先日の日曜日にGAギャラリーで行われている、隈研吾展「モックアップス」へ行ってきました。最近僕は、隈研吾について、評価している。昔の隈さんは、ゼネコンのデザインの延長線上みたいで、あまり新しさがなく、こだわりがなかったようにみえた。けど最近は、表層フェチのように、素材を建物のファサードにデザインするこだわりは、なかなかのもの。しかし、展覧会の内容はすこし期待はずれだった。入場料金のわりに、展示の数が少なく、数点の素材と模型、詳細図のみだったので、残念だった。もっと、そのこだわりがみたかったんだけど、きれいにまとめられていた。 同じ素材系の建築家でも、ロッテルダムで行われたHerzog&de Meuronの展覧会は、素材のスタディー模型の数で圧倒されてよかった。
今日、マクドナルドのことを、思わず「マック」って言ってしまった。キモイ。いままで、「マクド」やったのに・・・知らないうちに汚染されて行っている。
さて、今日難波さんと学生のデザインの傾向について話しました。最近の学生の作品やコンペ作品の大半は、S A N A Aの影響が大きいそうです。具体的には、金沢の21世紀美術館のように、大小のサイズの違う部分(部屋)が集まり、全体を構成しているもの。
このデザインのプログラムは、非常に分かりやすく、パターンによっていろいろ応用がきくので、学生にとってまねしやすいみたい。コンセプトも、それぞれの異なった部分(個人)がヒエラルキーのないフラットな平面に構成された全体(国家)と解釈でき、民主主義のイメージにぴったりくる見たい。そのため、コンセプト的にも、いろいろな状況に当てはまり、語り方次第で、どんなテーマにも応用が利く。(コンペには最適)
しかし、学生から提出された作品のほとんどは、部分のパターンが少し違うだけのものが集まっただけの、アイデア一発で終わっていみたい。
一方、本家のSANAAは、全体から部分へのフィードバックがあり、部分から全体、全体から部分の、微妙で緊張感のある関係が成立しているみたい。多分、それは、設計の過程で、フィードバックを繰り返し、その都度多くのスタディー模型を作ることで、洗練された結果なんだろう。
21世紀美術館の箱の構成パターンも、スタディー模型だけで相当作られたみたい。その過程の中、プログラムのフィードバックされデザインが洗練されていくのであろう。
さて、今日難波さんと学生のデザインの傾向について話しました。最近の学生の作品やコンペ作品の大半は、S A N A Aの影響が大きいそうです。具体的には、金沢の21世紀美術館のように、大小のサイズの違う部分(部屋)が集まり、全体を構成しているもの。
このデザインのプログラムは、非常に分かりやすく、パターンによっていろいろ応用がきくので、学生にとってまねしやすいみたい。コンセプトも、それぞれの異なった部分(個人)がヒエラルキーのないフラットな平面に構成された全体(国家)と解釈でき、民主主義のイメージにぴったりくる見たい。そのため、コンセプト的にも、いろいろな状況に当てはまり、語り方次第で、どんなテーマにも応用が利く。(コンペには最適)
しかし、学生から提出された作品のほとんどは、部分のパターンが少し違うだけのものが集まっただけの、アイデア一発で終わっていみたい。
一方、本家のSANAAは、全体から部分へのフィードバックがあり、部分から全体、全体から部分の、微妙で緊張感のある関係が成立しているみたい。多分、それは、設計の過程で、フィードバックを繰り返し、その都度多くのスタディー模型を作ることで、洗練された結果なんだろう。
21世紀美術館の箱の構成パターンも、スタディー模型だけで相当作られたみたい。その過程の中、プログラムのフィードバックされデザインが洗練されていくのであろう。
事務所の近くにある妹島さんの作品「小さな家」です。通りから少し入ったところにあるため、気づかずに通勤していた。こんな近くにあったのはびっくり。噂で聞いていたほど、汚くなっていなかったので、結構良かったです。以前、大垣で見たマルチメデア工房が、ほとんど廃墟状態だったのでこの小さな家の汚れくらいは、ぜんぜん平気。でも本当に写真の印象より小さく、名前の通りでした。あまりにも、人が見に来るので、今は売りに出されていて、誰も住んでいません。場所は、ここ。ちなみに、小さな家の路地の入り口には、北野たけしの豪邸があります。

OMAでよく使われている言葉の一つに、「whatever」という言葉がある。直訳は、「何でも」なんだけど、OMAでは、「思いつく限り、なんでもやれ」という意味を含んでいる。前に書いたスタディーの話もそうなんだけど、とりあえず、考えたことや、思いついたことは、一通り形にしてみる。それがOMAのスタイル。
たとえば、プラダショップのデザインで、密度について考えるとき、ローマの街の「地と図」のイメージを模型に貼り、スタディーしてみる。一見、言葉遊びにしか見えないこの作業(論理的な流れではない)、思いがけない結果を導き出す可能性がある。まあ、結局カッコよかったらOKなんだけど。
