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Dr. フロッガーのブログ

内科医フロッガーのブログです。

ノート下書きの転載

2024-02-18 | 雑記

4章 食す

その夜、友人と二人、部屋で新聞紙の上に取ってきた獲物を並べてみる。なかなか大きさも立派で形もきれいであるが、美味しそうではない。傷がついたところが青黒くなっていて、なんだか怪しいんである。
宿の部屋には自分で使える調理器具などはなく、いきなり台所を借りるのも変なので、この怪しいのを生食で行くしかないんである。
そもそも毒きのこなので、食べて具合が悪くなって病院に運ばれでもしたらどうしようという心配もある。
そんな心の葛藤もあるが、こういう時は勇気を持って、エイヤッと食べるしかない。とりあえず3本食べてみることにした。
まずかった。生のきのこ特有のカビ臭さ、生えてるところが生えてるところなので(どこなのかはググってください)その気持ち悪さもある。飲み込んだ後も胃からこみ上げてくるような気持ち悪さがあった。でも吐いたりはしなかった。お茶をたくさん飲んでなんとかごまかした。
しばらく20分ほど待つも、なんにも起こらない。友人と二人で、これ違うやつだったんじゃないの、なんて話していた。ふと外から波の音がするのに気づき、外の景色でも見ようかなと、がらっと窓を開けたところ、、、
自分が違う世界にいることに気がついた。

5章 体験する

窓の外の景色がやけに鮮明で、リアリティーが普段より数倍上がっている。隣の友人もどうやらそのことに気付いたようだった。これはキテるね、と二人で確かめ合い、部屋にいるのもつまらない感じだから、ちょっと海岸に行ってみようということになった。
海に向かう途中で、まず視覚が普段と違うことに気付く。色の明度と彩度が高くなっている。物の質感も変わって感じられる。やけにつるっとしてキラキラ輝いている。すべてのものが存在感を増し、自然の景色は美しさを増していた。
海岸に着くとそれは息を呑む美しさだった。その海岸は砂ではなく白いサンゴでうめつくされていたが、そのサンゴに月明かりが反射してあたかも銀河のようにみえる。つまり上も星空、下も星空と言う状況で、宇宙の中を散歩しているようだった。
月明かりに目がなれて海の方を見ると、水平線がまるごと地球、という大パノラマが目の前に広がっていた。空には明るい月がのぼり、月明かりが海水面にはしごのような模様を作っている。
海は普段よりも粘度を増しており、打ち寄せる波が流動するアメーバのように見える。ただそう見えるだけではなく、本当に巨大な生き物であるように感じられてくる。そして、その巨大な体の中に圧倒的な生命力を内包しているのが実感できる。そして自分がかつてそこから生まれでてきたのだということが感じられる。生命の誕生や海から陸に祖先が上がってきた時のビジョンが呼び起こされる。
空を見上げれば広大な宇宙に無数の星が輝き、どこまでも続く世界の奥行きが実感できて、その果てしなさに飲み込まれそうになり恐ろしくなる。すると星は輝きを増し、星と星が光で繋がり、星座が姿を表す。自分がいまここに存在している「世界」の偉大さと神聖さに畏怖し、自分もその中の一部なのだと確信を持つ。それは神秘体験であった。感情は今まで経験したことのない喜びに満ちてた。
何か重要で根源的な真実を理解したと感じた。
その時にどのくらい海岸にいたのかはわからない。時間の感覚はよくわからなくなっていた。そこにいる間に月の高さが変わっていたので数時間はいたのだと思う。
宿に戻り、友人とその強烈な経験についてお互いに話をした。6時間ほど経つと徐々に視覚の色鮮やかさが落ち着いてきて、少し眠たいような酔っ払ったような状態になり、バカ話をしてひとしきり笑った後に床についた。
(今思い起こしながらその経験を書いているが、言葉にできないことも多い。言葉にならなさも神秘体験の特徴というが、純粋な存在としての経験で、言語化された思考を超えているのだと思う。)


