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住民の会、舞台が丘訴訟控訴せず

2013-12-01 03:22:29 | 雑感


舞台が丘整備住民訴訟とは、現在市が行っている舞台が丘整備事業(市庁舎周辺の公共施設整備事業)のうち、県立東御清祥高校の一部を取り壊し道路を建設する計画が地方自治法違反だとして市民が訴えていたものです。市民側は「市民の税金を県立高校建設資金に支出することは地方財政法で禁じている」と主張してきました。

この裁判の判決が11月15日にあり、原告住民側の請求が棄却され、控訴するかどうか市民の会の動向が注目されていました。新聞報道によると市民の会は控訴はせず、「今後は市民目線での市政をチェックし、市議会に行政チェック機能を果たしてもらうことを求めるなど『住民本位、住民参加、住民合意によるまちづくり』の実現に向け、会の名称も新たにし活動していく」としています。

市民の会の代表によると「判決には全員が不満を感じている。ただ裁判で争うことより、市と協働のまちづくりの中で、市民の願いと一致する市政を進めてもらうための活動にエネルギーを使おうという判断に至った」とのことです。

私はこれまで活動を続けてこられた市民の会の皆さんに敬意を表します。ご苦労様でした。これからはまちづくりの中でお力を発揮していただきたいと思います。

マイオカインが大切です

2013-11-29 07:12:20 | 雑感


11月27日に東御市民病院の院長である結城敬院長さんのお話をお聞きしました。この講演会は「市民病院とともに地域医療を語る会」が主催。大勢の市民の皆さんが集まりました。結城院長は佐久総合病院からおいでになり、この7月から院長に就任しています。以下に講演要旨をご紹介します。

東御市民病院は地域密着型病院であり、小さいこと多機能であることが大切だ。それが市民に親しまれる病院だ。しかし人も設備もかかり、黒字にするには難しい。2025年問題がある。団塊の世代がこの時期後期高齢者になり、人口でも3700万人に達する。医療体制の効率化が急務となっている。

専門医と総合医がある。専門医は狭く高い医療だと言われ、総合医は広く浅い医療と言われる。しかしそうではない。総合医は広くかつ深い医療であり、これからの地域医療を担う、医師としての究極の目標だ。

赤字でベッドの稼働率が悪いといわれる。しかしこれには理由がある。もうかる患者さんは重篤な患者であり検査をたくさんすることで病院としても収入増になる。軽症で中程度の患者さんの場合は検査もあまり必要ではない。すぐによくなって退院する。これではベッドの稼働率も悪くもうからない。みんなが健康になることは病院としては喜ぶべきことだが経営的には苦しくなるということだ。

これから未曾有の超高齢化社会が来る。医療費も増える。しかし高齢化社会に皆が元気で患者が増えなければ医療費は増えない、患者を増やさないようにするためには健康であることだ。文明の進歩により人々は歩かなくなり足腰が弱くなっている。これからは病気をみるのではなく健康をみることが大切だ。それが市民病院の仕事だ。早期発見、早期治療より病気にならないようにすることだ。

最近マイオカインというホルモンが注目されている。これは足腰の筋肉から分泌される若返りホルモンであり、ダイエット・糖尿病・動脈硬化・認知症・うつ・成長促進などに効果があると言われている。筋肉組織は単なる運動器官ではなく内分泌器官でもあることがわかってきた。これから「健康のまち‐とうみ」を進めるためには年齢・病気・体力に応じた運動プログラムを開発し、市民に参加してもらうことが大切だ。これは自治体として医療に運動を取り入れるというわが国初の試みになる。

東御には健康トライアングルがある。市民病院、ゆーふる田中、ケアポートみまきがそれだ、そしてここに市内で活動している身体医学研究所が加わることで倍加される。しかし運動が科学的根拠になりにくい。成果が見えてこない。継続的な取り組みと指導、科学的な成果判定が必要だ。そこに市民が参加してほしい。私たちは居ながらにして宝を持っている。ぜひそれを健康づくりに結びつけて行きたい。


