JR東海道本線とJR山陽本線の境界線にあたる神戸駅。神戸駅南口を下りて左に約100ⅿ進んだ場所にD51-1072号機が置かれている。愛知県の日本車両製造製のSLであるが、新製配置~廃車まで北海道一筋で活躍した個体である。
屋外での展示だが、状態は良好。2007(平成19)年9月までは状態は悪く、特に機関車本体は塗装が剥離し、錆びた状態であった。その後、ボランティアの方々数人が機関車の整備や修復を数年ごとに行いながら、ここまで見違えるほどになった。2019(平成31・令和1)年には再塗装も行われた。
次いで、デンター(炭水車)。1000番台機のD51型はデンターが「船底型」なのが特徴。船底型デンターは、台枠がない代わりに設計の簡略化や軽量化ができること、また車体強度もあまり変わらないといった特性がある。また、Ⅾ51型1000番台機以外に、戦後に製造のC57(-190~201)、C58(-383~427)、C59(-101~132,156~196)、C60、C61、C62型蒸気機関車にも採用された。
キャブ(乗務員室)は北海道特有の気候や環境に合わせて密閉型となっている。ナンバープレートは公式、非公式ともに残存していたが、日本車両製造銘板はどちらもなかった。保存に際し、盗難や破損防止のために撤去された可能性がある。
蒸気ドームはかまぼこ型。戦時型のD51型に見られたスタイル。当時は鉄の資材が不足していたことから簡素なつくりであった。
タービン発電機。
切り詰め除煙板。北海道特有のスタイル。コの字手すりはなかった(現役時は装備していた)。
当時の神戸市長である宮崎辰雄氏のD51-1072号機への思いをつづった言葉が石碑で残っていた。
D51-1072号機は当初、元町西広場へ保存されていたが、1992(平成4)年に現在の神戸駅付近のところへ移転した。
現在、新快速運用として活躍する223系、225系を見守るD51-1072号機。今、何を思っているのだろうか。
愛知県生まれ北海道育ちのD51-1072号機。1976(昭和51)年3月1日に廃車となってから数えて46年。神戸市とは縁もゆかりもない同機だが、これからも神戸のシンボルとして第2の車生を送るに違いない。なお、傍のスイフトは自分のマイカー。
*D51-1072号機の経歴*
1944(昭和19)年2月27日日本車輌製。新製配置は函館機関区。
同年7月、岩見沢機関区(のちの空知機関区。1994(平成6)年廃止)へ転属。
1947(昭和22)年3月、旭川機関区へ転属。
1948(昭和23)年1月、新得機関区へ転属。
1966(昭和41)年10月、池田機関区へ転属。
1967(昭和42)年6月、五稜郭機関区へ転属。
1971(昭和46)年3月、滝川機関区へ転属。
1975(昭和50)年11月、追分機関区手転属。
同年12月10日、休車
1976(昭和51)年3月1日、廃車。
1978(昭和53)年7月、元町西広場で静態保存。
1992(平成4)年8月、現在の場所へ移転。
撮影日→画像1,2,3,4,6,7,8,12…2016(平成28)年11月14日(月)/画像5,9,10,11...2021(令和3)年10月14日(木)
場所・JR神戸駅付近