ブログ再開

2018-07-22 | 雑記

久々にブログを再開することにします。
以前は大麻関連がメインでしたが、そっちはちょっと控えめにして、気になった事や調べたことの備忘録的なものにします。


アレロケミカル

2009-11-24 | 雑記

 この世界は弱肉強食であるとよく言われるが、それはある一面にすぎないと思う。植物を動物が食べる。いわゆる食物連鎖であるが、植物は弱いから食べられているわけではない。植物と動物はただ餌と捕食者の関係ではなく、そこにはコミュニケーションが存在すると思う。それは互いに閉じた自己ではなく、相手のことを考えているかのような共存関係がある。

 人間のコミュニケーションは言語であるが、自然界では化学物質によるコミュニケーションもある。個体内ではホルモンや神経伝達物質で細胞が「会話」している。同種間では、フェロモンというものを分泌して「会話」している。そして、異種間でも植物-昆虫などで化学物質を介した「会話」をしている。アレロケミカルと言うようだ。

アレロケミカル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%9F%E3%82%AB%E3%83%AB

 人類は自然界とコミュニケーションできているだろうか?弱肉強食をキーワードに、ただ搾取するものと思っていないだろうか?
植物は我々に語りかけているのではないか。かつては、シャーマニズムやアニミズムの場で精神に働きかける植物を取り、精霊たちと交信をしただろう。

 煙草から神聖さをとりあげたのは誰なのか?
 http://native.way-nifty.com/native_heart/2009/02/post-95c2.html
 ペヨーテ伝説
 http://www.entheo.org/blog/?p=422

そして、花の香りはいつだって人を優しくするだろう。

それは、人間に対する植物の化学物質による語りかけ、アレロケミカルだと思いたい。

 人類は地球上で話し相手のいない孤独な存在なのか?地球のがん細胞でよいのか?
環境破壊が叫ばれる今だからこそ、植物の言葉ではないささやきを感じ取ることが必要となるのではないだろうか。

写真は、キダチチョウセンアサガオ。エンジェルストランペット、ダチュラの名でも知られる。ナス科で、アトロピン、スコポラミンなどのアルカロイドを含む。


アルコール

2009-04-25 | 雑記

アルコール。

人類にとって最も身近で、いろいろと語られることの多い嗜好品だろう。例えば、百薬の長という人もいるし、適度のアルコールは動脈硬化を防ぐと言われている。

一方、アルコールは多くの病気のもとともなる。
メルクマニュアル アルコール
健康診断などで肝障害(γGTPが高い人など)はほとんどアルコールによるものだし、アルコール依存症も思いのほか多い。

アルコール依存症。
いわゆるアル中。
例えば、こんな人は珍しくない。
ひどいアルコール性肝障害で入院。1-2日経つと、禁断症状(振戦せん妄)が出現し、手足は震え、幻覚・妄想状態になり、家に帰ると言って暴れる。(家に帰ると酒を飲んで暴れる・・・。)
ひどい場合には、食事もとらずに酒を取り続け、ビタミンB1欠乏のためウェルニッケ=コルサコフ脳症となり生命の危険にさらされる人もいる。
アルコール依存について知るには、中島らも氏の自伝的小説「今夜、すべてのバーで」が良い。この本は、自身のアルコール依存症について赤裸々に綴ったものだと思うが、深刻なことをユーモア交えて描かれており、ほろ苦くも面白い内容である。

ちょっと前に中川昭一氏が話題となったが、彼は依存症の可能性がある様に思う。

急性アルコール中毒
救急で良く出くわす。毎晩誰かが飲み過ぎで救急車で運ばれている事だろう。
バッカス状態でさんざん暴れて手に負えない人もいる。さらにひどい場合は、まったく意識がなくなる。(意識を失い、便失禁した若い女性を見たことがある。)
時々、転んで頭をぶつけていて、ただの酔っ払いかと思ったら脳出血だったという話も良く聞く。