結城院長は議会でもご挨拶いただきましたが、お話をお伺いするのは初めてでした。これからの地域医療のあり方についてとても示唆に富んだお話でした。いま病院会計への持ち出しも大きな金額になっており、赤字額も膨れ上がっています。しかし病院であればある程度の赤字はやむを得ないところだと思います。赤字削減をするあまり市民サービスが後退しては本末転倒です。サービスの向上と赤字削減を目指していってほしいと思います。

講演会と芸能発表会がありました

2013-11-24 23:52:13 | 雑感

道の駅雷電くるみの里の前駅長さんのお話をお聞きしました。


芸能発表会でコーラスをお聞きしました。


パドルを使ったパドル体操もありました。

11月24日は私の地元である中屋敷区の文化祭がありました。午前中は雷電くるみの里の前駅長である唐沢光章(からさわ・みつのり)さんのお話をお伺いしました。雷電くるみの里は平成15年9月に営業を開始し、今年で10年になります。それまでの道の駅が行政が出資した第三セクターで運営されており、そのほとんどが赤字経営でした。そんな中、民間企業としてスタートした道の駅は地元の食材に徹底的にこだわり、その結果売上高は右肩上がりで推移してきているそうです。

午後は区民の皆さんにより芸能発表会が行われました。子供たちとPTAによる滋野小学校校歌から始まった発表会はマジックあり、ハモニカ独奏、コーラス、ギター演奏、パドル体操、詩吟さまざま。休憩時間では茶道を習っていらっしゃる皆さんにお抹茶の接待を受けました。最後は舞台と会場が一体となり、「ふるさと」を歌いました。私もマジシャンミッキーとして初登場。トランプマジックに挑戦しました。大いに盛り上がった芸能発表会になりました。

作品展がはじまりました

2013-11-24 01:50:52 | 雑感

作品展の様子。


私の出店した「ぶどう新聞」

私の住んでいる中屋敷地区では毎年11月に作品展と芸能発表会が行われます。作品展は23日から。会場の中屋敷公民館には書、俳句、パッチワーク、写真など様々な分野のたくさんの作品が持ち込まれました。

特徴的だったのは東京オリンピックの2020年開催を祝って、50年前聖火リレーで使ったユニフォームが展示されたことです。ユニフォームは男女それぞれ1着ずつでした。お二人とも高校生の頃走られたそうです。身近にそんな方がいらっしゃったこと自体驚きでした。

特別出品の水車小屋も立派でした。昔はあちこちに水車小屋があり米ををついていました。田舎の原風景の中に水車小屋がありました。そんな風景を細かいところまで作りこんでありました。

私は「わかばやしぶどう園のぶどう新聞」を出店しました。これは毎年ぶどうをお買い求める人々にお送りしていたものです。ぶどうのことをもっと知っていただきたいという思いで、その時々の話題を掲載して発行してきました。24日は芸能発表会もあり、私もマジックをご披露する予定です。


同窓会が行われました

2013-11-16 19:40:30 | 雑感


16日は中学校の同窓会がありました。昨年に引き続き2度目の開催でしたが全国から25名の皆さんが集まりました。昨年これなかった3名の皆さんも顔を見せ、楽しい時間を過ごすことができました。2次会のカラオケにもほとんどの方が参加されました。幹事の皆さん、遠方からおいでいただいた皆さん、ご苦労様でした。

私たちが卒業した東部中学校は町村合併直後で、校舎は滋野、祢津、和、田中の4つに分かれていました。私たちが3年生になる春、統合中学が完成し、3年生の1年間だけ統合校舎で過ごしました。

中学校を卒業してから48年になります。それこそ卒業してから始めてあった方もいらっしゃいましたが、幼い時の面影はどこかに残っているものです。すぐに「〇〇ちゃん」などとうちとけていました。次回からは女性を幹事に加え、さらに大勢の方に参加を呼び掛けることになりそうです。

