ブーレーズのマーラー6番

2011年05月03日 16時01分29秒 | 巻九 マーラーが私に語ること
◆いきさつ
もともと期待はしていなかった。
タワーレコードのポイント期限が迫ってきたので、
「一番好きな6番で、普段接することの無かった演奏を聴いてみようゲーム」に興じてみた。
で、自分には一番縁遠そうなブーレーズさんを選んでみた、と。
2400円。安い買い物ではない。

ブーレーズ&ウィーンフィル
1994年録音。

◆結果
もう、予想以上に予想通りというか。
第一楽章冒頭から、見事に贅肉が削ぎ落とされた
スカスカな響き。
推進力がそこにはない。
もちろん、テンシュテットのようなコテコテのキャラクターとは
反対側に居る人だというのは百も承知。
だが、それでもなお
なにか新しい発見でもあればなあと
少しの聴きどころを聴き逃さないように、と
…結局なにもなかった。

この「スカスカ」さが新たなマーラー像という人もいるだろう。
もしくは現代的であると。
しかし、
こんな不感症相手のセックス(喩が悪いことは億も承知)を愉しむほど
自分はまだ玄人衆ではない。

マーラーは、「中二病」的音楽なんだろう。それは何となく認める。
なかでもテンシュテットは、
もう陶酔と粘着とドラマと、ありとあらゆる感情のるつぼを
俺に提示してくれる。
それが「中二病」だと言われればその通りだろう。

ならなおさら、
マーラーを聴く態度として、
とことんまで自己陶酔させてくれる、悪酔いさせてくれる音楽を
やっぱり俺は好む。溺愛する。
楽譜の分析するためにマーラーを聴いてるんではない、ということだ。

◆釈明
音楽への感想とか印象とか、
しょせん個人の好みに依拠するしかない。
だから、自分と正反対の意見を否定するつもりはないし、
逆に否定される謂れもない。
じゃあ、せっかく手に取ったCDの感想を書くことに意味はないかといえば
もちろん「否」であって。
将来、もしかしたらブーレーズのマーラーを死ぬほど好きになってる自分が
いるのかも知れないが、
それはそれ。
現時点の俺が、
ブーレーズの「悲劇的」に拒否反応を示したということを
こうやって文章化しておいてもいいのかな、と。

こういう出会いも含めて、
聴き比べだからね。
無駄な行為では全くない。

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