D51-408号機の傍ら、青く古い客車が保存されていた。車両はスハ42-2047。国鉄末期まで活躍した1台である。
こちらもD51-408号機と同様に整備と再塗装されていた。貫通扉は鉄板で封鎖されていた。
スハ32-2047説明板。ここには新製配置は記載されていないが、現役時は、上野~青森間を結んでいたことから尾久客車区の可能性がある。最終配置は水戸機関区。戦後~高度経済成長期にかけて多くの乗客を乗せて走っていたんだろう。
連結器。
車両番号。フォントは現役時とは異なる。
形式、自重、検査表記。
「水戸機関区」所属、エンド、定員表記。
東京日本車輌製造銘板、大宮工場更新修繕銘板。
洗面所。部品盗難や汚損・破損防止の観点からアクリル板が貼られ、立入禁止となっていた。
車内。当時は新幹線や高速道路もなく、自動車も少数であったことから座席はオールボックスシートが並んでいる。また、床下は板張りになっている。
便所知らせ灯。
扇風機。当時は冷房もなかった時代。多くの乗客が窓を開けたり、扇風機の風に当たって涼んでいたに違いない。冬場はどうやったのだろうか。
その扇風機には懐かしき「JNR」マークの文字。これは貴重。
そして、車内には客車見学時の注意書きが貼られていた。
数少ない旧型客車の静態保存。川崎市がここまで大切に整備をしてくださったことは頭が上がらない。これからも末永く大切に保存されると願っている。なお、車内は無料で開放している(飲食は禁止)。
撮影日・場所…2018(平成30)年12月10日・神奈川県川崎市生田緑地