しげの里づくりの会についてお話ししましょう

2013-11-13 18:27:11 | 雑感
しげの里づくりの会第一部会がありました。これまで地域課題の解決は行政主導で行われてきました。しかし少子高齢化が進む中で地域の課題は多岐に及び、より複雑化してきています。課題解決のためには行政にまかせるだけでなく、地域住民が自ら立ち上がり解決にあたった方が有効な場面が出てきています。

こうしたことから、2年前から滋野地区は協働のまちづくりのモデル地区となり様々な取り組みが行われました。その結果今年の春「しげの里づくりの会」が発足したものです。この会には滋野全区から委員が選出され、区長さん達も参加しています。メンバーは約100名。滋野地区内で活動しているすべての団体を網羅しています。地元議員も参加しています。

会は5つの部会に分かれています。第1部会は歴史・文化、第2部会は地域・産業、第3部会は環境保護、第4部会は育成会・子供、第5部会は生涯学習・公民館活動がテーマです。市はこうした取り組みを市内5地区すべてに拡大しようと、今年は北御牧地区で活動を進めてきています。

私は第1部会の副部会長を仰せつかっており、このほど方針を確定するための会議を開きました。第1部会はこの春、地域を紹介するガイドブック「ふるさと滋野」を発行しています。その結果3つのことが決まりました。

第1に、年明けの2月ごろガイドブックを中心にした講演会を開催すこと、講師は地元の歴史研究家。第2に、地元出身の江戸時代の力士「雷電為右衛門」の墓前祭ツアーを実施すること。2月11日は雷電の命日で雷電が晩年を過ごした佐倉市では毎年墓前祭が営まれています。ここに参加し佐倉市の皆さんと交流しようというものです。第3に、ガイドブックの追加印刷を行うことです。

まだまだヨチヨチ歩きを始めたばかりの里づくりの会ですが、10月には第4部会を中心に、滋野小学校の子供たちの通学合宿を成功させています。この活動が今後さらに大きく広がることを願っています。


浅間山初冠雪でした

2013-11-12 21:57:13 | 雑感


11月12日、朝起きたら浅間山が真っ白になっていました。初冠雪です。庭に置いたバケツの水も凍っていました。テレビでは東北・北海道が大雪、地元の長野県北部も雪が降ったそうです。このまま冬にまっしぐらになのでしょうか。まだ畑も耕していないし、露地の剪定も道半ばです。冬支度が急がれます。

祢津地区の史跡巡りに参加しました

2013-11-12 11:12:20 | 雑感
11月4日、しげの里づくりの会・滋野小学校PTA・滋野地区公民館共催による恒例の史跡巡りが行われました。今年は東御市の祢津地区です。ここは江戸時代に幕府の天領であったため代官所が置かれておりこの地域一体の文化の中心地でした。参加者は子供たちから高齢者まで70数名。私も家族と一緒に同行しました。


1、宮ノ入のカヤの木(長野県天然記念物)
これは祢津西宮にあるカヤの大木で幹の周囲が6.5mにもおよび県下最大、推定樹齢は千年。一説には中世にこの地域を領有していた祢津氏の庭園木とも言われています。


戦前まではこの木の実を煎じてお腹の虫の駆除に使ったり食用にしていたそうです。



2、祢津お姫様巨石(有形文化財)
ご神体であるこの巨石は高さ6m、幅16m、奥行き15mという大きなもの。この巨石には仏像が線彫りされています(よくわかりません)。祢津領主松平公の奥方様は婦人病に悩まされ、夢のお告げにより巨石に祈願したところ快癒。奥方の死後遺髪をこの巨石のかたわらに葬り「お姫様(お姫尊)」と称したところ、人々の信仰を集めるようになったそうです。



3、西宮の歌舞伎舞台(長野県有形民俗文化財)
祢津健事神社(ねつ・たてことじんじゃ)境内にあるこの舞台は江戸時代文化13年(1816)に建設され、回り舞台やセリ出しのある立派なもの。神社の御柱の年には歌舞伎が上演されています。


4、大日堂(有形文化財・建造物)
この大日堂は上田。小県地方の中で屈指の大きさを持つお堂です。寺伝によると本尊の大日如来像は聖武天皇のころ活躍した行基菩薩の作とも伝えられており現在は秘仏となっているそうです。


