最も香りが強いため、深紅色の花が開化する前に摘み採られてしまう。このため虎哉もまだ生きた花の色目はみたことがない。香織はその花が、香りのために花開くことを奪われてしまった悲しい運命の花木なのだ、といゝたかった。
「 あゝ、たしかに花は悲しい。だけど、その短い命は、やがて人の命へと循環する。だから儂(わし)のような老いた者にもめぐり廻って悦びを与えてくれるのさ・・・・・ 」
  と、いゝかけた虎哉だが、それ以上いゝ足せば、やゝ小賢しくもある。香織の澄みやかな感性の口調を前に、さり気なく視線をそらすと語尾のトーンをすう~っとぼやかした。
「 この娘に、私の表情の裏をみせてはなるまい。老人の内面の汚い剥(はが)れなど、、無用の長物じゃないか。無邪気の若さを、私の口の汚物でまぶすのはよしておこう。虚空とは汚れを消した清の領域、かさねは、その位に私を濯ぎ清めてくれたではないか・・・・・ 」
  丁字はアルコールと混ざりやすく整髪剤や石鹸につかわれ、殺菌作用と軽い麻薬作用をもつので歯科院の歯茎にぬる痛み止めチンキにも活かされている。人間の視線に立てばそれでいゝ。しかし花の視線でそれを裏返せばそれは人間本位の身勝手なことで、香織のように感じ、無慈悲と思えば、摘まれたその花へと思いやる眼にあふれる涙さえ覚えるであろう。その花の涙のみえぬ人とはまた何と悲しいものであろうか。しかしもはやその情緒を震わす心には立ち返れそうもない老人は、若く生き生きとある香織の輝きが愛らしく嬉しくもあった。
「 老先生、お茶室の準備もう少しやさかいに、ちょっと待っておくれやすか。今朝のお花やけど、まだ決めてまへんのやわ。そろそろ正月のォもけったいやし、どんなん、よろしィんやろか?・・・・・ 」
  と、 香織はガラス窓を開けながら訊(き)いた。しかし、そう虎哉に問いかけていながら、ふと、「 あゝ~、あの青白い不思議なひかり・・・・・ 」と、一瞬、脳裡をかすめてツーンと胸に通るものがあった。香織に或ある美しい光景が過よぎったのだ。



「 せや、あれやわ。あれ見んとあかん。老先生、待ってゝおくれやす、えろう済んまへん 」
  呟(つぶや)くようにそういうと、何か急(せ)かされた忘れ物でもあるかのように、慌てゝ言葉の尻をプツリとへし折って、虎哉にはそう受けとれたのだが、要領をえさせないまゝに妙な弁解だけを残した香織は小走りにまた居間の方へと引き返して行った。
  香織は未明に起きたとき、凍りつきそうな井戸水を一杯のみ終えるとぱっちりと眼が冴えた。そのとき昨日の黎明前に体験した不思議な光景が想い返されていた。あれはたしか、裏山の山茶花(さざんか)の大樹が、ひらりぽたりと白い花びらを庭に散らし落すころであった。
  花は地に着くまでの間にひそかな何をかの話でもするのか。間もなく昨日と同じその幽(くら)い刻限が近づいていたのだ。
「 去年の冬、ちィ~っとも気づかへんやった。せやけど、あんなんあるんやわなぁ~・・・・・ 」
  裏山が見渡せる茶室へと向かう香織の脳裡には、朝まだき昨朝の黎明前の淡いひろがりのなかで感じとれた絵模様がぼんやりと描かれていた。しかし、あの無限の哀しさに包まれていると感じられたあのときめきは、一体何だったのであろうか。
  香織はもう一度よく確かめてみたいと思った。
  明日は月あかりのない、朔(さく)の日である。そうした無明な下弦の終わり日ともなれば、しじまな崖下へと降りる階段あたりから、しだいにその底に凍てついて沈むような侘しい茶室までの間は、まったくの暗闇であった。灯り一つ無ければ香織の若い肉眼でさえも、もう何の影さえも追えぬ怖い暗がりの淵を厚く重ねていた。