なかでも、スケール比較が面白い。プラダショップのサイトのスケールを比較するとき、いろいろなものを、プランに重ねてみる。東京のプラダのショップ、過去の巨匠の作品、有名な寺院、モスク、教会、OMAのオフィスのプラン、果ては、飛行機、電車、豪華客船、万里の頂上。。。。
こんなことしているから、変なデザインが出てくるんだよ。でも、とりあえず手を動かすことの大切さを学んだ。頭のなかで、曖昧にしていることを、とりあえずアウトプットして形にしてみる(ビジュアルにしてみる)。本当に大切なことだと思う。その分、睡眠時間も減るんだけどね。
たとえば、プラダショップのデザインで、密度について考えるとき、ローマの街の「地と図」のイメージを模型に貼り、スタディーしてみる。一見、言葉遊びにしか見えないこの作業(論理的な流れではない)、思いがけない結果を導き出す可能性がある。まあ、結局カッコよかったらOKなんだけど。
なかでも、スケール比較が面白い。プラダショップのサイトのスケールを比較するとき、いろいろなものを、プランに重ねてみる。東京のプラダのショップ、過去の巨匠の作品、有名な寺院、モスク、教会、OMAのオフィスのプラン、果ては、飛行機、電車、豪華客船、万里の頂上。。。。
こんなことしているから、変なデザインが出てくるんだよ。でも、とりあえず手を動かすことの大切さを学んだ。頭のなかで、曖昧にしていることを、とりあえずアウトプットして形にしてみる(ビジュアルにしてみる)。本当に大切なことだと思う。その分、睡眠時間も減るんだけどね。
今日は、レムとのミーティングの日。朝から、そのプレゼンの為に、準備に追われる。ミーティングは、10分程度のもの。チームリーダーがプロジェクトを説明し、レムがそれについて簡潔に意見を言う。レムはアイデアを出すのではなく、アドバイスをしたり、デザインの決定を行う。例えば、「これは良い」とか「プロポーションが悪い」とか、「もっとアクティブにしろ」など。中でも面白かったには、「もっと馬鹿らしいアイデアにしろ」っと言ったこと。さすがに、この問に対して、みんな苦労していた。
レムのアドバイスはけっこう抽象的で、スタッフはそれに対して、ディスカッションをして、幾通りものアイデアをだす。そうでなければ、あんなにたくさんの個性的なデザインはうまれないと思う。
さて、レムについての僕の思いを少し書きます。
僕が初めて、レムクールハスを知ったのが、大学2回生の冬。ちょうど、大学の住宅課題をやっていた頃。その最終プレゼンで、友達がかっこいいプレゼンをしており、そのプレゼンは、レムの影響とわかった。
それで直ぐに彼を調べ、彼の著書である「S,M,L,XL」と「錯乱のニューヨーク」を購入。
九州にある集合住宅にも見に行った。
なにかわからないが、とてつもない恐ろしさと、知的興奮を始めて感じた。ノスタルジーでもない、なんともいえない懐かしさと、デザインのかっこよさ。
この感覚を、今でもかすかに覚えている。少し落ち込んでいた当時、心のそこから、建築をやりたいと思った。
それ以来、すっかりファンに。
今このオフィスで、レムを身近に感じられることを幸せに思う。
でも、レムと目があうと、一瞬心臓がとまったように、ドキッとしてしまう。
なぜって? それは、初恋の人だから(笑)。
レムのアドバイスはけっこう抽象的で、スタッフはそれに対して、ディスカッションをして、幾通りものアイデアをだす。そうでなければ、あんなにたくさんの個性的なデザインはうまれないと思う。
さて、レムについての僕の思いを少し書きます。
僕が初めて、レムクールハスを知ったのが、大学2回生の冬。ちょうど、大学の住宅課題をやっていた頃。その最終プレゼンで、友達がかっこいいプレゼンをしており、そのプレゼンは、レムの影響とわかった。
それで直ぐに彼を調べ、彼の著書である「S,M,L,XL」と「錯乱のニューヨーク」を購入。
九州にある集合住宅にも見に行った。
なにかわからないが、とてつもない恐ろしさと、知的興奮を始めて感じた。ノスタルジーでもない、なんともいえない懐かしさと、デザインのかっこよさ。
この感覚を、今でもかすかに覚えている。少し落ち込んでいた当時、心のそこから、建築をやりたいと思った。
それ以来、すっかりファンに。
今このオフィスで、レムを身近に感じられることを幸せに思う。
でも、レムと目があうと、一瞬心臓がとまったように、ドキッとしてしまう。
なぜって? それは、初恋の人だから(笑)。
最近、コンペや雑誌にのっているCGで、いいと思うものがない。というか、個性的なものがない。たぶん3Dのソフトが限られているので、表現が似通ってくるのだろう。
その一方、模型による表現のほうがまだまだ可能性を感じる。マテリアルもいっぱいあるし、模型画像の処理もできる。ちなみに今ぼくは模型ばかりひたすら作っているところだ。
その一方、模型による表現のほうがまだまだ可能性を感じる。マテリアルもいっぱいあるし、模型画像の処理もできる。ちなみに今ぼくは模型ばかりひたすら作っているところだ。