5、大日堂の算額(有形運家財・書跡)
この算額は嘉永6年(1853)市内の加沢田村の上原道英(うえはら・みちひで)によって奉納されたもの。幕末期の当地の和算文化を知るうえで貴重な算額だそうです。この算額には3つの図形に関する問題とその解き方が記されています。数字にうとい当方としては驚きです。


5、東町の歌舞伎舞台(長野県有形民族文化財)
日吉神社本殿の裏に建つこの舞台は文化14年(1817)に建てられたもの。西町の歌舞伎舞台が文化13年でしたから二つの舞台はほぼ同時期に完成しています。二つの舞台は直線距離にして600mもありません。多額の費用をかけても負けられないと建てたのでしょう。そういえば祢津の祇園祭では東西町のけんか神輿が有名です。東町歌舞伎舞台では毎年4月29日に地元の子供たちによる子供歌舞伎と大人歌舞伎が上演され、多くの市民の皆さんが楽しみにしています。

わすかな地域にたくさんの文化財があり、文化の中心地であった東西町の面目躍如たるものがありました。

六分水(ろくぶすい)の虫干しがありました

2013-11-12 04:41:50 | 雑感


先日六分水(ろくぶすい)の虫干しがありました。関係7区(新張、原口、別府、中屋敷、大石、片羽、桜井)の区長さんと地元議員3名が集まり、立会人として市長が参加されました。

東御市の滋野地区は昔から水には苦労してきた土地です。山が浅いことから沢の水が少なく水争いが絶えなかったそうです。川上3区(新張、原口、別府)は祢津領(幕府直轄地)、川下4区(中屋敷、大石、片羽、桜井)は小諸藩ということもあり、水争いの裁定には江戸表まで出向かなければなりませんでした。その結果、沢の水を枡場で滋野地区へは6分、祢津地区へは4分に分けるということが決まりました。これが六分水のいわれです。

その後取り決めを順守するために幕府の裁定許可状と用水の絵図面を厳重に保管し、毎年1回虫干しという名目で開封し中身を改め、その後また封印してきました。私も議員になって初めて虫干しに参加し、裁定状と絵図面を目にしました。

今では灌水設備も整い水に不自由することはなくなりましたが、かつて六分水はまさに滋野の命の水でした。この伝統を子供たちにも伝えて行かなくてはと思っています。

長らくのご無沙汰で申し訳ありません

2013-11-10 03:36:21 | 雑感
このところホームページの方ばかりかまっていて、ブログはご無沙汰になっていました。それでも毎日百数十人の方がお見えになっています。肝心の私がこんなありさまなのにありがたい限りです。先日も久しぶりに海野宿に行った折、駐車場の管理人さんが「若林さんのブログを見てこられた方がいましたよ」とおっしゃっていただきました。感謝です。

そんなことで久しぶりに投稿を見たら新しい書き込みがありました。2か月近く前のものです。ここに掲載させていただきます。

みつけましたよ! (木浪照之)2013-09-23 10:13:59おじさんですみません
昨日実家の父母が持参した巨峰に
「若林幹雄」とありましたよ!
まさに写真の通り
見ず知らずの私ですが
不思議なもので
なんとなく嬉しいものですね

これからも素敵なぶどうをお作り下さい
ぶどう大好きですよ


何のことかわかりませんよね。下記をクリックしてください。

http://blog.goo.ne.jp/dragonfly_nagano/e/2adc86decc7e0221080162927401c71a

わが家はぶどう農家です。農協さんを通して首都圏のスーパーや小売店にぶどうを出荷しています。その際、責任を明確にするためにぶどうのトレーに名前を記入したフィルムをかけます。買い求めたぶどうの中に私の名前が書かれているものを見つけられたというのです。感謝、感謝です。広い世間の中でよくぞわが家のぶどうを見つけ、お買い求めいただきました。ありがとうございます。来年はぜひご注文いただければうれしいかぎりです。


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