「 老先生、あし悪いし、お歳やし。もうそろそろ、この階段おりれへん思うわ。階段、えろう凍りついとるし、きっと足ィ滑らせはる。うちかて危ない階段やさかいに、ほんに心配なことやわ。ほやけど、どうにもならへンのやし、かなわんなァ~・・・・・ 」
  と、手燭を点した香織は、階段の降り口の杭にくゝりつけられた温度計の摂氏3℃をたしかめてからそう一心に気遣うと、そろりそろりと滑りそうな階段を一歩ごと慎重に踏みしめておりた。さきほど準備を終えた炭点前の用具一式を抱えて、その三十段はあろう階段はいかにも長い。両手をふさがれたまゝ、それでも息を詰めてようやく転ばぬように降りた香織は、そこから先、小さな手燭などでは眼の利かぬほど暗い茶室までの飛び石を足さぐりに渡りつゝ、きたる一日の安寧(あんねい)をていねいに畏(おそ)れて七つある石燈籠の燭火を順番に点しながら、ようやく茶室のにじり口まできた。
「 たぶん、昨日と同じなら、後ちょっとや。もう少し待たなあかん・・・・・ 」
  そういって茶室の裏側へと回った香織が、腰掛石から虎哉の寝室に灯る小さな明かりだけを頼りにながめ仰ごうとする山茶花の大樹は、天空の高みでも垂直に仰ぎみるような柱状凹凸の崖の上にある。虎哉の寝室はその大樹と隣り合せだが、寝室の窓を開いて茶室をみようとすると、古風な青銅葺(からかねぶき)のその屋根は、谷間でものぞきこむような高さの距離を感じさせる視線の先の、その奥底にようやく感じさせるほど小さかった。この深い谷底は、昼間でも太陽とは無縁の昏(くら)い暗がりなのである。しかし晴天時に限り一日に一度だけ光りの降りそゝぐ瞬間があった。眼をつむると、すでに香織の頭の中ではうす紫の仄かな渦が巻き起こっていた。



  腰掛け石にすわる香織はその時をじっと心待ちにした。
  それは朝まだきから黎明の生まれようとする間に起こるのだ。比叡山を越えて生まれ出ようとした朝陽が崖の岩面を射し、その凹凸で屈折した反射光が垂直に谷間を抜いてふるように染める。そのときのみ、茶室が青白く照らされながら谷底に映える一瞬であった。
  香織はその瞬間をじっと待っていた。
  茶室の裏の庭前は、きれいに箒(ほうき)の目をつけて掃はき清められている。これは昨日の夕刻に香織の手で丁寧に掃かれたもので、雨の日を除けば、香織が毎夕している仕事なのであった。この掃き清めた庭土に、いちめんの白い散りさゞんか遺されてある。それは皆、夜の間に散らされた花なのだ。香織はまだ真っ暗い庭に、眼を凝らしてその花々の散華をみた。あまりの暗さに、マッチを擦って、指でかざしては揺らして、庭土の奥をじっとみた。厚く深い白なので、あざやかに泛き残されている。
  それは清らかな純白ぶりだから、闇のなかに消え惜しむかに泛き残っていた。暗闇だから一層そうさせるのか、遠目からもあざやかに白い。見開いた眼でその白をたしかめ、また眼を閉じてみてはその白を想い泛かべた。繰り返しそうして、また眼を閉じた香織は、崖の上に咲いている、暗闇にみることのできぬ白いさゞんかの花を、そっと瞼に描きながら光りに照らされる谷間の一瞬を待った。



「 あゝ~、これやわ。きっと、これが聞香(もんこう)なんや。香りは嗅ぐもんや無い、聞くもんやと、老先生はそういゝはった。聞くとは、あゝ~、ほんにこれなんや 」
  崖の高みの上から白いさゞんかの、ほのかな甘い香りがふり落ちてくる。そう感じとれて、ふと眼を見ひらいた途端、香織はかすかな音をたてゝ土に着く、白い花びらをみた。 みあげるうちに、ひらひらひらり、ひらり、はたりと、白い花びらが不規則な時間差で舞い落ちてくる。それは決して桜のようなふわりとした散り様ではない。さゞんかの白は、ほのかな青白いむらさきの光りを身に纏い、その光と一緒にしつかりと重く舞い降りてきた。そうして、その散りぢりの庭土を見渡すと、散り終えた白い花びらが、仄かに淡いむらさきに染め上げられて、いつしかぐるりと廻る散華の紋様が描かれている。
  小さな黒い築山の岩上にも点々と降り落ちていた。しばらく香織は立ち竦(すく)み、手にとれないでいつ散り落ちるか判らない花びらをひたすたに待ちながら、肩に背に、あるいはコッンと黒髪の上に、大樹を離れて遠く庭土に着くまでの清浄な白い花びらを、じっと眼や肌に感じては香織はたゞ一心にその白を身にとまらせたいと願った。



