マッキントッシュと呼ばれた男

世界の覇者フリーメーソンを追って活躍する、
イギリス情報部員マッキンの戦いを描く。

オックスフォード パーテー12/25

2005年12月23日 | Weblog






特選 ベストセレクション 

ワールド ミステリアス クラブ
オーゼル マーフイ の世界

●マッキントッシュと呼ばれた男

MI6はその黒幕と組織の全貌を
突き止めんと、躍起になって居た

百年戦争の膠着の谷間でフリーメーソンの
世界戦略 ロスチャイルドとの水面下の戦い
 
マリアはユダヤのフリーメーソンからの
コンタクトを得ていた。

夕方のガーデンパーテーにはイスラエル
ガザで世話になった、モサドの情報大佐
トーマスマンが家族連れて来る事に
なって居た

人間的に素晴らしいポリシーを持つ彼は、
信頼を得るにはまず自分が相手を限りなく
信用する事が大切だと、長いスパイ生活の
中で体得していた。

父親と母親をナチのポーランドユダヤの
ゲットーで亡くし、子供一人でイスラエルに
逃れてモサドの保護の元ベングリオン大学で、
政治情報学を学んだ生粋のユダヤ人であった。

彼は特殊な情報員教育を受け、主にパレスチナ
関係の情報に携わり、大成したスパイマスター
であった。

彼トーマスマンはマッキンに全て所管する
情報を流した。
それは個人的な信頼に基ずくもので、
マッキンはその信頼に人間的に報いる為に
努力したのである。
スパイ哲学はひとえに人間関係の助成に
あったのである。

彼ら家族四人がオックスホードの田舎屋に
着いたのは、サマータイムの八時であった。

自宅のテルアビブのバスストップから
ベングリオン空港に行き、イスラエル航空
でベングリオン空港を飛び立ち、
ヒースロー空港から真っ直ぐ急行バスで
やって来たのだ。

美しい妻のオデッサは二度目の妻で
中学生の男の子トーマスマン・ジュニアー
を連れて来た。
もう一人の子供は二十になる先妻の子で、
徹底したユダヤ教の信者権で、綺麗な年頃
の女性マリアであった。

ユダヤ人はマトンきり食べないが、
マッキンはスコットランドのラビットを
野外の炉で焼いてすすめた。

彼女ら家族とは既にエルサレムの自宅で二度
ほど会っていた。
オックスホード招待は念願の夢であったのだ。

スパイマスターのトーマスマンには各国とも 
入国規制を掛けていた。
今日はグレート ブリテンのスパイマスター 
マッキントッシュの招待と云う事であった。

マリアは今ベングリオン大学の電子情報科の
一年生であった。

次回
ミスターマック 新学期からのロンドン大
留学の手続きは巧く行ってますか
と聞いて来た

マリア大丈夫だよ、保証人がワタシだからネ

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オーゼル マーフイ 著
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