週刊金曜日創刊15周年・筑紫氏・かの「論文」

2008年11月16日 08時39分04秒 | 巻二 起居注
もう先週号の話だが。

週刊金曜日、
創刊号から購読している。
正確にはそれより前の「月刊」時代から。
そういう意味では安定的支持者層なんだろう。
ただ、他者に勧めるということはあまり行っていない。
そういう意味では毒にも薬にもならぬ購読者層なんだろう。

さて、この15周年記念号でちょっと印象に残った部分。
鼎談における、辛淑玉氏の発言。
「「週刊金曜日」を買うことが行動しないことの免罪符になっている。」

辛氏らしい直球の辛口(笑)だが、
解らぬ訳ではない。
ていうか、その通り!

斯く言う自分、
いわゆる市民運動であるとかデモやらに参加したことはない。
趣旨に賛同しつつ、実際の行動に出ない。
唯一、投票行動にそれを表現するのみだ。
あ、建設大臣にダム反対の葉書出したことはあったかな。

週刊金曜日を定期購読し、
年間23000円を支払うことで、
間接的にそうした「運動」を支援しているつもりであることをここに認めよう。
これが私の免罪符である。ついでにこれも認めよう。
それを、ズバリ指摘してくれたのである種気持ちいい。

---------- キリトリ -----------

編集委員、筑紫哲也氏は去った。
時あたかも、15周年のこの秋(とき)に。
広島カープファンに悪い奴はいないだろ。

---------- キリトリ -----------

たとえば、満員電車。
隣にいた奴の足を踏んだ。とする。
明らかな悪意を以て踏んだか。
車窓に気を取られて踏んだか。
周囲の群衆に押し出されてやむを得ず踏んだか。
そこで踏まねば自分が倒れたから踏まざるを得なかったか。
みんなが踏んでたから踏んだか。
踏んで欲しいと頼まれたから踏んであげたか。

…すべて同じである。
結果として。
踏んだのである。事実として。「史実」として。
「真の近代史」として。

踏んだ事実を認め、
その理由はともかく謝罪をする。
治療費を請求されたら、少なくとも真摯に話をする。

万が一、自分が一切悪くないとしても(だから万が一と言っている)、
「すみません」の一言を言って、
ただし「でも仕方なかったんだよ」なんて余計な捨て台詞は言わない。
それが、文明人の振る舞いである。
なお、ここで言う「文明人」の対比語は「未開の地の野蛮人」ではないよ。
「非文明人」は文明社会の只中にこそ居るからね。

私はこの にほんというくに を愛す。
これは、
東京政権そのものとか
千代田区の真ん中にある皇宮とか、
そんなものに対する愛ではない。
強いて言えば、
そんな東京のど真ん中に鎮座する機構とはおよそ無関係に醸造されし、
我々の文化であり大地であり空であり空気である。
そして、あなたである。
そんな「愛国者(と敢えて言う)」にとり、
かの田んぼの母の神さまの「論文」は
全く受け入れがたい噴飯非愛国的行為であろう。
一番自虐的なのは、君だ。
怒れよ。普段愛国愛国と口にしている者ども。
全国の愛国者よ。
皮肉で言っているのではない。
全世界に日本の「糞尿的部分」をまき散らす「反日的」行為を、
即刻止めさせるべきだ。恥ずかしいわ。

あー。そうそう。かの「ろんぶん」は読んでないことを付け加えておくよ。

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