「 あゝ~、えゝ匂いや。ほんに、しィ~んと、静かで真っ白ォな声だしはッて、きっとこれ、散りはッたんやないわ。もう、お花やのうて、お山の仏はんに変わらはッたんや。何やうす~い、むらさきィの天衣てんねェ着はって、舞いはったんや。そんなん、じ~っと見とったような、うち、何やそんな気ィするわ。ほんに、えゝ匂いやった 」
  十数分間のつかのまの散り落ちる花びらのを待つ時間の何と厳粛(おごそか)なことか。たしかに開いた花は、咲けば散る。しかもその花は、たゞの白である。そして花の名は、さゞんかに過ぎないのだ。そのたゞの、さゞんかは、やがて形跡もなくなり土に還るたゞの花びらである。きっと人間にはそれぐらいのことしか感じ取れない。
「 たしかに、そうかもしれへん。しれへんのやが・・・、せやけどあの鐘の音ェは一体何んやろうか?。どこぞの寺ァの鐘の響きやない。六時の鐘、鳴りよる時刻やあらへんし・・・。せやけどあれはやはり鐘や・・・。ほやけど、あそこになぜ、狸(たぬき)はんいたんやろか・・・・・ 」
  梵鐘が響くように、そんな音をさゞんかの口が、そっと洩らしたような気がしたのだ。
  あれは、やはり空耳などではない。そう感じた香織は、もう一度ざっとあたりに眼を通してから、また眼を閉じてみると、その鐘の音は澄まされた耳奥で、まだはっきりと感じとれた。眼に瞑(ねむ)る花びらの上でしばらく鐘の音が鳴っていた。香織は黎明の刻限に合わせてその落ちる間を逍遙(しょうよう)としたとき、見える者には感じとれない花の声や、見えぬ者こそが感じとれる声の匂いを、たしかに聞きとれたのだ。一瞬、気がポ~ッとなった。しだいに胸がキュッと温かくなる。そして香織にどっしりとした比叡山の土の香をじ~んと感じさせてくれた。
「 ハッ、せやッた。お花や、茶室のお花や。せやッたわ。老先生が待ってはるんや・・・。早よう済まさなあかん。えらいことや・・・、これ、タヌキはんのせいやわ・・・・・! 」
  はっと、そう思い気づいてそれでも数分間、散らされた花を踏まないように、庭前の小さな余白をうろうろと歩いた香織はもう午前五時過ぎには茶室にいて、茶の湯の席を整え、間もなくやってくるであろう虎哉の杖音を聞き逃すまいとことさら耳を澄まして待っていた。
「 あ、来はッた。ふう~っ・・・滑りはらんと来ィはったんや 」
  三つ脚のような老人の足音は、片足をかばうために、どことなしかぎこちなく定まりの悪いステッキを撞(つ)きながら凍てつく石道を危なげにやってくる。谷底は風のない静寂の中にある。明らかに虎哉の杖の音だとわかった。
  その音を聞き取ると、急(せ)くように香織は、戸口から身をにじり茶室の外にでた。そうして四つ目の燈籠の灯の中に虎哉の影がゆれて露(あらわ)れたとき、小さな波立ちを胸に抱えながら、腰元に赤い勾玉(まがたま)を幽かに揺らした香織は、その影に向かって歩きはじめた。



  虎哉の方も茶室へと向かいながら、この二、三日、深閑として凍りつく谷底が年が明けてやはり春が近づく趣きなのか、ひっそりと暗い美を湛えていることに神秘さを抱いていた。燈籠の灯を過ぎりながら白々と揺らぐ香織の影がその神秘さの上に重なり合うと、それは比叡の山にこめられた永遠の祈りを凝縮したような透明な時間の過ぎりではないかと感じられた。
  そうして二つの影が並び合おうとするとき、
「 かさね、七時には発つ。その心づもりでな 」
  という、重たげな虎哉の一声に、香織は別に驚きもせず、無言(しじま)のまゝ軽くうなずいた。
  香織は、二人の会話や立ち振る舞いにも、一日のうちで一番うつくしい旬があるということを、香道や茶道に親しむ虎哉から教わっていた。それは、さまざまな草木が季節ごとに花をつけるのと同じ、確実にその日がめぐってくる自然の循環と等しいのである。そういう虎哉の和服からはほんのりと、昨夜、香織が焚きこめた伽羅(きゃら)が香りたち、虎哉はすでに茶道に篭る人となっていた。
  スレ違う二人の影は、いつものようにこゝで別れ、それぞれが二つの闇の中へ消えた。   










                                      

                        
       



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