アルコールの効果は、基本的に、脳神経の抑制であろう。それが、まず大脳から起こってくるように思う。つまり、最初は理性が抑制され、普段抑えられている下位の脳(本能)が現れ出てくる。これは、脱抑制といい、抑制が抑制されて興奮することをいう。(ややこしい。ブレーキが取れる感じか。)
場合によっては記憶をなくして暴れる。この状態は逸脱・犯罪行為のもととなる可能性がある。
その後、脳が全体的に抑制され、意識が消失する。さらにひどくなると、呼吸が止まり死にいたる。

草なぎ剛氏はおそらくアルコールの脱抑制によりせん妄状態に陥り、本人の意識なく動き回ってしまったのだろう。事故がなくてよかった。

僕も飲みすぎる事が良くある。失敗もある。ともかく、ほどほどが大切だろう。


NHKスペシャル 象徴天皇 素顔の記録

2009-04-11 | 雑記

昨日、NKHで天皇陛下ご結婚50周年を記念する番組が放送されていた。

象徴天皇 素顔の記録
http://www.nhk.or.jp/special/onair/090410.html

僕は天皇陛下に特別の思い入れがあるわけではないのだが、番組を見てその生き方に対してとても感動した。

天皇陛下は、政治に関わらない象徴天皇としていかに国民と関わるかについて、熟考され信念をもって行動されていると感じた。その背景には、昭和の初期から終戦までの時代、天皇陛下万歳と叫んで多くの若者が戦争で散った時代を心に刻みつけてのことであるだろう。

天皇陛下が第一とされていることは、国民の為に何をすべきかということであるが、政治に関わることは出来ない。
そして、その信念のもとの行動は、被災地を訪れ、困っている人に直接会い語りかけること、サイパンで慰霊し、被害者の家族や戦争孤児の人に直接会い語りかけることであった。
天皇ご夫妻は苦しんでいる人の苦しみを自分のことのように共感し、その辛さや悲しみを分担しようとしているようだった。その献身的な態度は、真に高貴な人間性を示すものであろうし、見習うべき精神であると感じた。

天皇は、日本を象徴し、また、象徴するべく信念を持って行動されている。
それは、日本国民を象徴する精神、目指すべき精神であろう。
天皇陛下の行動を見る限り、その精神は、まったく、国権的・右翼的思想とは異なるものである。
その精神は、傷つき苦しむ人の苦しみを共感し、ともに背負っていくという精神であり、それを象徴と出来るとは、なんと素晴らしいことであろうか。


本当の知恵とは

2008-10-18 | 雑記

僕が、小学生のころから、何度も何度も読み返す本に、宮沢賢治銀河鉄道の夜がある。何かがあっても、何もなくても、パラパラと読み返す。そこにはかつての自分がいるし、今まで気がつかなかった言葉もあるし、目指すべき自分の姿もある。

カムパネルラが去り、一人になったジョバンニのもとに、博士が現れる。ジョバンニは本当の幸せとは何だろう?と自問する。博士は、ジョバンニに真実を探すことを続けるように言う。博士は、古い地図の話をする。地図はその時代の人間の世界に対する認識のことである。2000年前の世界はこのようであった。今とはずいぶん違っているが、その時は実際にそうだった。1000年前になるとまた違っている。時代によって世界は変わっている。しかし、真実とは、その地図全体に当てはまるものでなければならない。つまり、いつの時代にも普遍的であるものが真実である。それを探すのはとても大変なことだが、ジョバンニはそれを続けなければならないと言う。科学もそうであるが、宗教だってそうだと言う。みんな各々の神様が正しいと主張するけれども、他の神様のすることに涙を流したりするだろう?と。真の幸せとは、一人だけのものではない。自分の周りの人が幸せになることの方が大きな幸せだったりするだろう。

本当の知恵とは、賢治の言うようなことである。僕は初心を忘れそうになると、この本を読む。そして僕もジョバンニの一人だろうと思う。

先日、NHKのその時歴史が動いた、という番組で「神々のうた 大地にふたたび 〜アイヌ少女・知里幸恵の闘い〜」というものをやっていた。明治時代に、日本政府は、北海道を日本国に組み入れるため、蝦夷地の「植民地化」を行った。その方法は先住民族であるアイヌの言葉・文化・生活の場を奪い、日本人と同化するというものであった。これは民族の尊厳を奪い、アイヌの人々は差別され、自分自身を劣った民族であると思うに至る。

