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100系の更新車である1000系が先頭となった上り普通列車です。この1000系は100系人気の影で目立たない存在でしたが、その出来は地方私鉄の更新車としてはピカイチの出来でした。我々利用者にとっては唯一の冷房車で、乗る列車に1000系が組み込まれているのを知ると、ホームを走ったものでした。 85,08,09 富戸-川奈
近年は道路が整備され伊豆半島の道路は飛躍的に便利になりましたが、今から20数年前。まだ夏の伊豆と言えば海水浴客で半島のそのほとんどの道路が駐車場化してしまうのが常識でした。そのため伊豆半島への唯一の足は伊豆急行しかなく、夏輸送時期の伊豆急の混雑と言えば半端ではありませんでした。特に乗換駅となる熱海駅とか伊東駅の乗換客でごった返していました。
そのため伊豆急行では夏の輸送には全社体制で夏の繁忙期に臨んでいました。事務職も駅の応援に入り、アルバイトを夏休み期間中一括して雇うと言う体制をとっていました。
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伊豆急の開通で意外と難工事だった片瀬白田付近の海岸線を走る100系です。この区間は撮影には適しているのですが海岸線のため侵食が激しく、波消しブロックの設置等、なみなみならない苦労があったそうです。 85,08,16 片瀬白田
当時、熱海-伊東-伊豆急下田間の線内普通列車は大まかに言えば伊豆急7:国鉄3程度の割合で運転されていましたが、もともと国鉄側はグリーン車1両を含む113系7両で運転されていたために増結が出来ませんでしたが(伊東線・伊豆急線ともに有効長が10両対応になっていて113系7両に付属の4両を増結する事は不可能)伊豆急は6両編成を基本に両運転台のクモハ100を巧みに活用し柔軟に増結がされ、夏の週末ともなれば夕方には伊豆急100系充当列車はほとんどの普通列車が増結され多客に対応していました。
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伊豆急の普通電車の増結パターンは規則性がなく、伊豆急下田方に増結車が連結されていり、伊東側に連結されていたり、更には伊豆急下田で付属を開放・連結があったために来て見るまでどんな編成で来るかはわからず、撮影には苦労しました。1M電車のクモハ100が基本編成の先頭(又は最後部)に連結されている事は稀でした。時代が時代だけにグリーン車を除いて全て非冷房車です。 85,07,27 稲梓
実はこれらの写真は当時、輸送力補完のために頻繁に入線していたEF58牽引の客レ撮影の片手間で撮ったものですが、今思うとクモハ100が先頭に出ている普通列車を見つけると、EF58の撮影よりも、そちらの方が気になっていたようです。ちなみにEF58の伊豆急乗り入れの写真は後日、ご紹介したいと思います。