必死だな。愛国心。

2006年04月22日 01時57分00秒 | 巻二 起居注
「教育は、不当な支配に屈することなく」を「教育行政は」に改め、
「不当な支配」を受ける対象が教員ではなく行政であることを明確にする。


( ´,_ゝ`)プッ
与党の教育基本法改正案に対する、
「保守系議員」の人々の修正要求の一部だそうだ。
(朝日新聞20日付朝刊より)

これじゃー、全く逆でしょーが。
阿呆な「教育行政」が、教員たち(相当にまともな人々を含む)を不当に支配しようとしてるのが現状でしょ。
それを、こうも堂々と摩り替えてしまうとは、
素晴らしい。猛々しい。
こういう事によって、彼らの意図が図らずも丸見えになってしまうのだ。

---------- 愛酷 -----------

そもそも、愛国心。
国家なり権力者なりが愛を語るときは
その愛の正体についてしつこい位の疑念の目が必要だ。
ていうか胡散臭すぎ。

美しき国土をアングロサクソン植民地帝国軍の基地に喜んで提供したりとか
それら帝国軍の侵略の先棒まで担がされる我が日本軍。
論理的な日本語を操る術を知らぬ大人と
幼少時からイギリス語教育を受けさせられようとしている子どもたち。

…あの
一番「愛國心」が必要なのは
この国の主流たるお馬鹿な人びとなんですけど。


あの「与党案」でさえ、全くの噴飯モノだ。
あんなものが成立した暁には、
教育現場での「支配」が大手を振って罷り通るだろう。
こじつければ、どんな抑圧的指導だって
「伝統と文化を尊重」の名のもとに可能だ。
只でさえ今でさえやりたい放題なんだから。「教育行政」とやらは。

---------- 亜衣国 -----------

愛を語ることを
体制に任せてはいけない。
愛を語るのは
自分の言葉でありたい。
誰にも全権委任したくない。
愛するも愛さないも、
どう愛するかも、
オレ様が考えることだ。
一人一人が考えることだ。
職員会議での挙手・採決禁止とか言ってるケツアナの小さな奴等に
自分の未来も遺伝子の未来も託したくないんだよーだ (:b)

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