知里幸恵はアイヌの女学生であるが、アイヌとしての誇りを失い、立派な日本人となるべく努力し、日本人の女学校に入学する。しかし、差別があり孤独に苦しんでいた。その中で東京の学者、金田一京助が、アイヌ文化の研究のため幸恵のもとを訪ねる。金田一京助は幸恵の能力を評価し、研究に協力を要請する。幸恵はなぜアイヌの劣った文化を研究するのか、金田一に尋ねる。金田一はアイヌの文化は素晴らしく、文化に優劣などないと言う。そして、幸恵は東京でアイヌの神話を集めた「アイヌ神謡集」を執筆する。しかし心臓病のため17歳で亡くなってしまう。この幸恵の遺作がアイヌ民族の誇りを目覚めさせ、復権運動につながっていく。

本当の知恵とは何だろう。金田一京助の言葉、「文化に優劣はない」。これこそが、知恵のある、真の学者の言葉だろうと思う。

その価値観は現代も変わらない。グローバリゼーションの名のもとに、画一的な価値観を押し付けることが正しいのか?違う。本当の普遍性とは、多様性の中にだって存在するのだ。その普遍性を見つければ、押し付けではないグローバリゼーションが実現すると思う。

自分の目指す未来はそういったものだ。


気になる言葉 麻薬

2008-09-18 | 雑記

麻薬と言う言葉がある。この言葉の使い方は、人によって結構違うのではないか。
医療者は麻薬と聞くと、アヘン製剤(モルヒネ、フェンタニール、オキシコドン、コデイン、ヘロイン)をまず思い浮かべる。医学的には麻薬とはアヘン・アヘンの抽出物とその派生物、すなわちオピオイドのことを言う。これが麻薬の厳密な(狭義の)定義だろう。

しかし、「麻薬」をwikipediaで調べると、世の中は「麻薬」と言う言葉をそのように厳密に使っていないようだ。

「麻薬」、wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E8%96%AC

例えば、法律を良く知る人は、「麻薬および向精神薬取締法」に定められている薬物を「麻薬」と呼んでいるのだろうし、単にドラッグと言う意味で麻薬と言っている人もいるだろう。ともすれば、タバコ反対の人はタバコを麻薬と言うかもしれない。

麻薬というのは悪いものである、と言う風に、考えている人が多いのだと思う。
私の場合は、麻薬と聞くと、まずモルヒネなどのオピオイドを思い浮かべるので、悪いものと言うよりは、依存性があり扱いに注意が必要な薬剤、というイメージである。逆にオピオイドは、昔から医者のツールボックスに入っている、とても重要な薬剤でもあるのだ。ただ、この場合は仕事に用いるためのものであって、一般とは事情が異なることではあると思う。

じゃあ大麻はどうなのか?といえば、厳密には麻薬ではない。医学的・法律的には麻薬に入らない。一般に慣習的に用いられるところの麻薬ではあるかもしれない。でも、言葉の使い方があいまいであり、誤解を生むところが多いと思う。麻薬と言う言葉のイメージには強弱が無く、常に強い毒性を思い起こさせるが、実際には違法薬物の毒性はそれぞれ異なる。

さらに紛らわしいのは、麻薬に麻の字が入っていることである。麻というのは麻酔の麻で、大麻の麻ではない。さらに本来、麻は痳という字である。これは中国語でしびれると言う意味で、例えば山椒の辛さを痳と表現する。なので、植物の麻は言葉の成り立ちに関係が無い。

言葉は難しい。同じ言葉でも人によって違う使い方をしている。
違法薬物をまとめて麻薬と呼ぶよりは、外来語であるドラッグを用い、中でも毒性が強いものをハードドラッグ、少ないものをソフトドラッグと呼ぶ方がすっきりしているように感じる。